公園から帰らない一人目でありたい
最近、勉強しながら少しずつですが書いているコミュニティに関する記事。
コミュニティについて考えるとき、以前、アメブロ時代にも書いた、この公園のことを思い出すんです。
今日はその公園のことを思い出しながら、書いてみます。
まだ娘たちが今よりももっともっと小さかった頃。
妻が「ママ休暇が欲しい!」といって外出をし、私と二人の娘で留守番をすることがありました。そのときどきで妻は、プールに出かけることもあれば、買い物に出かけることもあったり。
そんなとき私と娘たちは、自宅でお絵描きをしたり、DVDを見たり、粘土遊びや「ピタゴラスイッチづくり」などをして遊んでいましたが、よく近所の公園にも遊びに行きました。
その日も、よく晴れていて、やはりその近所の公園に遊びに行ったんですね。
公園に着くなり、2人が乗るブランコを交互に私が押したり、登ったりぶら下がって遊ぶ遊具に手が届かない娘らを抱きかかえてつかまらせたり、鉄棒の逆上がりの練習をサポートしたり。
そんな風にして3人で遊んでいたら、近所のお友達とお母さんが公園にやってきました。
「どうも~」
「こんにちは~」
人数が増えたので鬼ごっこをやったり、かくれんぼをやったり、親子3人だけで遊ぶよりも遊びの選択肢が増えて、もっと楽しく遊ぶことができました。
そうこうしているうちに、買い物帰りの近所のお友達とそのお母さんが通りかかって。
「こんにちは~」
「あ、こんにちは!」
声をかけてくださったら、うちの娘たちはすかさず「○○ちゃん、一緒に遊ぼうよ~」と。そのお友達もお母さんも公園に立ち寄るつもりはなかったのでしょうが、結局そのお友達も加わって、一緒に遊ぶ人数はさらに増えました。
そうしたら、今度は同じく近所の男の子、その妹、そのお父さんも公園に来て、私たちの遊びに加わりました。
人数がさらに増えた公園を見渡すと、大型遊具の周りでは小学生女子とお母さんが鬼ごっこやかくれんぼをして、別の場所では幼稚園男子と我が家の次女はラジコンで遊んでいて、同時にいくつかの遊びの輪ができています。
最初は私たち親子3人だけで小さくひとつの遊びをしていたのが、いつの間にか大人数での遊びができるようになり、さらに人数が増えて同時に複数の遊びの輪ができていました。
これって、自分がやりたいことを始めて、その取組が育っていくプロセスに似てるなって思ったんです。
ある取組を、最初は一人または少ない人数で始めて、次第に一緒に行動してくれる仲間が増えて、仲間が増えたら同時にできることが増えていく。
こちらの記事でご紹介したさいたま新都心で取り組んでいる「つきのとかげプロジェクト」も、私ともう一人の出会いから始まって、今は多くのひとが朝活に参加してくれる活動になりました。
この1年半くらい実験的に取り組んでいる公務員仲間の「オンラインスナック」や「係長同士の学び合いの場」も私たち三人の語り合いから始まって、毎回参加者が来てくれる場に育っています。
公園では一緒に遊ぶひとが増えていくつもの遊びが繰り広げられるようになりました。私の個人的な活動では、関わり、参加してくれるひとの輪が広がっています。
共通するのは「止めなかった」ということ。
公園で、私たち親子で遊んでいたときに「3人じゃつまらないから帰ろう」と公園で遊ぶのを止めて家に帰っていたら、その数分後には、その公園は、次に来た近所のお友達とお母さんが2人だけで遊ぶ空間になっていたはず。
私たち親子3人が数分間だけ長くいたから、後から来た親子と会えて、鬼ごっこが出来るようになり、楽しそうな歓声が聞こえる空間になりました。
楽しそうな歓声は、何もしなくてもそれ自体が人を呼ぶ魅力になり、後から来たひとたちをますます公園に惹きつけ、とどまらせる力になります。
私が取り組む活動でも同じような気がしていて、続けていることでその様子を見て、関心を持ってくれるひとはいますし、そういう人の中から「一緒にやりたい」と言ってくれるひとも現れます。
それが二人でも三人でも、もしかしたら一人でもいいのかもしれません。
活動を続けていれば、きっと楽しいこともあるし、充実感を覚える経験も出来る。
その姿は公園の歓声みたいなもので、それ自体がその活動に参加したいと思わせる力になるんですよね。
そういえば、継続することとはちょっと違いますが、以前、豊島区でコミュニティづくりの活動をしている人の話でとても印象的だった言葉がありました。
例え、今月は参加できないとしても、来月でも再来月でも、そこに行けば参加できる「場」があるということは、それだけでその人にとっての価値だと思うんです。
毎月やる、つまりはそのひとが行こうと思えば、その場所は約束されている。
そのことが、ある人にとって、そこに自分の居場所があるという“意識”を生み、その意識が他の人の意識とともにある「場」と結びついている状態を私たちはコミュニティと呼ぶのかもしれません。
公園でも、誰も来ないかもしれないと思って立ち去ると、結局誰とも出会えないのですが、誰かと出会えるまでそこに居続けることが出来れば、そこには出会いがあり、つながりが生まれる。
何か取り組み始めたいなと思うなら、最初は自分ひとりで始めればいい。
大切なのはそこに居続けること。その活動の中に常に自分が居続けること。それによって関心を共有できるひととも出会えるし、出会ったひとたちの中から、仲間になってくれるひとが現れます。
終わらせた方がいい活動は見切りをつけつつも、自分が大切だと思う活動においては公園から帰らない一人目でありたい。私はそう思っています。
皆さんは、如何お考えですか?
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2021年2月に初の著書を出させていただきました。
主に若手公務員を対象に「公務員が充実した気持ちでイキイキと働くことが、住民の幸せにつながる」という想いで、「自分の人生のハンドルは自分の手で握ろう」というメッセージを込めて書かせていただきました。
そのあたりのことは、こちらの記事でもお伝えしています。
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