#3 「支配的」って?
こんにちは。
突然だけど、「支配」ってどんな意味を持っていると思いますか?
私が「支配」という言葉から連想するものは、独裁や圧政、手足の自由を奪わているような状態です。みなさんはどうですか?
さて、なんで突然こんな問いかけをしたかと言うと、私たちアートプロデュース学科の使命、ないしは美術、芸術の営み(と言うと振りかぶりすぎて荷が重いですが...)、私たちが学んでいることについてお話しようと思ったことから始まります。
再び「支配」の話に戻りましょう。ここでは 思想 的な意味での支配について扱っていきます。
思想家の内田樹(うちだたつる)の著書「寝ながら学べる構造主義」では、このようなことが言われております。(このタイトル良いですよね)
「ポスト構造主義」ということは、「構造主義が支配的な、あるいは有効な思考形式である時代は終わった」ということなのでしょうか。
私はそうは思いません。
「ポスト構造主義期」というのは、構造主義の思考方法があまりに深く私たちのものの考え方や感じ方の中に浸透してしまったために、あらためて構造主義の本を読んだり、その思想を勉強したりしなくても、その発想方法そのものが私たちにとって「自明なもの」になってしまった時代だというふうに私は考えています。
つまり、「構造主義」的な考え方やことばづかいが、「常識」となっており、「構造主義」のことばを用いることに疑問を抱かない状態、それを「支配的」だと言っています。
なるほど...。って感じですよね。と、同時に
「あれ?目の前で起こるいろんなことを『常識』としてみているかも」
「『あたりまえ』って疑ったことあるかな」
そんな気持ちになりませんか?
私たちもそういった意味で「支配」されているのでしょう。
では、ようやく本題「アートプロデュース学科の使命」「美術、芸術の営み」について話していきたいと思います。
アートプロデュース学科について、ほんっっっとにかんたんに説明すると、
私たちがいま持っている、既存の価値観や社会のあり方、関係性に、
美術、芸術作品を用いて、「問い」を投げかけ、
それまでの自分には無かった発想やものの見方を獲得して、
「わたし」あるいは「わたしたち」の持っている価値観や関係性を
解体、再構築することを促す。
ことかな、と考えています。もちろん私はこれができていないと思っているので、アートプロデュースを学んでいる...とは言い切れないのですが。
しかし、この説明では、
どうしてここまで「価値観」や「ものの見方」を疑ったりしないといけないんだ? となりませんか?
この問いに、私なりに応答するならば、
「今まで変わらずに生きてこれたの?」
という感じでしょうか。私は現在20歳になりますが(まだハタチ...この先まだまだ人生長いな...)幾度とない変化をしてきたつもりです。
小学校での身の振る舞い方と、大学でのそれは大きく違うし、一人で暮らしていくために身に着けた知恵やスキルもあります。
それは、自分を取り巻く絶えず変化し続ける環境に適応するためだったのではないかと考えます。そうしなければどんどん身動きが取れなくなってしまう(固まっていく)のではないでしょうか。
さて、現在(2020年5月20日)まさに、2019年5月とはまったく異なった
社会に私たちはいるのではないでしょうか。
ここで、今日の2限目の授業「美術史Ⅶ」で扱われたことについてお話していきたいと思います。
今日の授業は「美術史Ⅶ」のイントロダクションでした。つまり私たちがこれから辿る道筋をみること、地図を広げたようなものです。
授業内容は大きく分けて4つ、
1)近現代美術とはどういう営みか
2)近現代美術のながれはどう図式化できるのか
3)近現代美術はなぜ分かりにくいのか
4)近現代美術のことを考えて、何の得があるのか でした。
近現代美術に対しての一般的なイメージは
「難しい」「分からない」「何が言いたいの?」
と、こんな感じではないでしょうか。かくいうアートを学んでいる私自身も分からないし、難しいと思っています(汗
ですが、このようなイメージを持つのも当然だと先生は言います。なぜなら
近現代美術とは、「美術」「芸術」とは何か? を問うこと、答えること
だからだそうです。
マジか、って感じですよね。概念への問いかけ、それに対する答えを作品にされているのだからそりゃ難しいですわな。
具体的に言うと、どこまでが美術、どこからがそうじゃないのかを線引きする試みで、それを、過去の膨大な蓄積の中から探索するような営みが行われているのです。
そうした営みをなぜするのかというと、
「自己解体」と「自己超克(自己超越 とも言える)」
つまり、「美術」「芸術」のあり様を更新するため、これまで「自明」だとされてきたものに改めて目を向ける、疑うため。さらに言えば今までの自分の枠組みを取り壊し続ける営みのためである、そうです。
それは「自由になること」とも言い換えられます。
これまで無意識の前提の中に身を置き、見方・考え方がある種縛られていた状態にあったものを、解放する試みだと言えるでしょう。
こうした「自己解体」と「自己超克」を繰り返す姿勢から、私たちは多くのことを学ぶことができるというわけですね。
さて、私たちはどんな価値観やものの見方に「支配」され、固まった脳みそを所有し使用しているのでしょう。
このコロナによってもたらされたのは、ある面からみたら絶望かもしれません。しかし、社会のあり方、関係性のあり方、わたし、わたしたちの価値観が解体され、再構築しうる機会ともみれるかもしません。
そんなところで、#3は終わりにしたいと思います。
今日の内容を最後まで飽きずに読んでくれた方は、凄すぎる。
アートプロデュース学科に入りませんか?
ありがとうございました。
参考文献:「寝ながら学べる構造主義」 内田樹 文春新書 2002
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