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短編小説集『空の飛び方』

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短編集
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#短編

君がそばにいてくれるということ。

「ねえ、覚えてる?」  はじめて彼女がそう言ったのは、区役所に婚姻届けを出しにいった帰りの車の中だった。  僕はとくに気負いもせず「何を?」と訊いたのを覚えている。あの日の僕は、優香が僕の妻になったことで、妙な万能感に包まれていた。天変地異がおこっても僕たち二人だけは助かるような、そして、この世に二人きりになったとしても、それこそが最高の幸せのような心持ちだった。  優香が訊ねてきたのは、小学校の入学式でのエピソードだった。  一度しか着る予定のない子供用のスーツを身にまと

せっかく異世界転生したんだけど秒で死にそうです。

 指先に小さな痛みが走り、爪を噛んでいたことに気づいた。みると、爪と肉との間に血が滲んでいた。口の中に残る爪のかけらをスイカの種と同じ要領で飛ばした。噛みすぎるせいで僕の爪は人より随分短い。右手の人差し指は特にひどく、元の半分ほどしかない。嚙みすぎた時は数日痛みが続く。夏にやってしまうと治りも悪い。噛まないようすべての指先に絆創膏を巻いたこともある。テープを噛んだ時の苦みと、蒸れた皮膚の臭いが嫌で数回でやめた。結局、ストレスの根本を取り除かなければ意味はないと諦めている。

1995年1月17日早朝

5時46分00秒  胸騒ぎがして、目が覚めた。  辺りはまだ暗い。室内とはいえ、朝の空気は冷え切っていた。隣で眠る幼い息子の寝息以外は何も聞こえなかった。  子供の体温は高い。  布団の中で手を伸ばして、そっと引き寄せる。背中にうっすら汗をかいている。手のひらに、息子の心拍と呼吸のリズムが伝わってくる。  小学生になってから、急に成長した気がした。痩せているけれど、肩も背中もしっかりしてきた。  突然、爆音がした。何が起こったのかがわからず心臓が早鐘をうつ。  確かに、体が