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第六章 恩返しはどこへ行く?_009
09.エリートを育てる?
大阪倶楽部という社交倶楽部(平均年齢約75歳)があります。
年齢を関係なくして、
こころを通じ合う人たちには、忌憚がありません。
とある一部上場企業の社長、会長、
最高顧問をされた方(故秋沢旻氏、 1924-2024)から、
テレビ放映を見られた翌日に、このようなアドバイスを受けました。
「君って面白いね。私に似ているよ。
ところでね、貧困を一人助けても、一人しか育たない。
君はエリートを育てるべきだと思うね。
エリートを一人育てると、世界中に幅広い影響を与えることができる」と。
秋沢さんとは毎週大阪倶楽部へと赴く車中で、
さまざまお話を聞かせいただいたものです。
たとえば彼が大学入学した戦前には大日本帝国憲法を学び、
復員先から戻った元海軍将校が学んだ憲法は、日本国憲法だったとのこと。
2つの憲法を学んだ人材は滅多にいないと自負されていました。
終戦の後、
就職した会社の建物は米軍のヘッドクオーターとして摂取され、
自身の会社は空襲で天井の空いたビルに移転し、再開したそうです。
意気消沈していた社員向けに組合活動を行なったり、
さまざまなボランティア活動(社内紙を発行したり、コーラス部などの趣味を楽しめる会など)を作り、社員の気持ちを鼓舞した苦労話を、
意気揚々と語っておられました。
一方で、(食べるために必要不可欠な)農薬開発と
(さまざまな工業製品のプラットホームとなる)酸化チタンを生産する
両輪経営によって、会社を世界展開させた話についても、
事細かく説明を受けました。
一度も就職をしたことのない私にとって、
彼の語りはまるで架空の存在であるシンドバットからの
回想録を聞くかのような驚くべき機会だったのです。
それにしても、『エリートを育てなさい』という一言は、
一歯科医に過ぎない私に何ができるのか?と、
再び途方に暮れてしまったのです。