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日本のコブシ、Chopinの装飾音

JSPN主催の尺八講座をのぞいてみた。
今回のテーマは「民謡尺八の指技」について。講師は小湊昭尚さん。

当然、受講生は尺八奏者の方ばかり。そもそも、JSPNは「日本尺八演奏家ネットワーク」であるので、そうなることは当たり前か。でも、会員以外の一般の参加も可能。

尺八奏者 小湊昭尚氏@JSPN

民謡の伴奏楽器としての尺八

 民謡伴奏の尺八におけるさまざまな奏法をひとつずつ紹介してくださった。その中には「上行形のアタリ」のいくつかのパターンや、「コブシ系のアタリ」のパターンとかを実演付きで説明された。
 そのアタリを民謡のメロディーに加えることで、恐ろしいほど尺八の音が全員、民謡の音に変わった。こうした秘密が知りたかった。小湊さんは「私は民謡の専門家ではありませんが・・・」と言いながらも、(当たり前のことだけど)本当によく研究されていると感じた。

 民謡の伴奏をしている時には、配布された楽譜のような決まった位置で決まったアタリを入れているわけではなく、歌い手の声に合わせているとの説明。さらに、歌い手は時として、自身の声自慢のために、即興的に、思っている以上に音を伸ばしたり、揺らしたりしてくるらしい。なので、それに対応するためには、自分自身でも歌い、それにある時は合わせ、ある時は邪魔にならないように引いて演奏をする、と。

 尺八のそうしたアタリは尺八自身の技法ではなく、民謡の歌い手の声の技法に由来していることを学んだ。

西洋でも同じこと

休憩時間に、小湊さんと話をした。
「西洋の音楽でも同じでしょう?」と尋ねられた。
言われてみれば、確かにそうだ。西洋でも、装飾音の起源は声楽の即興的な演奏にあった。

Chopinの不思議な装飾音

 子供の頃、ピアノを弾きながら思った。
「なんでChopinの曲には、古いBachの曲と同じ装飾音が付くの?」と。
それは、あんなに綺麗なChopinの曲に、個人的には練習曲のイメージの強かったBachと同じ装飾音が付くのか?そして、それがあるからこそChopinの旋律がとてつもなく綺麗にもなる。装飾を外して弾いてみると何とも無機質な感じになる。

 その疑問を抱いてものすごい時間が過ぎ、2010年、Chopinの生誕200年の記念の年が訪れた。それを目指してChopin研究が盛んに行われたらしく、新しい書籍がなかなか出版されない音楽業界で、かなりの数のChopinに関する本がその前後に出版された。
 これまでのChopin像とは違い、残されたものから新しいChopin像が作られていた。そもそも、Chopinの死因は、当時「死の病」であった結核で亡くなっている。そのため、病気がうつらないようにと遺品が焼かれている。運良く免れたのは、サンドと逃避行をしたマヨルカ島に残されたもの。または、弟子達が所有していたもの。その数少ない遺品から研究が進んだ。

 Chopinは学生時代、声楽を勉強していたコンスタンツヤ・グワトコフスカに淡い恋心をよせていた。おとなしい性格のショパンは告白などはせず、ただただ、彼女の歌の伴奏に付き合っている。そのためか、1828年にベルリンを訪れた際には熱心にオペラ鑑賞をしている。

音楽の構成

 そうして、彼女に付き合うことでChopinは数多くの声楽曲を知ることとなった。時代を考えると、1827年にBeethovenは亡くなっているので、Chopinに取っては現代音楽とも言える。時代性を考えると、Beethovenのピアノソナタ『熱情』は1807年にウィーンの出版社で発行されていが、ただ、その楽譜が広く行き渡るまでには、相当な時間を必要としたはず。
 また、Chopinのウィーンへの2度の演奏旅行で、「楽譜屋でBeethovenのソナタを買い、弾いた」という記録はない。Chopinがどの程度Beethovenの曲を知っていたかは研究者にまとめてもらうとして、とにかく現代音楽であったはず。

 となると、どの時代の曲を弾いていたかというと、ひとつ飛び越えた世代の曲が知れ渡っていたと考えられる。つまり、HaydnやMozart、Beethovenではなく、彼らを飛び越えてバロック時代の音楽。もちろん、現在でもおもに教則本として残っている作曲家達の曲は弾いたかも知れないが・・・。

 したがって、ペルゴレージ、アルベルティ、チマローザなどの曲を伴奏ピアニストとして数多く弾いていたと想像できる。これがChopin音楽の源流と実はなっている。
 そして、これらの曲はいずれもバロック時代後期の音楽。つまり、1700年代前半の音楽。バロック時代は長く、初期の音楽は現在私たちが接しているような音楽ではなく、まだまだ声楽作品が中心の時代。そこから150年くらいの長い時間をかけて、徐々に器楽中心の音楽へと移行してきた。

 したがって、Chopinの曲は、右手が歌手で、左手が伴奏というスタイルが取られていて、つまり、ひとりで歌曲を演奏しているようなものなのです。この傾向は、同時代に生まれた作曲家達に共通の傾向とも言えます。

 そう、たとえば、Chopinの『アンダンテスピアナートと華麗なる大ポロネーズ』は、17世紀以降、歌唱様式が大きく2つに分かれ、ひとつが「スピアナート様式」で、もうひとつが「華麗様式」。前者は、ゆったりとして装飾の少ない歌唱法に対して、後者は細かな装飾音を数多く使う母音歌唱の様式。つまり、この曲はオペラの2つの様式を1曲にまとめた曲なのです。こんなところからもChopinの曲がいかに声楽曲と、それも17世紀の声楽曲と強く結びついているかが分かります。

Choponの装飾音

トリル

 西洋でも同じことで、例えばトリル。
声を長く伸ばす時に、単に延ばしていたのでは芸がないので、その音を震わせてより効果的に伸ばしていた。この声楽技法がトリル

 有名な『ノクターン9-2』
短い例だけど、こんな感じでトリルはChopinの曲の中で多用されています。さらに、その前後には細かな装飾音が付けられている。その点でもまさに声楽技法。
 だけど、こうした声楽技法は古典派を抜ける頃にはすっかりなくなっている。(Mozartのオペラには若干見られるけど)なので、今、僕らはこうした技法のオリジナルを知らない。

 これなどは、まさに民謡のコブシにあたる。
民謡では声自慢が長く声を伸ばしている部分で、やはり「トリル」、つまり、コブシを使っている。

ターン

 ターンは、Chopin特有の節回しと言ってもいいほどよく使われる

 こうした技法がバロックまたはルネサンス由来のものを、その本来の弾き方、つまり、Chopin自身がどのように演奏していたかを分かって演奏しているピアニストは皆無に近い。いやいや、そうではなくて、Chopinと言う像が偉大すぎて、そして大きくなりすぎて、本当のChopinを今では見ることができないのかも知れない。
 楽譜でも「パデレフスキ版」がChopinの楽譜の定番となっている。それは単にひとりのピアニストが、ある意味勝手にスラーや強弱を書き込んだ楽譜であるのに・・。パデレフスキが生きていた20世紀前半はまさにロマン溢れる時代で、録音はあまり残っていないが、楽譜にはその痕跡が強く残っている。これは、Chopinに限ったことではなく、Beethovenをはじめとする、ほとんどすべての作曲家の楽譜に、ロマン的な解釈が盛り込まれている。

 最近は原点回帰の時代なので、本当のオリジナルがどうであったかを科学的にも探求し、その結果、「楽譜」や「楽器」までもが再構成されている。
 そんな中、Chopinも「エキエル版」という真の原典版が登場してきた。
ショパンの国ポーランドの国家事業として、残された楽譜をはじめ、弟子の楽譜への書き込みなど、できる限りの資料を精査して、本当のChopin像を楽譜に再現した。

 その内容は、現在デファクトとなっているパデレフスキ版とあまりにも違う部分が多い。音が違うところも多く、コンチェルトなどでは繰り返しまで違う。楽譜は、どこを見ても「素朴」という表現が合っている。だから、現代の僕らが知るChopinがいかにに誇張されているかがよくわかる。

ポルタメント

 ポルタメントという技法は本来は声楽の技法。そもそも、ピアノではポルタメントはできない。弦楽器であればできるけど。
 楽典の本でも、「ポルタメント」と「グリッサンド」との違いは「定型文」で説明がされている。著者達が、バロック、または、それ以前のグリッサンド技法を恐らく知らないのだと思う。
 最近普及している『楽典』(ARTES)にはポルタメントが定型文で説明がされている。青島広志氏の『究極の楽典』(全音)ではピアノにおける例示がされている。(さすが!)ドイツ語の辞典を翻訳した『図解音楽事典』(白水社)では、楽語の部分の他、ルネサンス期の声楽の中で説明がある。  
 やはり日本の音楽はデラシネラである。

 もちろんピアノでは2音間をなめらかにつなげることは物理的にできない。声楽でのポルタメント技法の多くは「到達点の手前で音階に従って数音の装飾音をつける」。これは2音間の音程が離れていて、かつ、その音符が比較的長い音符の時によく使われる技法。

 Chopinではこんな感じでよく使われています。大体の場合、半音階で繋いでいます。そう思うと、Chopinの曲は、小さな音符で半音階で動いているとポルタメント技法が多いのです。

 この音程が「3度」に狭まり(別な言い方をすれば4度以下)、フレーズの終わりの部分では、ポルタメントが「前打音」として挿入される。

 有名な『練習曲』op10-3「別れの曲」で、ちょうど最初の区分のフレーズ最後の部分。ここに小さな装飾音が書かれています。これが正に声楽技法。この音符にこだわりを持たずに、これまで聞いてきた演奏通りにこの部分を演奏します。しかし、まさにここなのです!
 こうした技法は、拡大されると「チェルカル・ラ・ノータ」や「ストラッシーノ」という今では忘れ去られた声楽技法に繋がります。しかし、Chopinにとっては忘れ去られた技法ではなく、今、毎日のように弾いている声楽曲の技法なのです。

 声を長く伸ばすと言う時には、ようの東西を問わず、ビブラート、すなわちトリルで飾っているのです。これは人間として何か根本的にある現象なのでしょうか?

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