背景を読み取る力
私は写真集が苦手だったりする。
苦手と言うのはなんとも微妙な表現で、自分的には逃げの言葉かもしれない。
好きなアーティストや何かが1人でもいれば見た事があるであろう写真集、自分の好きな人達がカッコよくおさめられた本なんてファンにとっては夢のようなもので。勿論私も例に漏れず購入しご尊顔を堪能した事がある。
それなのに何が苦手か。
写真集は文字通り写真のみな訳で、その解釈は全て読み手に委ねられている。これは何々をイメージしてるのか、こんな物語があるのでは、全て私次第。実はそれが難点で。
面倒臭がりな私はその写真の"裏側"を想像するまでに至らない事が多い。どうしても写真の上を目線が上滑りし、素敵だったとは思いつつも頭を使わない読み方をしてしまったと後悔する事もしばしば…
たった1文字でもいいから文字があってくれた方が逆に想像が膨らむ。
例えばこの記事の画像、これ1枚渡されて感想と言われたとしたら非常に困る。可もなく不可もなく。ちょっと暗いかな?程度のものだ。
しかしあの画像に"逃"と一字横に添えられていたらどうだろうか。これは何か辛いことから逃げて海に来たのかな、それとも敵から逃げた主人公が最後に辿り着いた場所の景色だとか、頭を使う感覚を味わえる気がしないだろうか。
まぁその文字無しで楽しむからこその写真だと言われてしまうとそこまでなんだけど…。
そんな私がつい先日、この考えを覆す1冊と出会うことができた。
それは脚本家・演出家・俳優・声優と様々な方面で活躍される多彩な方の写真集で、一ファンとして購入したもの。
その方の演技や声は勿論の事、発想が素晴らしくて私の中では天才じゃないかと思うほど。(あと顔が良い、とても)
写真集を発売すると聞き購入しお渡し会まで出向いたものの、また上辺だけの見方になってしまうかもと不安だったのだが、その写真集のコンセプトを聞いて一変。
"僕が尊敬する監督3人がもしも僕を撮ったなら"
なるほど。
その言葉通り3つのセクションに分けられており、そのどれもがそれぞれの監督の雰囲気で撮られているため、ページを捲るごとに自分の頭の中で物語を作る感覚が味わえる。文字がないのに。
"映画を意識はしているが、ストーリーは考えていない。だから皆さんに考えて頂きたい"
本なのにまるで映画を見終えたような読了感で、エンターテインメント性のある写真集、という言葉に心から納得。あの本をめくる瞬間間違いなく私は映画監督だった。またしても彼の発想に脱帽。
これまでの写真集も、今開いてみたら何か変わるだろうか?
苦手の言葉で逃げるよりも、写真の裏側を考えようとちょっとだけ気合を入れて見てみれば全く違ったものに変わるかもしれないと気づいた、そんなお話でした。
これを読んでくれた皆さんにも、自分の中の何かを変えるような本との出会いがありますように。
嶋
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