考え続けるクライマーでありたい。
ボルダリングを始めてから、(2年ほどの長めのレスト期間を差し引いて、)そろそろ6年目に突入する。
自分は飽き性なので大抵のものは始めてみてもなかなか続かない。1ヶ月も続けばいい方で、5年以上続けられたものは片手で数えられる程度だ。
そんな中でボルダリングはめずらしく続けられている。
ここまで続けられたのならば、この先も長くライフワークとしてボルダリングと関わっていけたらいいのかもしれない、などと考えたりもしている。
長く続けていくのならば、なんとなくの指標みたいなものがあったほうがいいのかもな。と、ぼんやりと考え始めたのは昨年の夏頃からだったか。
なかなか考えがまとまらずに、そんな思考も放置していたら年が明けてしまった。ようやく重い腰を上げて、思考を整理しようと思う。
自分はどんなクライマーになりたいのだろうか。
ボルダリングは趣味のひとつでしかない。プロのアスリートでもなければコンペティターでもない、まして仕事で関りがあるわけでもない。ただの一般人だ。普通の人より少しだけボルダリングに詳しくて、ちょっとだけボルダリングが好きなだけの。
そんな人間がボルダリングで何を目指すのか。
ボルダリングを始めたきっかけは、職場の人から誘われて。
それからボルダリングを続けるようになったのは、運動不足解消のため。それ以外にも動機はあったが、恥ずかしいのでここでは伏せておく。
始めて数ヶ月くらいは7級も登れず、今思い返すとよく続けられたなと思うくらい苦しい時期が続いた。それでも半年ほど経過すると少しずつ登れる課題が増えてきた。登れるのが楽しくてボルダリングにのめり込んでいった。
途中でモチベーションの低下なんかもあったが、ずっと自分の生活の傍らにはボルダリングが存在していた。
今でこそ人並みに登れていて、ゆっくりとした歩みではあるが自己の成長を感じる。しかしながら、30代中盤となり少しずつ身体的な衰えを感じつつある。年齢はひとつの指標でしかないが、一般的には体力や筋力のピークを過ぎてしまった。
そんな自分は、いつまで、どこまで、先へ進めるのだろうか。
成長が途絶えてしまった時、ボルダリングとどの様に向き合うだろうか。
考え続けるしかないと思う。
これは、ボルダリングに拘らず、単に私自身の性分なだけだが。
自分自身に与えられたものを注ぎ込んで、いつか訪れる終わりに悔いのないように。
他人からは、なんだか真面目過ぎる、と言われそうだな。
ただの趣味に費やす熱量ではないような。
けど、私はボルダリングからたくさんの恩恵を授かった。その恩恵をどうにか少しでも還元していけないか。
結局、目標も指標もぼんやりとして、思考もまとまらないままだが。
ひとまずはこの辺でやめておこう。
気が向いたら考えていこう。肩の力を抜いて、気楽に。
整理されない思考を抱えつつ、一喜一憂しながらも、明日も私は登るのだろう。