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とある学校で…

とある中学校の生徒会。
生徒会費というものを生徒たちから集金して生徒会を運営しています。
生徒会費は授業料と一緒に請求されているので、実質強制集金。
ただ、家庭の事情によっては免除される生徒もいます。
もちろんその免除のためには、住民票や親の課税証明書など様々な書類をそろえなくてはなりません。
そして生徒が参加している部活は、グランドや体育館のスケジュール調整や備品の補充などに生徒会がかかわっている為、学校から支給される予算の中の一部を「部活管理費」として生徒会に納めなければなりません。
ただ、学校から支給される予算が一定未満の部活はこの支払いが一部免除されます。
そしてやはり、この免除にもたくさんの書類が必要。
そもそも部活の予算は生徒たちが支払っている授業料からまかなわれている為、予算申請は内容が細かく書式も規定が決められています。
そして、その予算を何に使ったのかもきちんと正確に学校に報告しなければならないのです。
部活の部長やマネージャーは学業と部活動の傍ら、予算の管理に大きな負担を強いられる毎日です。
報告に不備があればペナルティがあるので、みんな必死です。

ところがある日生徒会の役員の数人が、他校の生徒とファミレスで食事をしているところが何度も目撃されました。
アルバイトができない中学生がそんなに何度も食事をできるのはおかしいことだ、と学校内で問題になりました。
調べてみると、生徒会の役員の一部が生徒会費をそういった会食に使用していることがわかったのです。
そしてさらによくよく調べてみると、生徒会会則のなかに
「生徒会運営において、自校に利益をもたらすと判断できるものについては申請や報告の義務なく使うことができる」特別費があることがわかりました。
もちろん生徒会と部活は別なのでその特別費の中から管理費を納める必要もありません。
生徒会の運営に対してPTAから寄付があることもあって、生徒会の運営費はなかなか潤沢です。
生徒会役員になれば高校受験の際も非常に有利ですし、将来の就職活動の際にアピールポイントにもなります。
なので、生徒会の1年生、2年生は、もちろん来年度も役員に立候補するし、3年生は高校に行ってもやはり立候補をしようと思うのです。
一部の生徒会役員は、例えば自校の部活の遠方での応援のためにその特別費を使用したりする人もいますが、中には先に書いたように「他校との交流」と称してファミレスで食事をしたり、次の生徒会役員立候補のときに有利になるように、活躍している部活にニコニコと差し入れをする人もいます。
もしかしたら、自分のおこづかいにしてしまっている人もいるかもしれません。
何しろ「特別費」は何のためにどのように使ったのか、報告する必要がないのですから…。
「その特別費って、私たちが支払っている管理費から出ているのでは?」
という声が挙がりもしましたが
「いや、これはPTAからの寄付で賄っているので、他の生徒には迷惑をかけてませんよ」
との答えにその声もかぼそく消えてしまいました。

部活の部長たちは
「おかしいな」
と思いながら、生徒会役員と仲良くしておかないと体育館の使用や備品の補充で便宜を図ってもらえません。
部員一人一人も、立候補をするときだけ親し気にしてくるけれど、普段は何となく上から目線の生徒会役員について、もやもやしながらも声は出しません。
勉強と部活動、家の手伝いやたまの遊びに忙しい。
文句を言って
「じゃぁ、お前が立候補しろ」
「お前が生徒会を変えろ」
と言われてもできない。
生徒会ににらまれる勇気も出ないからです。

この中学校どうなってしまうんでしょうか。
実情が外に漏れて、入学する生徒が少なくなってしまうのか、気概のある生徒が立候補して生徒会を変えるのか、それとも生徒会の中の数人が問題点を洗い出して正常運営に努めるのか。


…って。
イメージです…。
ここ数週間のニュースを繰り返し見て自分の頭の中を整理するためにイメージしてみました。
拙い文章と、乏しい知識の中での貧弱なイメージで、勘違いや理解不足もあるかもしれないけれど、一般の中学校の生徒に置き換えて異常さを再確認できたような気もします。

自分にできるのは選挙に行く事だと思うので、投票はするようにしているのですが、政党も人も言うことはみんないいことを言っている。
欲しいのはそれが実現できる実行力や推進力があるか、そもそも本気でそうしたいと思っているか、の真偽。

若い人たちがますます
「子供は欲しくない」
と思うようになっているらしい。

私が若かった頃は、今ほどいろいろな支援がなかったし、結婚や妊娠で仕事をやめるのは普通だった。
みんな不安はたくさんあったけれど
「何とかなるだろう」
と子供を産んで育てた。

今は、幼稚園も保育園も学校も、医療だって支援が大きい。
産休育休も推進されて、取得が容易かどうかはわからないけれど、うらやましいと思う制度が増えたのも確か。

それでも
「何とかなるんだから子供を産めば?」
とは言えなくなってきた。

自分に子供もいて、その子供がまた子供を産もうとしている今、
「みんなで頑張るから子供を産んでほしい」
とは思う。

「何とかなるよ」
と言う言葉にはそこそこ大きな責任と共に発する言葉なのだと最近理解した。
私にとっては苦しい時のおまじないのような言葉だったけれど、もうすぐ死語になってしまう言葉なのかもしれないなぁ…とため息が出た。






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