寂しいなぁ 寂しいとは心が満たされず物足りない気持ちらしい そう聞くとお腹が空いたとか眠いとかと大して変わらないのかな 寂しい感情はマイナスだけではなく大事にしたい 寂しさがなかったら人は人に会いに行かないんだろうか 曲もこんなにうまれてないだろう 寂しい時には人に会いたくなる 何で人なんだろう 寂しいは心が薄かゆくなる 埋めたくなる でも誰かでその時だけ紛らわしたくないな 寂しい 寂しいを一生消したいんじゃない 寂しいから一つになろうとできる 寂しい
今書かないと そう思う なぜ今自分は人と関わりたいと思うのだろう 人と関わるのなんて理由はないよ、本能だよ? そうかもね、でも考えたいんだよ 自分にとって今、 人と関わることの最も大きな考え事の一つは 誰かと一緒に生活をすること。 生活が日常が日々が幸せに感じる そんな人と一緒に生きてみたいなと思う 散歩や公園やスーパーや昼寝や食事や掃除やお出かけや買い物や会話、 好きなパンを見つけてみたり、温かい飲み物を一緒に飲んだり、買い物に失敗したり、 そういった 日常
明日から好きな人と一緒に住む。 好きな人と書いたけど正直どう言ったらいいかわからない 好きな人だし、大切な人だし、不思議な人だし、 家族になるだろう人。 その人と出会ったのは今年の2月20日だった 前触れなんて一切なくて突然すぎて大いに文句を言いたい 第一印象はとにかく気になるだった。 どこか知っているようで、全く知らない存在のようで、自分にないものばかりを持っている人のようで、不思議な引力を纏っている人だった。 その日にラインを聞き、ラインをしたけれど明らかに興
その周波数をまだいりますか?と尋ねられているように感じる。 起こった出来事を悲しむのか、中立か、学びにするのか、喜ぶのかは各々が決めること 今までこうだったからではなく今の自分は何を選びたいか 誰かが決めるんじゃなくて自分で感じ、選択して創っていく。
あらゆる事象を型のある箱に入れようとしてしまう 見当たる箱がなければそれはただ "それ" として感じれば良い 帰結させる必要はなくてむしろ箱に入らないそれと対峙し、慈しむことは素晴らしい テンプレもあってそれに当てはまらないそれもある その両方が溢れた世界が豊かじゃないわけがない 生きていれば型のある箱の数は増え続ける それにならない何かに出会える体験は貴重で美しい 既知と発見を繰り返して生を色濃く染め上げさせる 事象はいつだってあらゆる可能性を纏っていてそれ
ここ数日ピーナッツバターという単語がとても気になっていた。 理由は特に分からなくて、ただ気になるなーという感覚だけがあった GUでピーナッツバターの看板を見かけた時は流石に笑った、、(笑) ここまで気になると買って食べてみたけど、 最高に美味しかったし体が喜んでいるのを感じた。 今までピーナッツバターに特に何の思い入れも無く生きてきたけど、今はとても好きな食べ物だと言える 頭で考えようとしても何で?と思うものが気になって何故かわからず選んでみると結果、選んで良かった
○その瞬間瞬間したいことをして生きる為の必要なお金を手に入れた。 ○マンションを買って好きな人と一緒に住む事ができた ○素晴らしい人達に会えた ○沢山の創作ができた ○自分自身と真剣に向き合う事ができた ○皆んなにとって幸せな事を沢山できた ○想像以上の最高の1年にする事ができた
創作は、創ることは本来自分を1番に喜ばせることが最初で、 最高のものができたと思うからみんなにも見てほしいという気持ちが生まれるのが自然な順番じゃないかと思う。 自分を喜ばせる為じゃなくて、再生数やいいね数や肩書きを得るためならばそれは外側の欲求で内側の欲求ではない 自分自身が創っていて楽しいもの、最高なもの、 好きだと胸を張って言えるもの そんな創造を自分はしたい。 そんな創造で溢れた世界は優しいし、 いまの世の中の窮屈さをきっと和らげてくれる。 創ろう
2ヶ月ほどnoteを更新していない。 強制はされていないし、更新をしなければいけないなんてルールは無いけど更新をしていない自分を気にしている自分がいる 気にしていると書いたけどやっぱりそこには義務感や、〜しなければ思考が潜んでいる 続けることを美徳だと思い込んでいる。 ある程度続けたものに対する執着的感情は今までの教育上、世間上、染み付いていて仕方ない部分でもあると思う でも、10年続けようが、20年続けようが、辞めたければやめていい。 辞めることは、続けないこと
noteにお金を払うという行為をどう思う人が多いんだろう? 全く厭わないという人もいるだろうし、noteにお金を使うなんてありえないという人もいるだろうし、恐る恐る口コミを吟味して買う人もいるだろうし 固形のものにお金を払うということを続けてきた人類だけど、どうやら無形のものが大事になるだろうという時代が来た。 情報だったり、体験だったり、人との交流だったり 無形物とお金の価値の関係についてはっきりとした定義はない。 この情報だったらいくら、そんな基準はない 10
noteを始めてからずっと書きたい衝動があれば書く、文章にするということを続けてきた でも昨日から今日は衝動は無いんだけど書きたいという謎のモードになっている、、笑 焦りや不安から書かなきゃ、投稿しなきゃという感じでは無くて、 書きたい!!でも内容の衝動が付いてこない!! どゆことだ宇宙!!という感じ 記事を書くときはずっと、 書くっていう行動の為の一定以上の衝動があった時のみ書くっていう行動をしてきたけど、今日はもう投稿しなくてもいいから今の気持ちを書いてみようと書き
3月から4月にかけて自分の中で大きな変化がいくつもあった でも最近、変化する前の自分にまた戻ってるなと思うこともいくつかあった 例えば お肉を食べなくなる→少し食べるようになる 2倍速を止める→結構2倍速で見る アニメや映画を見なくなる→ちょっと見る あんま食べなくなる→たまにめっちゃ食べる 心重視で生きる→めっちゃ頭で考える などなど 完全に戻ったわけじゃないけどあの変化は幻だったのか、、と思ってしまいそうになった。 でもある程度戻ったことにはちゃんと意味があるな
発信とか創作ってしなければいけないものではないと思う したいという感情が出てきたら行動に移すもので義務感からしても良いものは生まれない 波動エネルギーの時代に行動したという満足だけを求めて行動しても思うような結果はついてこない 本当にしたいからしているのかは受け取り手は全てわかる
人から異性から好かれるにはかっこよくなくちゃダメだと思っていた。 かっこよくなる努力をするだけじゃなくて、かっこいい服装、男らしい言動、背伸び背伸び背伸び、、 もちろん人から好かれるために外見や言動を気にかけたり、努力をしている姿は本当に素敵だなと思う でも、〇〇じゃなきゃ好かれないと思ったら人から好かれるためにその〇〇を永遠に作り続けなきゃいけない。 もっと言うと〇〇じゃなきゃ好かれないと思っている人は人に対しても〇〇を求めてしまう。 そのままでも人は人を愛すこと
起きる現実は全て自分の内側の反映。 自分の内側の状態によって起こる現実が変化する ということは内側の状態を手札に例えると、 人はどんな現実でも起こせる無限の種類の手札を持っていることになる 嬉しい現実を起こす手札 悲しい現実を起こす手札 怒りの現実を起こす手札 寂しい現実を起こす手札 ここで1番大切なことはこの手札達に優劣はないということ。 嬉しいの手札が悲しいの手札より優れているわけでもないし、怒りの手札が寂しいの手札より劣っているわけでもない 全て貴重な体験で
公園が好き。 とにかく暖かくて、 みんなリラックスして自然を楽しんでいる 家族や友達で軽いスポーツをしたり、シャボン玉をしたり、ご飯を食べたり、 平和だなー、幸せだなーとしみじみ感じられる。 今は桜も楽しめるし、気温も春だなーという感じでぽかぽかで気持ちがいい 1人で散歩したり日光浴したりするのもいいけど、そろそろ色んな人と活発に交流していきたいなとも思った コロナ禍は割と1人で行動することが多かったけど、今は出逢えた人ともっと関わっていきたいと思う。 好きだな