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【憧れのあの人】真のモテる男とは

皆さんはモテる男性というとどのような男性を想像するでしょうか。

昔はよく3高(高学歴・高収入・高身長)なんて言われていたと聞いたことがあります。
時代は移り変わり、3平(平均的年収・平凡な外見・平穏な性格)からさらに今では4低(低姿勢・低依存・低リスク・低燃費)と言われているようです。

いちおう本について触れることが多いブログなので、そんなブログの管理人として、「モテる男性(作家)」を考えたとき、浮かんでくるのがこちらの方です。

チャールズ・ブコウスキー(1920-1994)


ブコウスキーの作品は彼自身の体験に基づいて書かれた話が多いです。

なので、彼が一体どんな人なのか説明しようと思ったら、ぐだぐだと自分の言葉で語るよりも適当な彼の短編から数行、引用する方が早いでしょう。

夜には競馬があった。19時半にはじまる第1レースに間に合いたかった。金が必要だった。そこそこ調子は良かった。勝負するためにはレースがはじまる1時間前には行って検討に入らないとだめだった。つまり18時半には着いていたかった。雨、暗い雨。うまくない。13日には家賃、14日には子どもの養育費、15日には車の支払いがあるんだ。競馬をやらなければどうしようもない。さもなくば身投げだ。人はみんなどうやってしのいでいるんだろう。おれにはわからん。くそったれ。

女たちの雨


「うーん、その文章も良いけど、それよりもこっちの短編(あるいは詩)の、この文章の方がもっと良い」なんていう、ブコウスキーのことを好きな方々の不満の声が聞こえてきそうです。分かります。私も同じ気持ちです。

採用面接で自分のことを売れない画家と説明して、面接官に「元気出しなよ、死んでから有名になるかもしれないし」と全然励みにならない励ましを受ける話とか、郵便局で働いている時に病みかけたけどカウンセリングを受けるお金をケチって脳内で完結させる話とか、酔っ払って道路のど真ん中(たぶん)で寝て道を1マイルも渋滞させる話とか、好きなエピソードがたくさんあります。

これまでの経験から学んだいろんな知識をすべて無視して、10ドル馬券の窓口にいって「11番を2枚!」といった。すると窓口の白髪まじりの男が「11番?」と聞き返した。私が勝つはずのない馬に賭けようとすると、彼はいつもこうやって聞き返してくる。どの馬が勝つのかは知らないと思うが、カモが引っかかる馬は知ってるのである。だからこれ以上はないという悲しげな顔をして20ドルを受け取る。それから私は観客席へいき、目当ての馬がのろのろと、走る気もない様子でビリを走るのを見て、こうつぶやく。「なんてことだ、おれはもうだめだ」

さよならワトソン


彼は大抵、酒を飲んで酔っ払っているか、トイレか競馬場にいるかといったような感じで、職には就いていたりいなかったり、なのですが、女性は途切れません。そんな彼の魅力は一体どこにあるのでしょうか。

おれたちはベッドに坐り、酒を飲みながらタバコを吸った。「あんた、まるごとそこにいるのね」「どういう意味?」「だからさ、あんたみたいな人、会ったことないわよ」「そう?」「他の人は10パーセントか20パーセントしかいないの。あんたはまるごと、全部のあんたがそこにいるの。大きな違いよ」「そうなのかなあ、わかんないよ」「あんた女殺しよ、いくらでもものにできるわ」

勝手に生きろ!


太字部分まで原文ママです。この「全部がそこにいる」という表現は、ブコウスキーの読者も思わず納得してしまうような、言い得て妙な言葉だと思いますがどうでしょうか。

普通であれば隠しておきたいような恥ずかしいこと、些細なこと、どうしようもないことも、彼の作品には当たり前のように、あっけらかんと書いてあるので、そのあまりの率直さに驚くことがあります。

下品な描写も多いし、汚い言葉も出てくるけど、説教じみてもいないし、いやに格好つけていたり、気取ったところもなく、肩肘を張る必要も無くて、とても気楽に読める。そしてちょっと元気をもらえる。それがブコウスキーの本です。

いくら本が好きと言ってもあまりにも疲れていたり落ち込んでいたりで、1文字も読む気にならないような夜もあります。そんなどん底な時、手に取ってもいいかなと思える本は本当に数少ないですが、彼の本はその数少ないうちのひとつに入ってくると思います。

その理由は、彼の作品だけでなく、何より彼自身がそんな存在であったからかもしれません。

われわれはどんなふうになるべきなのか、私にはわからない。運がつくことが大切だ。私はここのところ見放されている。それに太陽がだいぶ近付いてきている。人生は、見かけ通り醜いが、あと3、4日生きるには値する。なんとかやれそうだと思わないか?

空のような目

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