愛と呪いのはなし
鬱漫画といわれるジャンルにはまっている。主人公に救いのない展開が幾重にも訪れて地の底へと転落していくストーリーにカタルシスを覚える。決して明るい気持ちになれるわけではないが、このジャンルの漫画は読後の没入感もとびきり良い。
押見修造や、昔の鬼頭莫宏作品などを読み漁っていると、kindleのおすすめに「愛と呪い」という作品が出てきた。
書籍のほとんどを、kindleなどの電子書籍で読むのでデジタルマーケティングの効果なのか、頻繁に見る表紙な気がした。
とくに中身を確認せずに購入し読み始めたのだが、今まで読んだどの漫画よりも、どの映画よりも、どの小説よりも衝撃的な作品だった。
あたまを固いものでガツンと殴られたようだった。
あまりにも、主人公の境遇が私自身と似ていたからである。
宗教者である親や親せきとの微妙な距離感や相容れなさ、性被害を受けても守ってもらえなかったこと、ある種親からも二次的に性被害を受けたこと、孤独、性に対する認識のゆがみ、埋められない承認欲求、その承認欲求を誇示している自分への嫌悪感など、あらゆる感覚が自分の中に濁流として渦巻いてしまい、今とても目が冴えている。体は眠いのに。
主人公が幼少期からの過去を振り返り、過去のあらゆる暗い記憶とともに現在に立ち返り、ラストの主人公と母で対話をするシーンへつながる。
決して救われるようなラストではないし、問題は何も解決していないのだが、
私の母は10年前に他界しており、漫画の中の主人公の母と自分の母を重ねた。
もしわたしの母が生きていて、この主人公のように対話できていたとしたら、わたしの母もこんな風に言っただろうか。と。
救われるわけではない。救われるわけではもちろんないのだが、この主人公は「なぜ」に対する答えを得ることができていた。
この漫画の作者はこの作品を半自伝であると語っている。
アマゾンレビューでは高評価を得ていて、わたしのように境遇が似通っているひとも、そうでないひとも、この作品をおもしろいと感じているのだ。
わたしの人生経験もこの作品のようにある種のエンタメとして消化することができるのかもしれないと思った。
そうすることで、自分の過去のつらい経験や記憶に対して、答えをつくってあげることができるのかもしれないと、思った。
そういう経緯で、わたしは初めて、自分のことを知らない他人に、わたしの過去をアウトプットしてみようと思いいたり、
手始めに性被害のチャット相談ができるページを開いたのである。
これから少しずつ、できるだけ文章としてまとまりのある形で、私の過去を記録していこうかと思う。