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よく聞かれる質問!?

 『最後の秘境 東京藝大 天才たちのカオスな日常
 2016年に刊行されたこの本は、あちこちの書店でベストセラーとなり、平積みされている光景をなんども目撃した。
 そして、仕事先で本の内容の真偽についての質問を多くされる。

藝大山から見る景色

 天下の藝大といえども、中に入れば学生はピラミッドを成している。要は、学生がピラミッドのどの位置に属しているかによって見える景色が変わってくる

◆藝大入学者の不幸

 不幸なことに、恐らく物心着いた頃から音楽をはじめるか、中学のブラスバンドで楽器を知った「その日」から、入学までの青春期を音楽だけに捧げてきている人々ばかり。
 この話は音楽学部だけのことで、美術学部はまた別の入学への定型的な道のりが存在すると思うけど・・・。

 「藝大はなぜ難しいか?」は、その課題曲を見れば分かる。
大概の私立は、1次試験で練習曲集からの指定があり、2次試験以降では「自由」となる。それが藝大だと、事細かに楽曲の指定が書かれている。それは入学からコンクールまで線を引いたときに、入学時点で達していなければならないレベルを想定しているから。

 それほど難易度の高い入試課題曲をクリアしても、一度学内に入ると天才ばかりとは限らない。大方の人間が入学直後に自分が天才でないことを目の当たりにする。
 たとえば、ピアノなどの場合、小中高と九州で一番だったかも知れない。だけれど藝大に入ると、九州で1番は決して全国で1番ではない。地元で「天才児」として一目置かれて育ってきたのに、4月の頭にはそれがまったく意味のないことに気がつく。それは、圧倒的な天才を見てしまうから。既に高校生で日本音楽コンクール1位とかまで藝大にはいる。

 概観すると、ピラミッドなので、実は8割から9割の学生が裾野に位置する。
 ただ、藝大という所はとてつもなく楽しい。何をやっても「藝大」または「芸術」という言葉のもとに許される。柵を乗り越え動物園に入ってもそれが武勇伝となり、伝説となる。(真偽は不明・・)押し入れの中で3ヶ月ほど暮らして学校に出てこなくても、それまた武勇伝となり、伝説となる。

◆奇行をする事が芸術と勘違いする

 そして、次々と訳の分からない行動に出る。
奇行をする事が芸術家の証であるかのように。いやいや、それは逆です。芸術家となって、芸術だけに打ち込んで、まわりが見えなくなった結果、そうしたエピソードが伝説として誕生するのです。

 しかし、藝大は楽しすぎる
ただ、せっかく努力して勝ち取った切符をそこで使ってはいけない。藝大という大学は4年間、毎日がお祭りみたいな大学。ただ、その祭りに飲み込まれ、夏の終わりに法被を着るようなことになると、4年後には厳しい秋風が吹くことになる。いや、3年後かもしれない・・。

 また、藝大は恐ろしく授業日数の少ない大学
新年度最初に決めるのは専攻の担任と打合せをして「何曜日の何時間目」にレッスン、と言うことを決める。次に、副科ピアノも同じように、担当の教官と面談して時間を決める。ほかにも時間が固定されているソルフェージュなどもある。それらをfixしたあとで、ようやく授業を決めることができる。で、ボチボチ授業が始まるのが4月末。で、すぐにゴールデンウィークに突入。
 そうして始まった授業は6月の後半には終了する。
それは実技試験に備えるため。特に、ピアノ科の試験と器楽の試験は重ならないように配慮されている。重なると器楽試験の伴奏者がいなくなるので。ということで、長い実技試験週が設定されている。
 で、結局、これで夏休みに入る。

 夏休みの後半で、芸祭があり、大学院入試があり、休みが明けるのは10月に入ってから。
 こうした長い休み期間が設けられているのは、「練習時間」ということ。決して、その時間遊んでて良いわけではない。

 さらに、大昔は授業回数が、年に20回もなく、さすがの当時の文部省もそれには眼をつけ、松の内から集中講義などで時間数を稼いでいた。

洗練されたカルチャースクール

 学生達が最低単位だけに絞って受講しない座学授業が実はスゴイ
何といっても、その道の第一人者が語ってくれる。普通なら、どこかの新聞社などの主催するカルチャースクールに通って、「ロマン派の音楽」などのレクチャーを数回聞く。当然、有料。しかし、それが聴き放題なのです。そして、少人数なので質問もし易い。
 また、一般教養にしても、なにか、国立大学の教養置換とかで、お近くの東京大学から先生がやって来て一般教養を教えてくれる。東大とは、地下鉄の根津駅を挟んでちょうど反対側に位置する。たとえば、経済学部の本気の先生に「経済」を学び、哲学科の著名な先生に「西洋哲学」を学べる。こんなチャンスはめったにない。
 ただ、本気の先生の授業をうっかり受講するとひどい目に遭う。東大だ・藝大だといって偏差値が40くらい違う大学の講義を、藝大生向けにかみ砕いてなんて講義はしてくれない。本気度100%の授業が進められ、期末のレポートや試験は、本気で評価してくれる。これが、悲惨なことになる・・・。
 しかし、音楽などで「〇〇先生に師事」と同じで、その方面での第一人者に学べたことが将来の力となる。

遊び放題の大学

 ということで、遊ぼうと思えばいくらでも遊べる大学。
さらに、一般教養などを取り終えた3年生以降では、みんな学校にも来なくなる。本来はやはり練習のためなのだけれど・・・。
 せっかく憧れて入った藝大をそのような使い方をしては本当にもったいない。よく言われたことは「君たちは税金で学んでいる!学ばない者は税金泥棒だ!」と。ただ、先生が嘆くその言葉もそもそも授業をサボっている学生には届くはずがない。 

 入学していった弟子達には、決して「4年間の祭り」に参加しないように強く言い聞かせる。
 祭りと言えば、それこそ本当の祭り「芸祭」が毎年秋に開催される。

◆芸祭

 芸祭は、最後の秘境「東京藝術大学」が一般に大きく門戸を開く期間です。僕も、高校生の頃は毎年楽しみにして、詣でていました。
 すべてのホールでは、次々と演奏会が途切れることなく開かれ、ほとんど美校の力による神輿というより山車が大学周辺を練り歩きます。その先頭には、打楽器科を中心としたサンバ・パーティーが。そして、なぜか、楽理科の女子や美校の女子がきわどい衣装でサンバを踊り、祭りを一層盛り上げまる。
 かつては、構内も土の部分が多く、芸祭の時期は酒類で水たまりができていましたが。

◆真実

 しかし、大学に入って真実を知りました。
ちょうど、9月末から10月頭にかけてのこの時期は、「日本音楽コンクール」の予選の時期なのです。
 つまり、ここからの数週間で将来が約束される上澄みの人々は、コンクールの予選が忙しいので、芸祭でオーケストラなどには乗っていません。
 ただ、中には、それこそ強者もいて、どちらにも参加しているような人もいます。当然、強者は今もプロとして活躍しています。

◆友人

 音大に進学する一番の利点は、「同じ音楽の友人を作る事ができること」と三善晃先生がどこかで書かれていました。東大仏文からパリ国立音楽院に留学した先生自身、そのことを身にしみて感じていたのでしょう。

 入学時は、それまでの試験で受験番号が近いとかで友達ができます。しかし、それは夏頃までで、次第にお互いの素性やレベルの違いから新しいパラダイムが形作られ、そのパラダイムには新しい下級生も加わっていきます。さらに、それは卒業後にまで続きます。

 だから、有名な音楽家は有名な音楽家と既に友達です。
考えれば分かるのですが、たとえば、学年1位レベルのフルート奏者が「仲が良い」ということだけで、ピラミッドの下流に位置づけられたピアノ科の学生を伴奏者にしますか?結局は、上位にいるピアノ科の学生が伴奏を引き受けることになります。そうでなければ、やりたい音楽は実現できません。 

 僕のような小童な芸術家が、ステージにバンバン乗る後輩に、
  「先輩、久しぶりです!」
なんて久しぶりにいわれると、小躍りしたくなるほど嬉しいものです。

◆あの本は

 「音楽学部」と「美術学部」では少し違うところもあるでしょうけど、やはりどちらにもピラミッドは存在します。つまり、あの本に書かれていることは、武勇伝や面白エピソードも多いので、中腹辺りに位置づけられた人が見晴らした風景ではないかと思います。
 頂上付近の人は、そうしたエピソードを一切持っていません。ただただ、日々音楽や制作に打ち込んでいるだけです。

 ちょうど同じ時期に、アーティスト村上隆さんが日本画科に在学していたはずです。それと、またまた有名な日本画家の松井冬子さんも在学していたはずです。でも、存在を学生時代にはまったく知りませんでした。おそらく二人とも、外に出ることなく、ただひたすらに絵を描いていたのだと思います。

 真に藝術と向き合い、将来にわたってそれを職業とする藝大生は、何も珍しいエピソードなどはありません。エピソードと言えば、コンクール通ったことぐらいになるでしょうか。 




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