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【戦後80年80作】『砕かれた神』筆者への手紙(荒瀬豊)

敗戦で帰還し、故郷の家で虚脱と苦悩の暮らしを送る復員兵の敗戦直後8カ月の日記風手記。かつて天皇の権威を信じた兵は、戦争の責任を負おうとしない天皇に不信を深め、戦争の責任を負う1人の日本人として“神”と対峙することになる。

朝日選書236 砕かれた神~ある復員兵の手記


渡辺清の『砕かれた神』は、今までにそのタイトルを目にする機会は何度かあったものの、まだ読むことのできていない本のリストの中に留まり続けている一冊です。

そこで今回取り上げるのは、『砕かれた神』発行当時の、筆者に対しての手紙の形式を取った論評です。

『砕かれた神』って、格好良いタイトルですが、なぜ『神を砕いた』じゃ駄目なのかと、論評の筆者は書いています。この問いが面白いなと思い、取り上げてみました。
皆さんはどう思いますか?
個人的にはやはり『砕かれた神』の方がタイトルらしいと思ってしまいます。この辺りの無意識の感覚の中に、潜んでいる何かがありそうだなと、私自身考えているところです。

仮名遣いや漢字、数字については一部読みやすい形に修正したほか、一部分に注釈を加えてここに掲載させていただきます。



今年の8月には、戦争を追悼する文章の形容に、死者たちの33回忌と加える新聞記事や放送アナウンスが少なくありませんでした。私の注意を引いたのは、そうした文章のいくつかが、この「年忌」を過ごせば来年からは8月に戦争を思い起こす慣習も薄らぐだろう、と続けていたことでした。仏教徒ではないけれど、冠婚葬祭にまつわる世間知は積んでいるという人物が、この国のジャーナリズムにはかなり大勢いるようです。肉親の法事は33回忌までつとめれば充分な孝養を尽くしたことになるという言い伝えを、才気ある記者たちは「陰鬱な慣習」を潰すために起用したものと思われます。
この予想があちこちで繰り返されるのに接するたび、こうした記者たちは世間知の持主ではあっても世を視る目がないな、と思わざるをえませんでした。

関東の都会にいると気付きにくいことですが、8月の日々は旧盆と藪入り(管理人注:盆の16日前後に親元等に帰ること)の日に重なり合っています。そして、地蔵盆の線香と鐘の声に誘い出され、ふるさとに戻った子たちに語り継がれる話題の筆頭が、15年に渡る大殺戮でなくなる年は、日本に中小の農民と商工業者が消えるまで訪れることがないだろう、と私は思います。
それにしても、大企業のヴァカンスに海外旅行に溢れ出る若者たちに、戦争はどのように受け継がれるのか、という問題は残ります。

『海の城』、『戦艦武蔵の最期』という二部作は、10代で兵卒を志願した少年兵が体験した戦争を書き尽くしてあることで、類例のない作品でした。この著者である渡辺清さんは、過去の情景を実に綿密にかっきりと文章に仕上げる人、またそうしなければ戦争の精神は時代に伝わらないと信じて熟成の時を惜しまない人、と私には映っておりました。
その渡辺さんが戦後を初めて主題として『砕かれた神』を著したと聞いて、期待以上のものを持って新刊を開きました。

1945年9月から翌年4月までの日記という大胆な形式で、渡辺さんは一人の日本人の逆転向のドラマを見事に書き切った。理念に燃え上がった青春の記録や小説は多いけれど、国家という幻想に絡め取られていった魂についての分析や考察は多いけれど、逆転向の経過をこれほど精細に一冊の書に凝集し造型したものはないと私は思います。思想史や政治学に関わる者だけではなく、日本人の心性に関心ある人なら避けて通ることの許さない書が生まれたことは、1977年の喜びのひとつです。

天皇意識こそが日本人の精神の中軸だと考えて、渡辺さんは「ある復員兵」の日記を構成なさった。たとえば、旗艦の儀杖兵(管理人注:儀仗(儀式に用いる武器)を身につけて元首を警備しその威厳を誇示する任務をもった兵隊のこと)として「身近に“玉体”を拝した光栄と感激にわなわなと体をふるわせ、この上はいつ死んでも悔いはない、と思った」その少年が、天皇に「騙されていた」と感じる契機は何か、国家とは社会とは、という自問を持つに至る時はいつか、などの問題に対する精緻なカルテとしてこの作品は書かれています。

その点で、『砕かれた神』と主題においてもっとも近く、したがって視点においてもっとも対照的でありうるのは、山田風太郎『戦中派不戦日記』でありましょう。若き医学生であった風太郎氏は、広島に落ちた新爆弾が原子爆弾だったと教室で聞いた8月11日の日記に「悪夢。」と1行書いたあと、こう記述しています。
「一、帝国政府は、米国、英国、及びソビエト連邦に対し無条件降伏を申し入れたり。
二、天皇陛下には御退位のこと仰せ出されたり。陸軍大将東条英機……、海軍大将米内光政……は昨夜自決せり。
三、国民は静粛に各自処せられることを期待す」
点線にしたところには陸海軍の大臣と司令官名が上がっているのですが、省略しました。渡辺さんもまた、海軍の兵士たちは降伏の報と共に戦争裁判が開かれると予測して天皇は自決あるいは退位するだろうと考えた、と書いておいでです。決定的な違いは、国民すべてに自決を求める指示が出て当然だ、と山田氏が政治のプロセスを見つめたのに対して、渡辺さんの著述の中の復員兵は「死にぞこない」の屈辱感を自分一人に背負い込んで生きることです。

幻想と自覚しながら情況のありうべき展開を極限まで推し進めずにおかないところに、例えば最近のアメリカのオカルト、SF映画の流行にはるかに先駆けた風太郎文学の作者の資質が輝いています。と同時に、その視点は、23歳、高等教育の場において1945年を迎えることができたという、世代の有利さに支えられてもいます。それが、8月15日のラジオを聴いて落涙しながらも「当たった」と叫びうる特権を生み出したものでした。

幼い意識のまま皇国の兵士を志願した渡辺さんやそのあとに続く世代には、そのような特権の生まれる余地はありませんでした。信仰が根こそぎされた空白感さえ、自己の無力を指揮する不断の声に急き立てられる焦燥とないまぜられていたのでした。だから、自分が浸りこんでいた信念の世界が、実は聖なる教説とは似ても似つかぬ実体であったことを正視するのにさえ、自己を苛む苦難を経過しないわけにいきませんでした。まして、自己の信念を対象化して、人間が営む平静な日常の諸相の一つと認識するまでには遠い道のりが要求されます。『砕かれた神』の素晴らしさは、その道のりを一歩ずつ確かめながら刻み込んでいったその工程にありましょう。

ひと息に情況の底を見抜く力を持っていなかったそのゆえに、主人公はひと度きざした疑いを、そののちの生にとって欠かせない武器に仕立て上げます。疑念を研ぎ澄ませて政治に対するという態度によって、彼は、天皇「制」を温存したのは占領権力と日本の保守層との共同作業であったことを見抜く一方で、日本共産党は天皇の責任を追及し続ける「道義」的な権利と義務とを持っていたのに、いわゆる人民戦線と人間天皇宣言の時期にその責任を捨てて転向コースの第一歩に落ち込んだということも見逃しません。

戦中派と自称する人たちの思考がともすればご自分の体験の特殊性のゆえに、自己に溺れこんだり陶酔している姿を客観視できない悲劇に陥りがちな中で、渡辺さんは特殊な中にこそ発見できる普遍的な主題を伝えるには普遍的な文体を作り出す必要があると努力なさっておいでです。(中略)

しかし、そうであればなおのこと、新著がなぜ『砕かれた神』であって『神を砕いた』ではないのか、という疑いを私は抑えることができません。

「……と思われる」という日本の新聞社説に特有の、主体不在の表現は8・15に続く日本ジャーナリズムの欺瞞の本質に繋がっており、渡辺さんも一再ならずその無責任さがこの国の「神」を支えたことを指弾しておいでです。そうならばなぜ、渡辺さんは主体表示をお避けになるのでしょうか。

いま一つ、庶民の感性に立つ渡辺さんの創見は、天皇と天皇制とのあいだに天皇家という一項を浮かび上がらせた点にあると思います。そうであればなおのこと、手記の筆者の側についても血族といかに対するかという問題を抜きにしては共同体論は成り立たないでしょう。戦後過程を描く後継のお作にでも、こうしたささやかな疑いにご一考いただけましたら、読者としてこれにまさる光栄はございません。

(『現代の眼』1977年11月号)



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