見出し画像

#5比較対象は、自分のみ

先日、やり投げの北口榛花選手が日本選手権を優勝し、パリオリンピック出場権を獲得した。私は非常に好きな選手なので応援しているのだが、優勝インタビューで思いがけない言葉を発していた。

「私が目指しているのは日本一ではなく、世界一」

日本で1番になったというのに、普段の、あのトレードマークとなっている素敵な笑顔は少なく、反省の言葉も口にしていた。

優勝したのに、何故この言葉が出るんだろうと考えた時に、彼女は、常に自分だけと比較してるからなのでは、、?とふと思った。

直近で読んだ書籍”嫌われる勇気”には、このようなことが記載されていた。
「正しい劣等感とは、他人との比較から起こるものではなく、理想の自分との比較から生まれるものだ。」

正に、これだと。
周囲がどれだけ素晴らしい記録を残したとしても、
周囲がどれだけ酷い記録を残したとしても、
それと自分を比較して一喜一憂することは、正しい比較とは言えない。

例えば、A君が試験で70点、私が80点を取ったとしよう。A君と比べたら、私は喜ぶのかもしれない。

ただ、私の前回の試験が95点だったとしたら、本当に喜べるだろうか?私の努力量は減っているのではないだろうか。前よりサボっているのではないだろうか。
つまり、私がA君の70点と自分の80点を比べ、そこに価値を見出そうとすることには何の意味もないのだ。

北口選手は、それを、真っ当に体現していたのだからこそ、あのようなコメントを残したのだろう。2位の選手や、3位の選手の記録と比べずに、過去の自分と比べたからこそ、劣等感を感じ、素直に喜ばなかったのだ。

社会人になり、日々業務に忙殺されている中で、何かと競わされることが増えてきた。周囲と比べてしまいがちな環境に身を置くことが増えてきた。

ただ、他人の成果は、他人の成果として受け取り、それと自分を比較しない。私は、私の成果のみに集中したい。

今の自分よりも昨日の自分よりも、少しでも前に進もうともがき続けることに、価値があるのだ。

明日も勝つ。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?