方向への希求、同じで別々で
2024/03/31
知人に他人に興味を持て、と言われた。その真意は分からず終いだが、一利あるだろう。私なりに他者の記録を始めようと思う。
同じ椅子に違う人が座るスペクタクル
当たり前なのだが、電車の醍醐味は同じ椅子(というのは語弊があるが)に違う人々が座る、というスペクタクル、その点にあると思う。電車製造者、運転士、乗客の時間と空間が交差してドラマが生まれる。面白い。駅によって、時間帯によって人々の顔つきも服装も異なる。人間ならではの楽しみだ。(別に居酒屋でも喫茶店でもいいのだけれど移動し続ける空間という浪漫が電車にはある)
あっち行きたい、泣き叫ぶ子供
駅ホームにて号泣している子供がいた。恐らく2歳くらいで、父親らしき人に抱きかかえられている。ホームに響き渡る声で“あっち行きたい”、と叫び続けていた。その声を聞いてハッとした。その子供は電車の向かう方向を指差しているのである。電車よりも速く、その方向を希求している魂の叫び。まだ来ぬ電車をこんなにも切実に声の限り希求する人間。
私は所有欲でも、承認欲求でも無い、雑念の無い、純粋な方向、移動欲求の切実さに胸を打たれた。皆、そのように将来を夢見て泣き叫べばいい。そんな社会がいい。その声で地球は自転も公転も辞め、分裂し、統合し、個々人の方向へ向かい出すだろう。その先は銘々決めればいい。阿鼻叫喚、五月蝿い、健全な社会。自由になるとはそういうことなのだろうか。
小籠包の餃子化
“今日のご飯どうしようかな"
母親が子に訊ねる。
“そんな事言われても"
“小籠包あるよ、餃子にする?”
“うん、小籠包”
“焼いたら餃子になるね"
“うん、ゲームしたい”
“あんたゲームやめなさい、って言っても直ぐ止めないんじゃない?どうなの?”
“うん”
親子は電車を降りて行った。私は中華に疎いので小籠包からの焼き餃子に変化するメカニズムはよくわからないが、家族の会話に特徴的な省略の手本のようで良かった。
運転士さんの感情
電車に乗り遅れ、かつ荷物をドアに挟めてしまった人に対し、“只今電車に乗り遅れた方の荷物が挟まったため発車遅れました”と運転士さんがアナウンスしていた。車内で細波のような笑いが起きた。
張り詰められていた空気が緊張感を保ったまま、弾けたような、ロイ・アンダーソン的な間合いだった。
煙草について語る二人
電車を降りた。
車内で鍛えられた聴覚は街でも研ぎ澄まされている。
街中でビルとビルの狭間に追いやられた喫煙者たちを見遣りながら二人の男性が話している。
[こんな風に喫煙者って追いやられていくよね]
{厳しい気もするけどね、俺吸わないけど}
[受動喫煙やっぱ駄目だってね]
{まぁね、しゃーないか、でも俺の知り合いの煙草吸う人の煙草吸う理論面白くて}
[何、何?]
{なんか、ずっと吸いたいんだって、煙草、あ、てかまず、吸わない人の幸福度を10とすんのね}
[はいはい、]
{で、吸ってる人は6とか、そんくらいで、ほら、ストレスだから、吸えない事が、常に吸ってたいわけだから、}
[あ、6なのね、なるほど、んで?]
{で、ずっと吸えるタイミングまで我慢してて、吸ったら4上がるし、若しくはそれ以上じゃん、体感が、幸福度の、}
[ほぅ、]
{それが、忘れられないんだって}
[んー、俺、それ違うと思う]
{違う?}
[それはねぇ、、、言葉にできるようなもんじゃないのよ]
{言葉にできないかぁ}
[なんだろうねえ、、、]
{うーん}
[なんだろうねえ、、、言葉に、、、出来ないなぁ]
私の意識はその辺でフェードアウトし、路上で配られていたエナドリに向いたので彼らの検証の結果は分からない。
『みんなおんなじだね』
どの辺りに同じさを見出したのかはわからないのだが、そう呟いているお母さんが居た。駅ビルの服屋辺りであった。
娘と思き人は、そんな事ないでしょ、と返していた。
が、母親の声にはつまらなさ、が滲んでいた。まぁ、全く同じではないけど雰囲気がねえ、、
わかるよ、お母さん。目新しい気がしても、既視感しかないのでしょう。何で広い世界でそんな事が起きるのでしょうね。
自分の感性が小さな差異に気がつかないほど錆びついているのだ、という事もできるでしょう。しかし、その差異さえ既視感がある。歳を取るってそういう事なんでしょうか。いや、本当にみんな同化してるのかもしれません。三時間くらいお時間頂いてお話しせませんか、お嬢様もよければご一緒に、、、
新手のナンパ師になるところだった。
どうですか?一緒に、別々に考えませんか?
to be continued…