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スタートラインはそれぞれ違う…

先日母の友人からお手紙をいただいた。
「お母様、どうされていますか?」と。
母は89歳で亡くなったが、母の友人は90歳を超えている。
訃報を伝えることにためらいを感じ、娘さんに連絡をとった。
挨拶をしたことはあるけれど、特に親しかったわけではない。
娘さんは母のことに驚きながら、ご自身の近況について話してくださった。今年お母様(母の友人)が大病をされたことをきっかけに、長年続けられていた仕事を辞めてサービスを利用しながら在宅介護をしている、とのこと。
母一人娘一人となった今、ぶつかることも多く、売り言葉に買い言葉で言い合いになってしまうこともある。
利用しているデイサービスのスタッフがとても優しくて「デイの人たちはみんな優しいのに…」とお母様に言われることもあり、そのたびに情けなくなってしまう…とのこと。
話すことができる相手がいなくて気持ちが鬱積していた時、たまたま私が電話をしたのでついつい心情を吐露してしまった…というわけではなさそう。
落としどころがなかった。
恐らく納得されていないのだろう、と思った。
お母様の状態にも、そこから余儀なくされた自分のライフスタイルの方向転換にも…。
話は迷走しながら1時間半以上続き、それでもまだ話したりないご様子だった。

相方の実家が今もめている。
いくつかの事情があって、相方のご両親の夫婦仲が最悪な状態。
相方のお母さんはお父さんに
「施設に入ってください」
と言っている。
全然施設に入るレベルじゃない。
腰痛からの歩行不安定はあるけれど、自分のことは自分でできる。
買い物にも行く事ができる。
携帯電話の会社に問合せの電話もできるし、その説明もできる。

ずいぶん前から、相方のお母さんからお父さんへの強い不満を聞いている。
私の前でお父さんを叱り飛ばすこともある。
どちらかと言えば亭主関白の関係。
なのに、私たちがいると強気になるのか「他人の私の前でそんな言い方しなくても…」と思うような勢いで叱りつけてお父さんが黙り込んでしまう時がある。
確かに私から見ても相方のお父さんは分が悪い。
分が悪いけれど、身体的にも精神的にもそこまで悪いわけじゃない。
けれど相方はお母さんの味方…なので余計にお父さんには分が悪い。
多分に夫婦の問題が含まれていて、ことを複雑にしている。

スタートラインが違うんだな…と思う。
母の友人の娘さんも、相方のお父さんも、「今」を切り取って考えれば、何が足りなくて何が必要で…どうサポートしてどう様子を見ればいいのかが見えてくるのではないかと思う。
けれど、家族とはスタートラインが違う。
「今」「外」から見る景色と、「過去」「内側」から見える景色は違う。
家族は元気で強かった時代のフィルターを通して「今」を見ている。
嬉しかったこと、楽しかったこと、悔しかったこと、憎んだこと、言われた言葉、された事…いろいろなフィルターが重なっている。

他人は「今」だけを切り取って見ることができるから…「今」がスタートラインだから…「今」に適した対応ができる。

それはその人に適した対応かもしれないけれど、その家族にとって正解となる対応かどうかはわからない。

介護の仕事をしていた頃、時にそのフィルターがやっかいなことになることがあった。
入浴を拒否して入浴中止としたご利用者の方の娘さんから
「母はお風呂が好きなのに…」
とクレームが入ったことがあった。

でも、お風呂が好きでご自分で温泉や銭湯に行かれたり、ご自宅で長湯をされいた頃とは違う。
機能性を優先したタイル貼りの脱衣室で、他人に服を脱がされて、入浴用の椅子で時間を決められて入浴する…。
ここで少しでもリラックスしていただけるような声掛けや雰囲気づくりはスタッフの力量でもあるけれど、それではカバーできない時もある。
だってご本人に羞恥心があるから…。
認知症でも羞恥心があるのはまっとうなことであると思う。
ご自身の羞恥心を無視して強行すれば、次の入浴は更に難しいものになるだろう。
当たり前のことなんだけどな…と当時思った。
でもやっぱりご家族は
「母がお風呂を嫌がるなんて、施設はどういう対応をしたんだろう」
と思う。
それは、スタートラインが違うから。

私自身もそういう経験をした。
老いていく父に優しくすることが難しかった。
だって父は暴君のような人だったから、弱っている父は「仮の姿」くらいに思っていた。
入所していた母にトップスを届けたときに、スタッフの方に
「娘さんが持ってきてくださる服はかわいいんですけど、デザイン性ではなく機能性や素材をもっと考えてください」
と叱られた時、とても傷ついた。
そのスタッフの方は、知らないから。
「私、あなたが買ってくれたこのデザイン大好きなの」
「あなたが買ってくれたあのブラウス持ってきて欲しいの」
と、まだ辛うじて会話が成立した頃、私に向けた母の笑顔と願いを知らないから。

その時は、ぐっとこらえて言われたとおりのものを買いそろえたけれど、なぜかそのスタッフの方からやけに敵視されるような言動が続いた。
当時勤務していたデイケア相談員をしていた私は、コロナにより様々に状況が変わる介護保険制度への対応、何度も急変して転院を繰り返す入院中の父や、父の入院に伴って急に施設に入所した母への対応でへとへとだった。
ある日、生活用品を届けた私に、そのスタッフの方が、兄が返却したはずの母の保険証について
「返却されていない」
「いつも連絡しても連絡が取れない」
「今ここでお兄さんに電話して確認してください」と詰め寄ってきた。
仕方なくその人の目の前で兄に電話したものの、兄には
「返却した」
と言われ「どうしたものか」と困り果てていた時、そのスタッフの方自身が、母の個人ファイルから保険証を見つけ出した。
その方の確認不足だった。
スマホを耳に当てたままの私に、その方は少し決まり悪そうに保険証を見せたけれど、最後まで謝罪は勿論何もコメントはなかった。
さすがに心折れて母の施設のホーム長さんに連絡をして相談した。
電話口で「○○さん(母のことで対応してくれったスタッフの方の名前)はとてもご利用者思いの熱心な方で…」と前置きしてホーム長さんは続けた。
「なので、強く感情移入をしすぎて自身の物差しで対応してしまったのだと思います」と。
残業の多い仕事をしていたので、母に必要な用品を月曜日に言われても火曜日には持っていけない。
買い物をして届ける時間を作り出さないといけない。
キーパーソンは兄だったので、施設が兄に連絡をしても、実際に対応する私に連絡がくるまでにタイムラグがある。時には連絡が来ないことさえある。

そういったところで、私たち兄妹に対していらつきがあったのかもしれない。
けれど、そういうことは施設が施設としてきちんと伝えてくるべきことで、責任者ではないそのスタッフの方が、その場の気持ちで嫌味のように言うべきことではなかったと思う。
「家族なのにやるべきことをきちんとやっていない」
「私はこんなにこのご利用者の方を思っているのに…」
そういう思いだったのか…。

ホーム長さんには「直接本人に注意して欲しいとか、クレームとかではなくて…ただもう私の能力的にこれ以上のことはできないのでご理解いただきたい」
と伝えた。
ぎりぎりだったと思う。
「私、そんなにひどい家族ですかね?」
と涙ぐんでしまった。
今考えると「ずいぶん感情的になっていたな」と少し笑えるけれど、その時の謎に上からの言動は、今思い返してみても心がチクチクする。
「これは違う」と思った。
今でも思っている。
たとえスタートラインが違うとしても。

家族と第三者とのスタートラインの違い…そこを双方が認識できることで、もしかしたらよりよい方向に向かう事は多いのかもしれない。
理解しているつもりになっていたけれど、自分が介護する家族となって初めてわかったことだった。

秋になったらパートをすることになりそうだ。
ボランティアで行っているデイサービス。
有難いことに通い始めた当初から声をかけていただいていた。
新規に開設することになった機能訓練型の方での相談員のお話。
現場を離れて数年。
その分年齢も重ねて、体力も知識も能力も落ちている。
当時は母の面会もあり、ありがたいと思いながらもお断りをした。
母が亡くなりしばらく時間を置いて、
「介護員のパートならどうですか?」
と再度声をかけていただいた。
今の仕事との両立を考えて、週に2~3回…それでも良いと。

体力も知識も能力も落ちているけれど、誰かの役に立てることはとてもありがたい。
自分を癒してくれる仕事だと思っている。
現場を離れている間でも、それなりに得た経験はある。
「悲しいな」「傷ついたな」と思ってしまった分、その経験を活かすことができたら嬉しい…。

活かすも殺すも自分次第…。
不安な気持ちと、楽しみな気持ち…今は少し不安な気持ちが勝っている。



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