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自殺の旅へ

もう死ぬしかないと思うところまで追い詰められた。

完全に心身ともに参ってしまい、自殺の旅に出た。

二十一歳の二月。真冬だ。各駅停車の列車に乗って、琵琶湖を目指した。琵琶湖付近で自殺する夢を見たからだった。

 

滋賀県に着いたのはその日の二十三時近くだった。

刃物を現地で調達する予定だったのだが、店は全部閉まっている。街灯もほとんどなく、道も真っ暗で、琵琶湖もどうやって行けばいいのか分からない。焦りと不安と孤独に苛まれた。

どうしていいのか分からず駅周辺をうろうろしていると、辺りを見回っていた警察の人に声をかけられた。

この時はまだ大学に在籍していたから、学生証を見せて一人旅だと嘘を言った。まさか自殺するためにここまで来たなんて、さすがに本当のことは言えない。

泊まるところがないので彷徨っていると言ったら、ホテルを紹介してくれた。この日は仕方なく、ホテルに泊まった。

 

翌日、琵琶湖を目指した。入水自殺しようと思ったが、結局恐怖に苛まれ、できなかった。

いざ死のうとしても、勇気が持てなかった。あれだけ死にたい死にたいと思っていたのに、自分にまた失望してしまった。

 

 何しに来たんだろうとがっくりしながら、でも、せっかく関西まで来たのだから、京都の清水寺に行ってから、帰ることにした。うまく死ねますようにだったか、それとも生活環境が変わることを願ったような気がする。

 

帰りの電車は静岡の島田駅で停まってしまい、その日の電車はもうなかった。島田駅近くの神社境内で野宿をした。といっても、真冬の寒さの中で一睡もできなかった。

 

結局、自殺せずに帰ってきてしまった。一体何のために行ったのか分からない旅だった。

ただ、これをきっかけにして、ぼくの心の病が両親に伝わり始めた。通っていた大学のカウンセラーからも両親にこれまでの苦しみの経緯を伝えてもらった。

 

そして、二年間通った大学を辞めた。すでに四年で卒業するための単位が足りなくなっていたので、これ以上親に高い学費を払わせるわけにはいかないと思った。

父も高い学費を払わずに済むということで、一切の躊躇なく「いいよ」と快諾してくれた。

休学するとか、そういう方法があるとは知らなかった。病気だから、死ぬことばかり考えていたから、辞めるしかないと思っていたし、両親も休学したらどうだとかはまったく言わず、あっさり「なら辞めていい」と言った。結局、父は、自分が入ってほしかった大学(理系)に入れることができずに、芸術学部文芸学科に入ったことをずっと快く思っていなかったから、高い学費を払うことがなくなってせいせいしていた様子だった。

 

※のちに、派遣で在籍した某会社の部長に大学を中退した理由を話したら、「親が学費を払うのは当たり前のことだよ」と呆れたように、一喝するように言われた。「どんなに学費が高かろうが、留年しようが、大学に進学させたのなら、きちんと卒業させるのが親の義務というものだ」とも。

確かに、本当にお金がなかったのなら、資金面が理由での中退も仕方ないのだろうが、うちはお金がなかったわけではない。のちに、東京の家を新築に建て替えるほどの貯蓄があったのだ。

 

大学を辞めても日々の生活は相変わらず苦しかった。引きこもりにもなれない、アルバイトもできない。

また死にたいということしか考えられなくなった。ただ、その間も小説は書き続けた(小説なんて書くなと父からはしつこく叱責されたが、医師は小説を書くことはぼくにとって自分の気持ちを表すのに良いことだからと勧めてくれ、めげずに書き続けた)。

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