202.プレ介護日記10_2/お正月の暮らし
交通費節約のため在来線で実家に向かっていたら、通路を挟んだ四人がけの席のおばあさんが「急行に乗り換えたいのだけどどうしたらいいか?」と周りに尋ねられていた。おばあさんの隣のおじさんはおもむろにリュックから分厚い時刻表を出して調べ出し、向かいの男の子はスマホで調べ、「この路線に急行はない」という結論。そこからの会話を聞くともなしに聞いていたら、その四人がけ席四人とも青春18きっぷで旅行中で、おばあさんは80歳オーバーで一人旅、隣のおじさんも一人旅、向かいの男の子は隣の父親と二人旅。男3人は鉄っちゃんのようで、マニアックな話をされていた。おばあさんは行き当たりばったり旅だそう。みなさんそれぞれに鈍行の旅を楽しまれていて、横で聞いているのも面白かった。
実家では先に姉が来ていて、夫婦二人で住む用に建てた家なので大人4人には手狭で、寝具の準備(客用布団を使っているので、とてもリッチな寝心地だ)や荷物の整理などでバタバタしていた。お正月は大掛かりな掃除などしにくく、おさんどん以外の手伝いはせずのんびりしていた。
することがあまりないのに、姉と私がいるのが勿体なく、若干、義務と辛抱、という側面があった。
ハハと姉は年末カラオケを楽しんできて、先にも書いたけど、家では懐メロ曲が鳴り響いていた。大晦日などは「年忘れにっぽんの歌」他BS番組やYouTubeの懐メロがずっとかかってて、「柳ヶ瀬ブルース」を日に3回も聞くことになった。認知症にカラオケは良いそうなので、チチと私はじっと我慢なのであった。
それにしても「わたし祈ってます」とか「昔の名前で出ています」「そんな女のひとりごと」とか、水商売らしき女の人の殊勝な歌詞が多くて、この時代は玄人の女の人にオジサンたちはコロッと騙されて毟り取られていたのかなぁなんて想像した。今だとSNSに身も蓋もないホンネが晒されていますけれど(それでも騙されてねぇ)。
ちょっと面白かったのは、最近手芸や折り紙に凝っている姉がずっとダイニングテーブルを占領していて、お昼は10時半、晩ごはんには3時を過ぎるとその準備にイライラし出すハハとプチバトルをしていたことだ。ハハが「もう片付けなアカン」とか言ってお箸や食事用のテーブルマットなど出し始めるのに、マイペースの姉が「まだ早いやん、ギリギリまでやるから」と対抗していた。
私はいつもハハのペースに巻き込まれて前倒しの準備になるので、お昼は正午12時、晩ごはんは18時の決まった時間より10分くらい早くなってしまう。姉は「お腹空いてないやろ?(定時より)30分くらい遅れてもいいんちゃう?」という対応なのだ。それでもハハの努力の甲斐あって、毎食定時スタートであった。
姉の名誉のために。毎日、ヨーグルトに庭のミカン(甘夏系のさっぱりした「はるか」という品種)を剥いて、チチ作のマーマレードをトッピングして腸活おやつを作ってくれた。ハハに折り紙を教えたり、手芸の作業を手伝うように言ったりもして、家庭内デイサービスも展開していた。
妹は3時のおやつ担当だ。今回は4分の1戦法。お茶でも淹れないと手持ち無沙汰で、でも食べ過ぎると胃の休まる暇がないので丁度良い。
初詣と日に一度、1時間ほど散歩に行く以外はずっと家にいて、ネットやSNSからも遠ざかっていたので世間からの隔絶感がえも言われぬ感じであった。TVはよく見た。「にっぽんの歌」の他は「箱根駅伝」や「相棒」「格付けチェック」など。「格付け」はハハのお気に入り番組なのだ。「ウィーンフィルのニューイヤーコンサート」や歌舞伎中継、「NHKニューイヤーオペラコンサート」なども久しぶりに見た。だけどもあまり集中して見られずで、「ワイルドライフ」やNHKの自然紀行的番組の方が印象に残っている。
TVは消したくないけど「(見るべきものが)何もない!」とチチが不機嫌になるので「孤独のグルメ」と吉田類さんの「居酒屋放浪記」や「にっぽん百低山」は有り難かった。
思い返すと、のんびりしすぎてモヤるお正月休みであった。チチに冒頭の80過ぎ一人旅のおばあさんの話をすると、自分も80くらいまでは徹夜で車を走らせて⚪︎⚪︎さんと植物採集に行った、元気だった、と言っているので、まだ60前の私がこんなにぼんやりしていてはイケナイかな。もう少しシャキッとせねば。