私たちにできること~埼玉県虐待禁止条例の改正について~
埼玉県がお騒がせしております。
埼玉県議会9月定例会において《議員提案》により上程された議案25号「埼玉県虐待禁止条例の一部を改正する条例」が、とんでもない内容だとネット上に留まらず、埼玉県内に留まらず、話題になっています。
1.どんな条例案か
話題になっているのは、埼玉県虐待禁止条例(平成二十九年埼玉県条例第二十六号)の改正条例です。埼玉県虐待禁止条例(平成二十九年埼玉県条例第二十六号)は、児童・高齢者・障害者への虐待を防止するために制定された埼玉県独自の条例であり、禁止される虐待について定義し、県民に広く啓発するとともに、県や関係施設の義務などを定めています。
今回の改正案は、元の条例に新たに「放置」という概念を拡張し、親などの義務を定めようとするものです。
具体的にはこのような内容です。
今回の改正にはこのほかに、3年生以下で義務とされる行為について、4~6年生において同様の行為が努力義務とされること、それらの行為について県民に通告・通報義務が課せられることが定められています。
2.このまま施行されると
この条例が予定通り2024年4月に施行されると、どんなことが起こるのでしょうか。この点は、10月7日の読売新聞の記事が分かりやすく報じています。
記事によると以下の行為が「禁止」になるようです。
小学校3年生の子どもをひとりで留守番させることや、小学校3年生の子どもだけで下校することや、小学校3年生の子どもだけで公園で遊ぶこと。
これらが禁止されることになるようです。
「禁止」という報道等での表現については、地元大宮選出の自民党の国会議員が当初「禁止」とは聞いていないという旨、Twitter(現「X」)で発信していました。
しかし、県議会HPで公表されている議案を読む限り「当該児童を住居その他の場所に残したまま外出することその他の放置をしてはならない」(改正案第六条の二(児童の放置の禁止等))とされており、罰則はともかく、禁止するものであることは明らかなようです。
(ちなみに当該議員は、当該発信を引用する形で、断固反対する旨を発信しています)
何らかの事情で我が子に留守番を頼んだり、お使いを頼むことは、一般庶民の感覚からはさほど違和感がありませんし、公園で子どもたちが遊ぶ様子もそれが不自然とは映りません。
私自身も子どもの頃は鍵っ子として、長い時間をひとりで留守番することもありましたし、幼稚園の頃から友だちと公園でも広場でも遊んでいました。
今でも近くの公園を覗けば、そういった光景が見られるのを、私自身は健全な様子として見守っています。
不安に思うのは、そういう周囲の大人の目が届かなくなることの危険性。
今までやむを得ず留守番などをさせていた親も怠惰的・過失的に放置していた親も、どちらもそれを(巧みに)隠そうとして「ひとりで居る子ども」が周囲の大人の目に入らなくなるのではないでしょうか。
それは結果的に、この条例が根絶したいとしている「危険な放置」を見つけにくくするのではないでしょうか。
3.困るひとたちの声
埼玉新聞の記事を読んで驚いたのがこちらの県議の答弁です。
前掲した読売新聞の記事での「禁止事項」と併せて読むと分かるのですが、例えば共働きで学童などを利用しながら、柔軟に子育ての時間を捻出したり、家庭のタスクをやりくりしようとする家庭には、かなりのハードルの高さです。
さらに、シングルマザー/ファザーなど、お一人で子育てをしている方にとってはさらに深刻な問題です。
ネット上でも、「我が家は条例違反なのね」「こんなの共働き/シングルマザー/シングルファーザーには無理!」「私の親って私に虐待してたことになるんだ……」といった批判と諦めと呆れとが混ざった声が溢れています。
そして、目につくのが「これを提案した議員って、きっと子育てしてないよね」という声。
そう、この議案、実は議員提案の議案なのです。
4.役所ではなく《議員提出議案》
この議案は、埼玉県議会に令和5年10月4日付で埼玉県議会議員から提出されたものです。
地方議会で諮られる議案には、役所が提出する議案の他に、議会の構成員たる議員が提出する《議員提出議案》があります。数で言えば、役所が検討し議会に提出する議案(予算議案も条例議案も)が多数ですが、議員側から提出される議案もあるのです。
この埼玉県議会における虐待禁止条例案も《議員提出議案》。
提出にあたっては、こんな理由を付しています。
この理由の特に「児童が放置されることにより危険な状況に置かれることを防止する」という考え方は、私も非常に重要なことだと思います。
ただし、そのために「当該児童を住居その他の場所に残したまま外出することその他の放置をしてはならない」とする中身が、現に批判が集まっているように、現実に即しておらず、恐らくは検討過程の議論の解像度が不十分だったのではないかと推察されます。
これはあくまで個人的な見解ですが、《議員提出議案》というのは、今後の県政において何を大切にすべきなのかを見据えて、基本理念などを定める際に非常に有効だと感じています。
役所側が主体的に検討する条例などは、その構造上の限界からどうしても各部署の所管する分野や、日ごろ接する意見や現場の課題に囚われがちです。そこを分野や関係者の垣根を超えて、広く県民の声を集めて、本当の意味で県政の進むべき道を、県民の声に基づいて定めることができるのが《議員提出議案》の大きな存在意義ではないでしょうか。
ひとりの木っ端役人として、日々行政の課題や地方議会の在り方に接しながら、今回の件から感じることです。
そして、私が感じている《議員提出議案》の存在意義と照らして、今回の条例改正議案はどうなのだろうか……と考えてしまいます。
5.議案の可決を防ぐためにできること!?
現在、この議案に反対する署名活動が行われています。さいたま市PTA協議会が発起人となっているものと、個人の方が発起人となっているものがあるようです。
条例案は埼玉県議会の福祉保健医療委員会で10月6日に審査され、委員会として本会議にて採決することを決定しています。
状況的には、埼玉県議会が今回の条例案の提案会派で多数を占められていることから、採決が行われ、賛成多数で可決される可能性が濃厚です。
そのような中で、できることがあるとしたら、上記のような署名活動も一つの方法ではあります。多くの声を集めて、世論を背景に県議会に判断を求めることは必要な手だと思います。
そのうえで、県議会の手続き論的に、どのような可能性があるのか、私も不勉強な中で考え得るとしたら、次の2つかもしれないと思っています。
ひとつは本会議での今期の採決の見送り。
通常、委員会で審査を終えて本会議に送られたものは、基本的に採決されます。
しかし、本会議の進行などは最終的には、議長・副議長・議会運営委員会(理事会)などにその権能が集まっています。
議運(理事会)などで、この問題の世論の反応を重く見て、何らかの方法で委員会としての審査を再度求める形や、委員会の正副委員長からの求めにより(という形をとって)再度審査することは、制度技術的には不可能ではないような気がします。
委員会での再度の審査を踏まえ、委員会として継続審査として、次回以降の議会で修正案の可能性も含めて審査することはできるかもしれません。
もう一つは、今回採決される見通しである「第二十五号議案 埼玉県虐待禁止条例の一部を改正する条例」の可決を前提に、ただちに、改正後の埼玉県虐待禁止条例を上書きして再度改正する条例案を審査し、可決すること。
通常の議会日程であれば、条例案を審査する委員会の日程は固めて設定されており、それらが終わった後は、条例案を審査するために委員会を開くことはあまりありません(視察先や調査研究の検討など、議案とは異なる案件で日程が確保されていることはあります)。
ただし、これも議会内のルール、例えば正副委員長だったり委員会理事会の決定によって、当初予定のなかった臨時日程で委員会を開催することは、それほど珍しいことではありません。
いずれにしても一つ目のオプション同様、正副議長や議会運営委員会(理事会)の判断次第ではありますが、臨時の本会議で上書き改正条例案を委員会に付託して、ただちに委員会で審査し、本会議に送り、採決するという流れは、極めて特殊で例外的な扱いではありますが、これも制度技術的に不可能とは言えない気がします。
では、あとは県議会の良識に任せるしかないのかというと、私はそうではないと思います。そこで署名も活きてくる可能性があるのです。
繰り返し書いたように、最終的には県議会で権力を持つ正副議長や議会運営委員会がこのままこの条例案をすんなり本会議で取り扱うのかどうか、というのがポイントになると思います。
でも、彼らも最大会派である自民党出身であったり、その意向を無視できない立場でもあり、何も後ろ盾がない中で、党内・会派内で、一方では委員会で「可」としたものを、議会の別の立場から「否」と言うわけにはいきません。
なので、ポイントは、自民党埼玉県連と党本部との間で「この条例案は、県連のメンツをつぶしてでも取り下げてもらいたい」と合意することではないかと思うのです。
例えば、岸田総理は解散の時期を政局のカードとして使っている中で、今回の騒ぎが国内の世論を「自民党はけしからん!」という方向に運ぶようなことが明確に感じられる状況になったら、党トップのガバナンスとしてはもちろん、首相として「解散カード」が封じられ、選択肢が奪われます。
高次の政治判断が求められる中では、そのカードを切るか否か以上に、「いざとなれば切るぞ」と多方面に思わせるカードが1枚でも多いことが有利に働きます。逆に、そのカードを1枚でも減らすことは、政権運営上のダメージです。
しかも、しかも、岸田政権が重要政策として掲げる「『年収の壁』をなくして、もっとみんなガンガン働きましょう~!」という方針とも、真っ向から衝突することを、条例案の提案者の皆さんは自覚されているのでしょうか。
年収の壁を気にせずガンガン働くためには、今の共働きの家庭が直面しているように、ピンポイントで子どもの生活力に頼る場面が出てきます。お留守番をお願いしたり、お使いをお願いしたり。友だちと公園で遊んでいる間に、自宅でオンラインミーティングなんてこともザラでしょう。
でも、埼玉県では、今回の条例が施行されれば、ガンガン働くことの大きな障壁となるのです。この条例の施行は、今の政権の政策の足を引っ張る可能性があります。
そう考えると、年内とか春までにとか、解散のカードを手放したくない状況の中で、この問題が影響を及ぼすくらい国内で大きな話題になれば、県議会の中でも風向きが変わる可能性が、小さいけれども、あるかもしれません。
諦めずに騒ぐことは、微力であっても無力ではないかもしれないのです。
6.現在の民主主義的な何かの限界
ここでは語りつくせませんし、かなり原稿量も大きくなってきたのですが、最後に「民主主義」のことを。
本来私たちが慣れ親しんできた議会制民主主義は、選挙によって選ばれた議員が地方議会という地方の立法府で民意を代表する判断を重ねることで機能するものです。
その機能をさらに充実させ、高解像度の判断を期待するために、多くのひとが選挙に行き、多くの票の中から議員が選ばれるのが望ましいと言われています。
ただ、今回の件を見ると、1年前、2年前にある判断基準で選んだ議員が、私たちの望むような政治的行動をとるとは限らないことが分かります。選挙当時はとても素敵な候補者で、私たちとの考えも一致していて、このひとになら託してもいいと思ってもらえたひとたちが、今回のような条例案を《議員提出議案》として制定しようとするのです。
そう考えると、4年に一度しか行われない選挙で、そのときに得られた情報だけで「今後4年間の県政」を託すというのは、とてもとても難しい問題をはらんでいるんだなと気付かされました。
行政側が立案する計画や条例案であれば、議会での様々な審査に堪えるように、様々な立場の人たちのご意見をお聴きしたり、専門家審議会のようなものを経たり、事前の議会筋や地元への根回しなどを重ねたりして、磨かれたものが議会の委員会で審査され、ようやく採決に至ります。
でも、《議員提出議案》には、それらのプロセスの多くを省いて提出することができてしまうことが、今回の件で分かりました。
これはなかなか悩ましい問題です。
この件を踏まえて、有権者として県議会議員選挙に積極的に臨もうという声は高まり、投票率も向上すればいいなと思います。
ただし、そこには構造的な問題として、上記のような問題があることも忘れないようにしたいなと思ったのでした。
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そのあたりのことは、こちらの記事でもお伝えしています。
よろしければお手に取っていただけたら嬉しいです。
また拙著に関連する記事はこちらのマガジンにまとめて掲載していますので、併せてご覧ください。
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