170.「美味しいお茶の淹れ方」とやりたいことをやるには?
普段は麦茶かインスタントコーヒーばかり飲んでいる私ですが、たまに美味しいお茶が飲みたくなる。上等なお茶などいただいたりするのでパッケージの「美味しいお茶の淹れ方」をよく読んで、その通りに淹れてみるのだけど、さっぱり美味しくない。
30年近く前、京都の町屋でルームシェアしている友人がいた。当時キモノにハマりまくっていた私に「古着の着物を集めている子がいて、しま子サンと気が合いそうだから遊びに来たら?」と声をかけてくれた。休日にホイホイと出かけて、自慢の着物コレクションを見せてもらって、その人は煎茶道を習っているとかで、おままごとのような茶器を出して、煎茶を振る舞ってくれた。もうええでしょう、と言いたくなるほど急須に残った最後の一滴まで注いで出していたのが印象に残っている。一口飲んで、手順に則り、丁寧に淹れたら、お茶ってこんなに美味しくなるんだ!と感激したのだった。
実家では食後にいつもハハが美味しいお茶を淹れてくれていたが、認知症になってからはパックのお茶ばかりだ。この間、和菓子に合わせて煎茶を淹れようと、ポットの98度のお湯を冷まそうとしていたら、「冷まさんで、(お湯を)そのまま入れたらいい」とハハが言うので、ホンマかいな、と思いながら上等なお茶に98度のお湯をダーーっとかけて淹れたら、ホントにいつものハハの淹れるお茶の味になったw 松縞家のお茶の味は、高温で渋みもエグみも出したガツンとした味だったのだ、と思っておかしくなった。私は、雑味の出たお茶(?)に慣れた味オンチだと判明してしまった。
実家から戻ってきて、ふとお茶が飲みたくなって、冷蔵庫に長らく保存していた賞味期限切れのお茶、パッケージに書いてあるとおり、湯冷しのお湯で30秒待って淹れてみたらまあまあ美味しかった。「10月のやりたいことリスト」のやり残し分の一つ「美味しいお茶を淹れて飲む」がクリアできたかな。「美味しいお茶の淹れ方」については、継続研究課題としよう。
他のやり残し項目を眺めていて、どうして「やりたいこと」がすぐできないのか?と思ってしまった。無職になって時間は自由になったのだし、自分がやりたいと思うこともある、なのになぜやらないのか?なぜやりたいことに手をつけずにダラダラと録画ドラマを見ているのか。本当に自分でも不思議。実はそんなにやりたくないことなのかも。または、やりたいことを迷わずやり遂げられるのは、オオタニサンのような成功するヒトなのかも?なーんて思ったりもして。
自分が楽しむためのリストなので、気張らずにやったり、やらなかったりしよう。
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