ボクがととのえたい「プレイス」の話【しまさんの読むラジオ】
こんばんは。
突然ですが、今あなたは、どこにいますか?
家でしょうか?
外でしょうか?
職場(学校)でしょうか?
もしくはよく言う「サードプレイス」でしょうか?
奇遇にも、「サードプレイスを作る」ということに関連して、様々なコミュニティ作りや運営に関わることが自分は多い。
例えば、横浜の社会人ボランティアコミュニティに関わるとか。
例えば、自らが関心のある「寄付」「ソーシャルグッド」に関心を持つ人の幅を広げるバーイベント「KIFUBAR」を開催するとか。
はたまた、「コミュニティ」をテーマにした、運営者たちのカンファレンスに参加して「場づくり」を学びに行くとか。
他にもいろいろありますが、家でも職場(学校)でもない、「サードプレイス」を作る(+自らの居場所にする)ことには気が付いたら成功していると思っている。ちまちまトラブルがあるにせよ。
今整えたいのは
でもそんな「サードプレイス」的場作りをしてきて、感じた「寂しさ」なのか、「違和感」なのか、それともやっと出てきた「欲」なのか。
改めて、一日のほとんどを過ごす時間はどこか?
それは家、職場(学校)のはず。
最近とある曲をきいてから、
家を整えたいな?
と思い始めた。
そんな一曲とともに、僕が整えたい「家」の話にでもしよう。
日々はいつも似てるけど
今年1月、僕は神奈川県川崎市の実家を離れ、山梨県甲府市にやってきた。親の縁故もない、知り合いがいるから何かあれば頼れるかな、という気持ちで、覚悟もあったけど、「最悪川崎に帰ろう」と思いながら、やってきた。
唯一、目的があるとしたら、「人生をリセットしつつ、整理したい」だった。いったんいろんなことを投げて、やってみようという気持ちが回復するまで、どこかにいこう、だった。
そんなことを思って引っ越してきて、いつものようにウォークマンをつけた(僕は圧倒的にソニー党なのだ)
そこで流れてきた曲が今日の題材。
スピッツの「猫ちぐら」。
特にこの部分を聞いて、「家を整えたいな?」と思った。
なんだろう、これまで外(とあえて言おう)で参加したり作ってきたりしてきた「場」はみんなで作ってると思うんだけど、その「みんな」に僕が埋まってるんだな、と思う時がある。
気がついたら場を回す側、もりあげる側、みんなの場として成立させる側…と、特性とか得意とかなのもあって、役回りを先回りして確保している。
という話は以前書いた。
それは、イヤじゃなくて、むしろ楽しいくらいなんだけど、終わって、家に帰って、ご飯食べたり、寝ようと思ったときに、
「今日もひとりだなあ」
とふと思う。
たぶん、僕が僕らしくあろう、という思いは、ないようで、ある。それが、ひとりになって気が付くことなのかもしれない。
日々はいつも同じように見えて、違う。
その「違い」は、たぶんだけど、
明日はちょこっと違う景色描き加えていこう
というくらいの気持ちがあればもっと変わるんだろうな。
だから、安心していられる、「誰にもならないでいい」帰る場所が欲しいのかもしれない。
明日はちょこっと違う景色を描き加えるために、猫ちぐらのような、誰も奪うことができない帰る場所が。
それこそ「猫ちぐら」みたいな部屋なのかも。これまでたくさん関わってきた「場」とも違った。いうなれば「作りたかった小さな」部屋を。