自分の”哲学”で生きるぞ宣言【 #Cplus 参加日記Vol.7】
Cplus第3期、3月21日の13時で公演(発表)が終わり、16時でプログラム自体もいったんは終了しました。
【FacebookLiveでのご観覧ありがとうございました】
さて。
さて。
さて。
今回のCplusを通して、面白いと思ったこと、苦しかったこと、そして感じたことが多くありました。
そのことを、「#Cplus参加日記」として書き続けてきました。
正直、書くのが途中から大変だった(仕事が遅くまで続いたのもあって、土日に書く元気がなかったという言い訳)のですが、なんとか参加日分くらいは記事として書きあげられていました。
そんな筆まめのおかげで、次の項に書く「普通宣言」をすんなり書けました。久しぶりに自分をねぎらいたい気分です。笑
いやー、ホントにここまで「普通ってなんだ?」なんていう抽象度の高い疑問を、1人ではなくいろんな人と議論しながら、人に何か伝えられるものまで持っていくということって大変なんだなと、参加した側として感じました。(動かしているスタッフ陣の苦労ももちろん…)
答えがない問いは世の中沢山ありますが、時間をとって議論し何か人に結論のようなものを伝える機会が社会人になるとなくなるんだな、というのをこのプログラムに参加して感じます。
だから、オンラインであっても、貴重な場づくりだと思います。実際、演劇がしたい!というよりも「普通ってなんだ?って話しに行くのよさそう」のほうが勝っていたので。
Cplusでは、グループとしてのメッセージを表現する、アウトプットするのですが、そのあと、個人がテーマに沿ったメッセージを発信する時間があります。エンディングであり、最後の個人の発表です。
普通宣言【自分哲学で生きる】
この「個人の発表」は、1枚の紙にテーマに沿った、自分が考えたことを書いて表現するということをやります。
今回のテーマは、「普通ってなんだ?」…ではなく「普通宣言」。
当初言われたときは、なんのことだ?と思いましたが、過去のnoteと毎回プログラム実施日のアンケートを読み返していたら、すぐ降ってきました。
当初、普通宣言として「マイルール・マイスタンダード」と表現していました。
「他人の『普通』で、自分の『普通』を決めない、自分のルール・自分のスタンダードを」と考えて、伝えたいと思ったのです。
それを書いた後に、グループに分かれて発表してフィードバックをもらうのですが、「マイ・フィロソフィーの方がよくない?」とその中で言われ、それだ!となって変えました。
【自分哲学で生きる】。
今の僕に「自分哲学」がない、ということではないのですが、ほかの人に「その生き方を持てばいいんじゃないかしら?」ということを伝えたい、という想いがありました。
また僕は「自分哲学」があっても「それで生きる」ということができないということがあったので、「"自分哲学"で生きる」までを宣言として入れました。
降ってきたのは、おそらくこの記事を書いていたせいもあったのかと思います。
「普通の人生」というものがおそらくある(僕はないと思ってますが社会的な認知として)かと思います。
でもそれを選ぶのも選ばないのも、またどんな道を歩こうとも、信じた道ならば、「心の決めたままに」。
プログラムを通して「普通とは、人がどうとらえようとも、存在はしている」ということを表現し、自分も納得したのですが、その納得の上で「じゃあどうするの?」の答えを見つけた、それが「自分哲学で生きる」という言葉だったのかなと思います。
※自分哲学が凝縮されているのはなんだかんだこのnoteな気がします。ちゃんとこれに従って生きていきたいな。
noteを編み続けてみて
改めて、今回のCplusを通して体験日記をお届けしてきたのですが、コツコツと何かを書き続けることって大変だなあとふと思ったと同時に、そうは言いつつもやれてる自分もいるじゃん、と受け入れてみるのも悪くないな、なんて思いました。
書こうと思った意図を今更ながら読み返そうと思ったのですが、そもそも書いてなかったのでここで。
今回のCplus参加にあたって、ブログではプログラムの状況は見えるけど、「個人がどう考えて発信しているか」までは見れないのかなと思って、いうなれば「ユーザーズボイス」的に、参加してどう思ったのかを率直に言うメディアを作ろうと思ってチャレンジしてみました。
※といいつつも、ブログにはインタビュー記事が上がっているのでそちらも参加者の声としてはすごくすぐれたものだと思います。
だから、大変でも「自分の発信が何かの役に立つかな」と考えての行動だったのです。(これがnoteに限らず、動画、音声でもいいと思います)
結果的には、「何が自分にとって影響を及ぼしたのか」というのも可視化されたので一挙両得でしたが。
個人的に意識した点がもうひとつあって、それは「Cplusはいいものだ!」というコメントを極力控えて、フラットに書くことに意識を置いた点です。
ともすれば、ただひたすら広告するだけになってしまうことを、僕は全く望ましいと思わなかったのと、広告は自分じゃない人のほうがうまくやると思ってました。
正直読みやすいかと言われたらそんなに読みやすくはないと思うんですが、それでも書いて、何か届けばいい、と思っています。
一旦この号をもって、筆をおこうと思います。ありがとうございました。
おまけ:この1か月間は「苦しかった」
おまけです。Cplus1か月間は「個人的に苦しかった」ということを感想文に書きました。
何とか駆け抜けきりましたが、Cplusを途中で降りたかったのは間違いないです。
マスター役もやりたくなかった。期待はうれしいけど期待されて失望されるくらいなら期待なんかいらない。そう思ってました。だからいま何とか安堵しているのかとおもいます。
この1か月は、本当に長いトンネルに入ったなという感覚がありました。
1期のときは終わる前くらいにちょうどトンネルを出てきた感じだった一方で、今回はトンネル突入から今もずっとトンネルの中という感じです。
主役級になること、それ自体がどうも重圧で、しかも2回目の参加で「前回よりうまくできる(だろう)」というプレッシャーもあって、「頼むから期待しないでほしい」と思っていました。なんなら言いました。
今も、トンネルの中です。
わからない、トンネルを抜けたと思うのは、そもそも常にトンネルなんだけど一瞬外に出ている(例えば丸ノ内線の後楽園駅のような)だけで、外に抜けていることもないのかもしれないです。
だから歩こう、立ち止まっても前を向こう、歩くのに疲れたなら座っても寝てもいい。
「自分哲学で生きる」は、人生がトンネル内だろうとあんまり関係ない、だろうし、ね。
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