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道辺日記(2024年9月4日)
6時半頃起床。朝、トイレに行った夫が「秋を感じるからトイレ行ってみて」と言った。昨日から束の間の涼しさとやらで、今日もずいぶん秋らしい。トイレに入ると小窓から涼しい空気と鈴虫の声が流入して、確かに秋の結晶を見たような気がする。我が家のトイレは夏はとにかく暑いし、冬はとにかく寒い。季節を感じるにはぴったりのところである。
7時前に家を出て、夫と駅ビルのカフェでモーニングを食べた。他愛もないことを話した。私は今日海へ行くと昨夜決めていたから、途中まで夫と一緒に電車に乗った。しばらく乗って、私は乗り換えをするために夫と別れた。乗り換え先の車内で昨日買った本を読む。いつもはイヤホンで音楽を聴いているのだが、イヤホンをやめて、日常の音を聴きながらする読書はかなり捗った。
最後の乗り換えで乗った電車はかなり空いている。9時過ぎ、K駅着。海岸を歩く。今日は涼しいと思っていたが、晴れた日差しに汗ばむ。海岸にはまだ開いていない海の家がずらっと並んでいた。あとサーファーが多い。前回来た冬には海の家もサーファーも勿論無かったので、景色がまるっきり変わっていた。ただ、やはり海は大きく広く、そのはっきりとした青は私の心を穏やかにした。無条件に安らぎを与えてくれる自然に感謝したい。傷心したりくさくさしたりしたとき、私は海を見に行く。今回も海を見て、なんとかなりそうである。
自分の言葉が全く意図していないように他人に受け取られるのは、かなり堪える。もちろん殆ど私が悪い。言葉をもっと賢く使うべきであるし、意図したように言葉を受け取ってほしいのなら、言動の一致した姿を積み重ねて見せる必要がある。それらができていないのに、他人の受け取り方に対してとやかく言うことはできないと思う。難しい課題であるし、これからも誰かを傷つけてしまうかもしれないが、やはり生きるのなら醜い自分も覚悟して、一つ一つ学んで生きたいと思う。
10時前に近くの水族館へ。ここの水族館は約6年ぶりに来た。現在の夫と来たのが最後である。年間パスポートを作るくらい、幼少期家族と行ったところである。魚、クラゲ、イカ、ペンギン、アザラシ、イルカ。かつて地下に水槽があって、そこで泳ぐ二頭のカマイルカを私はずっと眺めていた。スケッチブックにスケッチをしたりもした。その地下水槽は今はなくなっていて寂しかったが、二頭のカマイルカは年老いても未だに穏やかに泳いでいた。私はまたそのカマイルカたちに会えるとは思わず、驚いた。海の生き物たちが水中を気持ちよさそうに泳ぐ様は、私を癒した。私も久しぶりに市民プールなんか行って泳ごうかしらん。
12時前に水族館近くのファミレスへ。ドリンクバーを頼み、読書と調べ物をした。ファミレスではずっとドビュッシーのピアノ曲がかかっていて、その独特のセンスに好感を持った。ただそれは私の眠気を助長させた。睡魔と闘いつつ、本ーーサラ・ベイクウェル『実存主義者のカフェにて』ーーを読み進める。16時過ぎ、切りがいいところまで読み、ファミレスを後にした。
17時半頃、最寄駅に着く。サイゼリヤで夫と合流。買い物をして20時前に帰宅。眠気と疲れがどっとくる。今日は早く寝るべきである。しかし、最近なんだか夜は頭が冴えてしまう。困った。