モノへのリスペクトというアプローチ
ヒトとモノの共感
前回の記事で、
変化のトリガーは「別の変化」なんだけど、
変化を起こす根元は「感情」で、感情の根元は「共感」だ。
A = (共感)= B という構図において、
AとBがそれぞれ「ヒト」と「モノ」であれば『モノへのリスペクト』が高まるんじゃないか?
なんてことを書いていました。今回はそこをもう少し深堀して行きます。
課題感
今回考えていく対象の”モノ”は 「食物」としていきます。
こんな「モノ(食物)へのリスペクト」なんて言っているのでカチッとした課題感から発生しているかと思われるかもしれないが、全くそんなことはないです。
マルサスの人口論でいう、
「人口の増加が生活資源を生産する土地の能力よりも大きい。人口は制限されなければ幾何級数的に増加するが生活資源は算術級数的にしか増加しないので、生活資源は必ず不足する。」
とか全然考えてないです。
単純に
「学習機会」と「モノ自体」のもったいないという気持ちの直感です。
#学習機会のもったいない
「目の前にモノ(食物)がある状態を当たり前って思ったら何も学べないよね」
# モノ自体のもったいない
食物の無駄を無くすためのアプローチって、個々人への「モノに対するリスペクトを高めることが効くんじゃない?」って直感。
つまり、課題から発生しているわけではなく「こうしたほうがきっとよくなるのに」っていう個人的な思いです。
(カッコいい言葉で濁すとアート思考ってことなのかな。)
売れ残ったから安く売るというアプローチ
本来まだ食べられるはずだけど捨てられてしまう「フードロス」という言葉があります。
色々と調べてみてわかった、それに対するアプローチとしては、
「捨てるのはもったいないです」と心に訴えかけ「値引きして売る」
という広告をたくさん打つ。
そんなことが多くてがっかりします。
本当にお買い得だったら消費者も買うんだろうけど、送料とかあってどうしてもお買い得状態が作れない場合は、その時点でゲームオーバーだよね。
その時々で成功率が変わってくるようなアプローチ。
これって見てる視点が、
余る(大量に余る) = 作る(生産) > 買う(販売)
という生産者や商売人規模(大規模)の目線になってる気がします。
だから一般消費者には響かないし、大規模だか効果も不安定なんでしょう。
もっと消費者に寄り添ったアプローチ
「大量に余った」という状況になってからの手立てじゃなくて、
もっと一般家庭の冷蔵庫の中の世界で考えてみよう。
余り = 買ったもの > 使ったもの
一般家庭の冷蔵庫の世界においては、
買ったのだけど「忘れてた」「気が変わった」など何らかの理由で余るという状況がある。一般消費者にひびきやすいものはここじゃないかな。
じゃあ、この冷蔵庫の中でフードロスになりかけの食物に対して敬意(リスペクト)を持てたなら、捨てるのも自然と踏み止まるでしょう。
商売の結果「大量に余った状態になった」後のフードロスを救うよりも、
約5800万世帯ある各世帯から出される小さなフードロスを未然に防ぐことのほうが、生もの(時間と共にいたんでいくもの)である食品においてはアプローチとしてはいいと思ってます。
じゃあどうやってモノへのリスペクトを高めるか?
モノとのコミュニケーションでしょ。
ヒトとモノとのコミュニケーションで共感を生んでいくことで叶えていきたいと思っています。
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