![第51回](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/10555537/rectangle_large_type_2_7c223e972e506915e758992b221acf87.jpeg?width=1200)
中年女が二極化するのは、男のせいではないだろうか。
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女は、知らず知らずのうちに「オバサン」と化する。
「年齢なんてただの符号」と捉える風潮が支持されているせいか、「年齢的にはオバサンでも、私はまだオバサンじゃないわ」などと都合よく解釈しているオバサンは少なからずいる。
歳を忘れたオバサンは、同世代のオバサン連中とつるみ、キャッキャウフフと無邪気に騒ぐ。観光地などでよく見られる光景である。
傍目には「いい歳して騒ぐなよ」という冷ややかな視線を浴びている。だがオバサン連中は、周囲の目など気にしちゃいない。
そもそも周りを気にせず騒ぐ行為自体が「オバサンっぽさ」である。しかし当のオバサン連中は、それがオバサン丸出しの振る舞いだとは自覚していない。むしろ「女子高生に戻った気分」だったりするからタチが悪い。
仮にひとりのオバサンが「私たち騒がしいかしら」と気づいても、盛り上がっているところに水を差すのも野暮だからと注意はしない。
そうやって、己を客観視できないオバサンたちは疎まれてゆく。
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あたしも例にもれず、まだまだ自分はオバサンっぽさが薄めだと思い込んでいるフシがある。とはいえ年齢を棚に上げるつもりはないので、他人からオバサン扱いされても腹が立つことはない。
中年になったからといって、周囲から疎まれるとは限らない。図々しさや恥じらいをなくすなど、いわゆるオバサン的な振る舞いが顕著になったことで、周囲(主に男性)からの扱いが変わるのだ。
男性からの扱いが変わるのは、その男性から見て(女として)「圏外」になったから。
若い女、あるいは好みの熟女であれば、男は親切にしたりサービス精神を発揮する。そこに年齢は関係ない。しかし「オバサン」に対しては、上司と部下といった力関係やホストと客のような下心が相手との間に存在しない限り、ぞんざいな態度で接したりする。
日本の男(の多く)は、無意識レベルで女性を自分より下に見る傾向がある。それがいい意味で発揮されればレディファーストだったり「守ってあげたい」男気にもなる。
対してオバサンは、体型もメンタルも逞しく見えるのだろう。同じ女でありながら、男から心配もされず尊重もされなくなる。オバサンのほうも、ますます図々しくなっていく。
オバサンだから女扱いされなくなるのか。
女扱いされなくなったからオバサン化するのか。
「鶏が先か卵が先か」状態に入り込んだ女がオバサン化する一方で、まったくオバサン化しない熟女もいる。
40代以降の女が二極化していくさまは、面白くもあり切なくもある。
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女が逞しくなるひとつのターニングポイントは、「母」になることだ。
妊娠~出産における産婦人科での「内診」や、出産シーンで「恥じらう余裕なんてねーよ!」な境地に達すると、女は恥じらいやら過剰な自意識やらがブッ飛んでしまうという。あたしは経験していないが、体験談を聞くだけでも「それは価値観が一変するだろうな」と容易に想像できる。
子を育てるプロセスの過酷さも、女を逞しく成長させる。命を預かる母ちゃん業に必死なうちは、とてもじゃないが「女」スイッチを入れる余裕すらないだろう。
だが出産経験がなくても、歳とともにオバサン化する女は多い。
若い頃にはもれなく発揮されていた過剰な自意識も、男の前で挙動不審になるほどの羞恥心も、いつどこで落としてきたのかわからないほど、気がつけば失われている。
過剰な自意識や羞恥心は「女子」特有のものだ。女の子から女へと階段を上る過程においてそれらは少しずつ削ぎ落され、女として洗練されていく。
洗練から熟成される次の過程において、「女であること」が重荷になる女もいる。色恋沙汰に疲弊したり、社会における男女格差に嘆いたり、妻や母になるタイミングで「商品としての女」から卒業したり、トリガーはさまざまだ。
おそらく、それらのトリガーに遭遇しなかった女たちが、熟女になっていくのだろう。重荷どころか「女として扱われてナンボ」だと信じて疑わない女も、この世には一定数存在する。
そして重荷となった「女であること」を辞めた(あるいは捨てた)ほうの女は、オバサンへと変容を遂げる。
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オバサンと熟女。
どちらも自ら望んで到達した「女のなれの果て」である。どっちを選んでも彼女自身が幸せならば、それは正しい選択だ。
しかし、自分で思っているのと他人から見える姿が逆になっているケースも往々にしてある。
自ら「もうオバサンだから」と開き直っているにもかかわらず、熟女好きな男から言い寄られることもあれば、まだイケると思い込んでいる熟女が、一見するとただのオバサンにしか見えないこともある。
前者はレアケースだが、後者のような勘違いはかなり多い。
10行目あたりで、あたしは自身のことを「オバサンっぽさ薄め」だと述べた。もちろんそれが思い込みであることは自覚している。
世間的にはどうなんだろう。20代以下の若者から見たら立派なオバサンだとは思うが、近い年代から「熟女とか言ってるけど、ただのババァじゃん」と思われていたら、かなり凹みそうだ。
外見はともかく、振る舞い的にオバサンっぽさが出ているとしたら、もはやそれは完全に無自覚だ。女を捨てたつもりはないのに、女として圏外にされるのは心外すぎる。
もしかすると、世のオバサン連中も同じような心情なのかもしれない。傍目には女を捨てたように見えても、本当はあたし同様「まだまだ現役」だと思い込んでいるのかもしれない。
このコラムを読んだ殿方には、今日から心がけてほしい。
たとえ(女としては)圏外なオバサンでも、なんならおばあさんでも、性別が女である人に対しては、ジェントル的に接すること。義理も下心もない相手でも「元女」として優しく扱うこと。
世の男性が皆そのようになれば、きっとオバサンたちも、今よりずっと女らしくなるはずだ。「女」であろうと意識し、図々しさや恥じらいのなさも薄まっていくだろう。
オバサンと熟女の二極化がなくなって、パリのように「歳を重ねた女こそが美しい」世の中になれば、中年女は救われる。
そのためには、中年女自身が気をつけるより、男の意識改革のほうが先だ。
女の若さを支持する風潮が続く限り、中年女の魅力は正当に評価されない。結果、歳を重ねた女は「オバサン」になってゆく。
オバサンだから女扱いされなくなるのか。
女扱いされなくなったからオバサン化するのか。
鶏と卵理論の答えは、後者だ。
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