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【戦後80年80作】私の昭和史(末松太平)
二・二六事件を頂点とする「昭和維新運動」の推進力であった「青年将校グループ」とは、どのような人たちだったのか。彼らはなぜ二・二六事件を起こさねばならなかったのか。グループの中心人物であった著者が、自身の体験したことを客観的に綴った貴重な記録。
二、三年前に読んだこの本は私のなかで奇妙に印象に残っていた。それは二・二六事件そのものに対しての印象というよりは、筆者がとある人物との出会いと別れとを、それぞれひとつの章を割いて記述していたという点においてであった。
その人物とは大岸頼好、筆者と出会った時には陸軍少尉であった人である。筆者曰く「大岸少尉と出会ったことが、当時陸軍士官候補生だった私の国家革新病みつきのもと」であり、筆者にとってはまさに憧れの人とでもいうべき存在だった。この大岸少尉のために、筆者は士官学校生活を過ごしたのちに航空兵志願を断念し、もといた青森の連隊へ戻ったのである。
筆者と大岸との出会いは二章の「大岸頼好との出会い」において語られ、大岸の死は最終章の「大岸頼好の死」において語られる。このことからも、筆者にとって大岸がいかに特別な存在であったかが窺える。
このように書くと内容としては良くある話のように思えるかもしれないのだが、この大岸は晩年に新興宗教にはまり、修行という名の全国行脚(という名の信者集め兼集金)によって病身を悪化させた末に亡くなってしまうのである。
(大岸は)亡くなる前年の夏に、ひょっこり夫人同伴で東京に現われ、はじめて私にこの宗団のアウトラインを説明し、これこそは混乱している日本を救う最良の道であるから、この上京を機会に、旧知旧友を集めて紹介したい。ついてはこのための会合を催したいから私にその斡旋を頼むということだった。
筆者はこのように突然現れて新興宗教の話をする大岸を拒絶することなく、資金集めに協力し、全国行脚に同行する。しかし決してその新興宗教を信じている訳ではない。筆者の協力の理由は「中途半端ではおさまらず徹底する」大岸の根性を尊重しており、「昔ながらに、なにかをひたむきに追及している」大岸の姿に、かつてと変わらない彼の姿勢を見出していたからであった。
行脚では大岸のかつての部下達のいる青森を訪れたりもする。弘前では「終戦後の世の急変にあって、それを如何に対処していったらいいかを、一度あって、とっくり相談してみたい」と思いながら大岸の来訪を楽しみにしていた部下達の多くを失望させる。
しかしなかには入信するものもいる。「この新興宗教に共鳴したというより、尊敬する大岸頼好のすることならまちがいないと思ったから」だろうと筆者は考える。
「終戦後の世の急変にあって、それを如何に対処していったらいいか」、この答えが、大岸にとっては「混乱している日本を救う最良の道」である新興宗教なのだった。
これに対し、大岸を信じて入信する者、失望して去っていく者、筆者のように入信はしないが静観する者がいる。しかし皆の根底に共通している問いはやはり同じはずである。「終戦後の世の急変にあって、それを如何に対処していったらいいか」?
戦争に関する本を読んでいると、筆者一人ひとりが個人よりも大きな何らかの存在と直面せざるを得ない状況だったのだと気付かされることが多くある。もちろんその気付きは戦争というテーマに関わらず存在しているので、このテーマに限った話ではない。しかしながら戦争という事態は筆者自身の生命が懸かっているからこそ、より差し迫って、よりリアルな手ごたえを伴って受け手側にまでその思いを響かせる力を持っている。
個人よりも大きな何らかの存在、それはある人にとっては軍隊であり、国家であり、あるいは自然であり、あるいは宇宙をも貫くすべての何ものかである。例を挙げるときりがないのでこのくらいにしておくが、大岸が「個人よりも大きな何らかの存在」のためにそのひたむきさをもって追及したのが、戦前であればマルクスの唯物論であり、本居宣長の思想であり、戦後においては新興宗教であったのだろう。
個人が何を信じ、また、その思想の正誤は誰が判断するのか。個人なのか国家なのか、それとも時代であるのか。
私にとってこの本はそんな問いを投げ掛けられる内容だった。
大岸頼好は昭和二十七年一月の末、鎌倉腰越の仮寓先で病気で亡くなった。
病気は彼が少尉任官の直後、一度かかった結核の再発である。うつし世の病名では腸結核である。が、ここでことさら、うつし世、などといったのは、彼がそのころ信仰していた新興宗教で、それを、うつし世の病ではない、みそぎだといっていたからである。しかもそれは、御筆先によって神示されたその宗団ゆかりの神霊の御宣託ということだった。