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「第九」その声の主は・・・

 年末ですね~。
でも、今年はコロナの影響で、年末恒例のBeethoven交響曲第九番「合唱付」が演奏されませんね。残念です。

<シラーの詩>
 シラーの詩「An die Freude」をBeethovenは1790年頃に知りました。
ちょうど、フランス革命の時期。Beethovenも「自由」「平等」「博愛」の思想を好み、それを言葉で表わしたシラーの詩をとても気に入っていたみたいです。

 事実。1792年、Beethovenはこの詩を曲に作り上げるトライをしています。雑誌『ライニッツェ・タリーア』に投稿し、付録として掲載されています。

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 確かに、『第九』の有名な旋律の歌詞が使われていますが、つまらない曲です。Beethovenは20年もの間、この詩を使えるチャンスを狙っていました。

<勝手に追加してはいけません!>
 実際のシラーの『An die Freude』は『第九』で使われている詩の3倍くらいの量があります。なので、Beethovenは、お気に入りの部分だけを抜き出したのですね。今なら、著作権法の人格権にある「同一性保持権」違反で訴えられそうです!?
 さらに、最初のバリトンの歌う部分は、Beethoven自身による詩が付け加えられています!!!まさに、2007年、森進一と川内康範の間でトラブルとなった「おふくろさん事件」が思い出されます。

  『おふくろさん』、歌詞がとってもジ~ンときますねぇ。
昭和33年から放送の『月光仮面』の脚本家がまさか健在とは思わなかった!
 川内さんは、「勝手に自分の詩に前に、創作したものを置いた」と主張。

 著作権法には、誰かが創作したものは「そのまま提示」しなければならないとあります。これは人格権に含まれるので、その制限期間は一般的に知られる財産権と違い、作者の死亡時点まで。なので、1805年に亡くなったシラーの詩は、1815年頃から創作に入った『第九』では、同一性保持権としては問題にならないのです。(良かった~)
 もっとも、著作権法のもととなっている「ベルヌ条約」は1886年に成立しているので、そうした考え自体がなかったと思うのですが・・・??

<Beethovenの作詞>
 話しを「第九」に戻して。
Beethovenが作詞した3行は、これです!
        "O Freunde, nicht diese Töne! 
         Sondern laßt uns angenehmere 
         anstimmen und freudenvollere."

 (訳)「おお、友よ!この音ではない。そうではなく、もっと心地よい歌を一緒にうたい、喜びに満ちよう」
 Beethovenさんの作詞、シラーの詩となじんでいるので、言われても、その違いに気がつきません。

 Beethovenの作詞したこの3行は、「さあ、一緒に喜びに満ちた歌を歌おう!」と、いかにも「博愛」に満ちた呼びかけです。このバリトン呼びかけにしたがって、民衆がゴソゴソと集まってきて『第九』の4楽章がはじまります。     
 なので、この3行はシラーの詩への橋渡しとして重要な働きをしています。
 では、いったい、この呼びかけをしている人は誰なんでしょうか?

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<正式名称には「第9」というナンバーがない>
 『第九』の正式名称は、「最終楽章にシラーの詩『歓喜に寄す』を持ち、大オーケストラ、4人の歌い手、1つの混声合唱のために作曲された、我々の陛下プロイセン国王フリードリッヒ・ウィルヘルム3世に深い敬愛を込めて捧げる、ルードウィッヒ・ヴァン・ベートーヴェンの作品125の交響曲」と言う長い長いタイトルです。

 この中には「9番」という意識がBeethoven本人になかったことがわかります。その代わりに「作品125番」という、作品番号に意識が言っていることにも気がつきます。まあ、当時のことを考えると、それは出版社都合とは言え、もしも、本人が気に食わなかったら直しているはずです。
 まあ、それにしても中央で、一番大きな文字で書かれているのは国王の名前です。ものすごい敬愛を込めていますね。

<直前の作品で実験>
 で、この作品番号125番(op.125)というのが、以外と重要なポイントなのです。というのは、「op.124」、つまりひとつ前の作品は何だったかです。その作品は『ミサ・ソレムニス』です。つまり、宗教曲を書いていたのです。
 最初に『第九』の断片が最初に現れたのは『交響曲第8番』(op.93)のスケッチの中です。そこから、これらの曲は、同時進行で書き上げられているのです。
 事実、『ミサ・ソレムニス』はニ短調で、これは『第九』の調性とまったく同じです。恐らく、『ミサ』の中で、声楽の声域と響きや、合唱の各パートのバランスやソリストとのバランスなどを実験していたのだと考えられます。
 ということは、Beethovenは、宗教曲固有の作曲技法やルールに、この時点で精通していたことになります。

<宗教曲のお約束>
 ところで、次の楽譜はBachの有名な『マタイ受難曲』の中から、キリストの最後の台詞の部分。(61a)
 動画・・(5:40~)エヴァンゲリストのレシタティーボ

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 チェンバロのコードだけが叩かれる伴奏にのって「エヴァンゲリスト」が、物語の進行をします。(通奏低音楽器は演奏する)
 そして、上の楽譜の3段目でイエスが最後の言葉を叫びます。
        「Eli、Eli、lama asabthani?」

 Bachという教会勤めの作曲家は、キリスト教の「プロテスタント」に所属しています。なので、歌詞がルターによって翻訳されたドイツ語聖書に従っています。
 でも、このキリスト最後の台詞、ここだけ本来ユダヤ人であったイエス自身の言語「ヘブライ語(アラム語)」で語られているのです。これは新約聖書が成立するときに、ヘブライ語聖書をギリシャ語に訳した『七十人訳聖書』の時から「ヘブライ語」で書かれているのです。なぞです。

 この最後の言葉は、イエス自身の言葉ではなく『詩編』第22番の最初の部分の言葉です。当然、『詩編』のオリジナルはヘブライ語で書かれています。
   「私の神よ、私の神よ、なぜ、私をお見捨てになるのか?」
と、十字架にかけられたイエスは最後の言葉を叫びます。

 この言葉。西洋文化圏ではかなり有名な言葉で、困難に直面したときなどに口をついて出てきます。

 で、そのイエスの言葉の伴奏を見て欲しいのです。
さっきまでのエヴァンゲリストのプツプツ途切れた伴奏ではなくて、長い音が引き延ばされています。これがイエス特有の伴奏形です。

 では、Beethovenが創作した詩が歌われるバリトンの部分を見てみましょう。

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 なんと、弦楽器が音を伸ばしているではないですか!!!!
これで、この3行のセリフをだれが言っていたのか、お分かりだと思います。

<Beethovenはカトリック信者!Bachは?>
 ちなみに、Beethovenはラテン語でミサ曲を書くので「カトリック」教徒です。『レクイエム』は歌詞が「ラテン語」なので、『レクイエム』を残している作曲家、Mozart、Verdi、Faureなど、みんなカトリック教徒ということになります。そして、プロテスタントのBachには『レクイエム』はありません。

 


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