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大晦日に吉原を歩く。

みなさん、ごきげんいかがでしょうか、しまたかです。

フィルムカメラで撮った写真、それまではポイントが溜まるからといってビックカメラに現像依頼していましたが、兎に角時間がかかるのなんの。
35㎜はともかく、ブローニーは時間がかかるし、110フィルムは扱ってくれませんからね……
それで110フィルムも扱ってくれるということで郵送現像のサービスをしてくれるチャンスカメラに依頼したら、3~4日で出来上がってくるではありませんか。
スマホやデジカメで撮った写真はブログやSNSでアップすることが可能ですが、フィルムカメラで撮った写真はすぐには公開できないので、速報性がウリのSNSにはあまり向かないんですよね❓
まあ、そればかりは仕方がないことでもありますが、現像で仕上がった写真は順次SNSとかこちらのnoteでアップしていきますので、何卒良しなに……

で、今回は大晦日に撮った写真。
2024年も1か月を終えてもう2月というのに、昨年の話……これもすぐにアップできないフィルムカメラの写真の性格ゆえにてご容赦を。

大晦日に年越しそばを食べに浅草へ出かけたついでに、少し足を伸ばして吉原へ。
吉原というと、”大人のお風呂屋さん”がいっぱいある街で有名。
そのお風呂屋さんに入りに……行ったわけではないんですよねぇ(笑)
ここは江戸時代から戦後まもない時代まで約300年間、遊廓だった場所で、その名残が今も残っているのです。
まあ、今でいう”大人のお風呂屋さん”も遊廓の流れを汲んでいると言ったら間違いではないんですけどね。
因みに、「吉原」という地名は現在の東京に存在しておらず、今でいう地番で「台東区千束四丁目」がまるまる遊廓のエリアでした。

現在の地番に”吉原”は存在しない。
現在の「台東区千束四丁目」が吉原遊廓(赤線で囲まれたエリア)

歴史の長い吉原遊廓ですが、度重なる大火に大正12年の関東大震災、昭和20年の東京大空襲ろ焼失の憂き目に遭っては復興という繰り返しで、江戸時代はおろか戦前の名残りは皆無。
しかし、戦後に「赤線」という名前で復活して昭和33年に売春防止法施行まで事実上の遊廓が存在していたその名残は現在も少ないですが残っています。
今回はその名残をたどって歩きました。
なお写真はDiana Babyで撮ったです。


まずはこちらの建物。
カフェーだったのをアパートとして転用されえたもの。
カフェーの外観は色っぽく目立つようなファサードが多く、こちらも建物角が隅丸で、外壁に丸柱をしつらえているのが分かります。


こちらはお風呂屋さんが密集している通りの裏路地にあり、こちらもカフェーからアパートに転用されたもの。
外壁にハートの形に見えるデザインが如何にも色っぽい。
あと軒下には照明の跡が見えますね。
夜の客を呼び込むために色っぽく灯されたんでしょうか。


先程のアパートの近くにあるこちらの建物。
分かりづらい路地に残ってます。
かつての玉ノ井もそうですが、表通りからはわかりにくいような場所に色街が残っているものですからね。
出っ張りの両側に丸柱、鮮やかな石貼りが目立ちますね。

かつてはこういった色っぽい意匠の建物が多く残っていたのですが、結構消えていて、今では数えるほど。
残っているこれらの建物もいつなくなるか分かりませんからね。


こちらは遊廓から少し外れた場所にある吉原神社の向かいの「吉原弁財天」の境内。
吉原はもともと「葦原」と呼ばれていたように葦が生えるほどの湿地帯だったのですが、江戸時代にこちらを開墾し遊廓が造られた際に「葦(あし)」イコール「悪し(あし」と縁起良くないから「良し原」から転じて「吉原」と付けられたほど。
境内には大きな池があったのですが、関東大震災の折に逃げ遅れた多くの遊女たちがこの池に飛び込んで溺死してしまうんですね。
そういった犠牲者を弔うために追悼記念碑が建てられ、観音様が祀られています。
関東大震災から100年経ちますが、そんな遊女たちの悲哀の思いをはせるために訪れておきたい。


大人のお風呂屋さんが多く集まる町ながら、児童公園があるのが面白い。
向こうに色っぽいお店が並んでいるのが分かりますね。
そもそもこの児童公園もかつては大店の妓楼だったそうで。


大晦日の昼間の吉原の街並み。
閑静な佇まいながら、しっかりと開けているお店も少なくなかった。
吉原は基本的に年中無休なのでしょうね。
夜ともなれば送迎の車がひっきりなしに通りかかります。


吉原から外れ、ジョーの像を。
「あしたのジョー」の舞台が吉原の近くにある山谷(さんや)と呼ばれるドヤ街だったというのは有名。
因みにこのジョーの像があるのは「土手通り」で、かつては山谷堀と呼ばれる水路が流れ、浅草から吉原へ行き来する運河として船が行き来してました。
その山谷堀に沿って土手があったんです。
因みにここの地番は「日本堤」、「堤」という文字がそれを物語ってます。


その土手通りに並ぶ歴史的な店構え。
手前が「土手の伊勢屋」という天ぷら屋さん、奥の隣にあるのが馬肉を扱う「中江」、いずれも精をつけるための食べ物で、遊客は登楼前にここで食べたんでしょうね。
因みにこの二軒はいずれも国の登録有形文化財に指定されているほどの建物。


その「土手の伊勢屋」「中江」の裏の通りにも古い木造家屋が。
通りの向こうにスカイツリーがそびえてるのが見えますね。

というわけでざっくりと歩いた吉原の様子をトイカメラで撮ったわけですが、しかし大晦日だというのにこんなとこで何してんだと我ながらに思いますね。

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