病院に通うと決めて東京の父の実家へ
ようやく自分のうつ病と向き合う形となった。
父の実家の苦しい環境に身を置いても、きっと人生が好転すると信じて、新河岸のアパートから東京の父の実家へと引っ越した。
ところが、本格的に移り住んでから、うつ病は酷くなった。
うつ病に悩まされながらも、病院を探して回った。なかなか自分に合ったところが見つからなかったが、保健所を通して直接メンタル系の医師と相談できる機会を設けてもらった。
これまでの経緯をワープロに書いて、それを印刷して、読んでもらい、ようやく通院する病院が決まった。
※うつ病・その他精神的な病を診察してもらいたいけど、どこの病院に行けばいいのか分からない。病院に行く前にまず話を聞いてもらいたい、という人に、保健所に相談するというのも一つの手です。
相談員さんと、メンタルクリニックの先生も同席してくれてじっくり話を聞いてくれて、それから住んでいる地域にどういうクリニックがあるかを教えてくれます。
探している中で、自分に合わないクリニックも当然あります。医師の態度が悪かったり、ほとんど話を聞いてくれなかったり。そういう時は、別のクリニックに変えましょう。
通院を始めて薬を服用するようになるが、薬はあくまで一時的に症状を和らげるもの。環境を良くしないといけないと言われたが、家での生活が苦しすぎて、何も改善することはなく、体調はますます悪化していった。
家には冷暖房機器はなく、やはり熱中症になりそうになる。頻繁に脱水症状にはなっていた。食事もまともにできない状態で、再び栄養失調気味になっていた。
引きこもろうとしても引きこもれない状況。前述したとおり、認知症の祖母の面倒を見るため、ヘルパーさんが休日以外毎日訪れる。ヘルパーさんはぼくが大学生だと知っている。大学に毎日通うものだと思っている。
結局、ヘルパーさんが家を訪れる前に毎日外に出て行った。公園や、駅前、池袋などに行って時間をつぶした。ゲームセンターに行っていたことが多かったと思う。もちろん大学に行くこともあった。まだゼミだけはしっかり出席していたし、講義もいくつかは出ていた。
更に、この家での生活で一番苦しかったのは、自由にトイレに行けないことだった。過敏性腸症候群というお腹をよく下す病気も抱えていたが、二階の和式トイレは汚れと汚臭がひどすぎてとても使えるような状態ではなく、一階のトイレは昼間は使えない。ゲームセンターやスーパー、デパートなどのトイレにいくために毎日外出していたようなものだった。
引きこもりさえ許されない生活。アルバイトを探しても、全く採用されない。日雇いで採用されても体力が全く続かない。気力をすべて家の環境に注いでしまっていた。
自由に生活できない、軟禁状態とはこういうものなのだろうと思った。
この生活からもう逃げ出せないのだと思い、せっかく芽生えた『生きる』思いも消えていって、再び『死』が頭を埋め尽くしてきた。