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【第三回】キーパーソン・バトン 森木岳明さん

昨今のSNS時代、自己発信も重要になり「自分自身のポートレートが欲しい!」というニーズが高まり、撮影会社である株式会社シキラマにも多数お声が集まるようになって参りました。

そのニーズにお応えするため、ポートレートをはじめご自身のSNSなどでも発信できるように、インタビューを組み込んだ企画でございます。インタビューの最後に次のキーパーソンをご紹介いただき、毎月連載でご紹介させて頂こうと思っております。


3回目となる今回は、ホテル雅叙園東京総支配人、森木岳明さんにご登場いただきます。
森木さん、よろしくお願いいたします。



プロフィール
ホテル雅叙園東京
総支配人 森木岳明氏
※ホテル情報は
こちら


これまでの経歴

古賀
森木さんとこうやってお話を聞くのはなかなか新鮮でございまして、よろしくお願いします。
まずは森木さんのこれまでの経歴を教えていただけますか?

森木
97年に大阪芸術大学を卒業して、もともと建築を専攻していたのでそのまま建築のコンサル会社に入社しました。4年ほど働いて、給料も仕事の内容も不満はありませんでしたが、ライバルが多すぎてこのままでは人の上に立つには相当時間がかかると感じました。建築時代に仲良くさせていただいていた、あるレストランのオーナーさんから「レストランでパーティーが儲かる」と聞きました。それで「森木ちゃんウェディングだよ」と言われて、当時はレストランウェディングや2次会のようなものも大阪でも一応ゼクシィなどでプロデュースされていたところがあり、レストランウェディングに興味を持ったのが最初になります。イベントや企画のようなものは学生の頃から好きで、できれば何かそういうところに身を置いてもいいのかなと思って、それを紹介していただいてから即日ゼクシィを買って1ページ目から電話しました

それがね、2001年。その頃は映画やドラマでもウェディングプランナーのようなのが流行っていたので、一応志望したのはウェディングプランナーでした。しかし、どこも採用してくれず、面接もないような感じでした。最後の250ページぐらいで、電話して明日来て面接していいよと言われたのが月華殿でした。最初はレストランウェディング部門のアルバイトとして入社させてもらって、時給800円でした。今でも忘れませんが、2001年というのは自分も結婚した年でして、転職して時給になると言ったら妻に相当心配されました。大学の時からお付き合いしていたのですが、義理の親父さんにも突っ込まれたかな。なんとかその時は、将来倍にして返すからという約束で行かせていただきました。

動機は不純で、実は最初に結婚式の現場を見せてもらった時に、正直イケてる男性が少ないなと思って、ここなら何とか上に行けるんじゃないかという根拠のない自信があってやらせてもらいました。どうしても結婚式じゃないと駄目だったかというと、全然実は仕事としてはそんなふうに思っていなくて、若かったということもあって最初はやはり華やかなところに何か身を置いてみたいなというのが強かったかもしれません。
結果的には、サービスやキャプテンなどから始めて27歳ぐらいまで現場をやらせてもらいました。でも、ほどなくしてレストランウェディングは下火となりチームは解体になりました。元々儲かってなかったわけですよ。そこから本社に戻ったのは良かったのですが、本社ではプランナーもできないだろうという感じで一度リストラされそうだったのですが、当時広告宣伝の企画室長だった楠田さんがウチに来ないかって声をかけていただきました。それで何とか首の皮一枚繋がる感じで。そこで1年半ぐらい広告を勉強しました。その後、楠田さんとは一緒にディアーズ・ブレインに行くことになるんですが。

古賀
もう社員になられてるんですか?

森木
いや、まだバイトで時給900円ぐらい(笑)。上には野村さんがいて、ちょっとしたら新規接客とかそういった仕事も、いわゆる営業ですよね。それもやらないかって野村さんから声かけてもらって、是非やりますってかんじで。どちらかと言えばそっちの方が得意です、みたいな感じでそのタイミングで社員にしていただきました。
ところが月華殿は経営難だったのでどんどん業績は悪化していくことになるんですが、そこで救世主として来られたのが小岸さんとディアーズ・ブレイン。小岸さんが1人ずつ面談するということで面談に行ったら、しばらく30分ぐらい喋って、そしたら小岸さんが「わかったお前は明日から人事だ。」って(笑)

古賀
(笑)何がわかったんでしょうね。

森木
当時、人事部がなくて総務が採用とかしているわけです。人事部ないですけどって言ったら、いや人事部は作るんだと言われ、もう左遷だという感じですよね。そこから1人人事部というのを始めるんですよ、役所みたいに「人材開発部」っていう吊り看板つるして机に1人、部下もいないですよ(笑)。
いいからとりあえずやってみろと言われて、人事やったことないからとりあえず労務や社会保険などの本を読んで勉強しましたね。その年に初めて新卒採用をするのですが、ノウハウがまったくなくて、ノウハウはディアーズ・ブレインから持ってくるからということで、無我夢中でやりました。簡単な話、やはり会社は人が大事だという意味での人事部新設だったわけで、僕が考えていた左遷ではなかった。その後は人事総務、経営企画、などやるんですけれど30歳だったかな、30歳でそこまでやらしてもらい、月華殿に入社してから約4年ぐらいなので、4年で現場のアルバイトから運営の中心まで経験させていただきました。
そして次のステップを考えてディアーズ・ブレインに移りました。

古賀
なるほど、次のステップとして月華殿からディアーズ・ブレインに移った。

森木
ディアーズ・ブレインでは2006年から人事としてスタートし、色々なきっかけもあり、千趣会の子会社に入れていただいた2008年から営業部長を務めました。そしてその翌年に執行役員になるのかな。そこから2012年までディアーズ・ブレインでお世話になりました。月華殿の時にいただいた小岸さんへの恩を十分に返せたらどこかで卒業したいなというのがやはりありましたね。というのもハウスウェディングというのは出し続けるっていう作業で、同じことが続くという仕事がちょっと限界だったし、一番大きなきっかけは2011年の東日本大震災で北関東7店舗が被災したことが苦しかったですね。最近ではコロナもありましたけれども、自分自身、多店舗管理の限界みたいなことをすごく感じたんですよ。

当時、会社として売上100億円という一つの節目を目指していたのですが、2012年にちょうど102億円の売上があったので、一旦ここで卒業させてもらおうということで出ることになりました。そこから2年ぐらい1人でいろいろしていたんですけど、2015年からディアーズ・ブレインに復職し、目黒雅叙園の婚礼担当として雅叙園に出向することになりました。きっかけはディアーズ・ブレインとワタベウェディングが資本業務提携をしたので、ワタベの100%子会社である雅叙園の婚礼を強くしてほしいというのが目的でした。とりあえず2年だけという話で始まって、今9年目です(笑)

古賀
(笑)では振り返ると最初の月華殿が2001年から何年までですか?

森木
2006年まで、2006年から次のステップとしてディアーズ・ブレインに移り、2012年までいました。2012年から2年間は1人だったんですけど、15年から雅叙園で今に至るという感じですね。

古賀
雅叙園ではどういうステップですか?

森木
もう今やから言いますけど、雅叙園は最初、婚礼の外部コンサルのような立場で入りました。言うことも聞いてくれないし、なかなか強烈でした。そこから2年目ぐらいからかな、このままでは何も変わらないということもあって、婚礼部長として正式に着任することになりました。

5年間、婚礼部長として専任したあとは、兼務ラッシュですよ。宴会部、マーケティング部、宿泊部に法人営業部、一通り部門長として担当してきました。その後、2020年に副総支配人になり、2023年4月から総支配人になりました。


一番記憶に残っている仕事

古賀
これまでの経歴の中で長くいろいろな経験もされてきていますが、一番記憶に残っている仕事というのをお聞かせいただけますか。

森木
そうですね、ここ目黒雅叙園での新卒採用かもしれないですね。これは2020年4月ですけれども、ディアーズ・ブレインでは当たり前だった新卒採用スキーム、あるいは価値観といったところも、ここではそれ要りますか?みたいなそんな感じだったですね。
今、大手のハウスウエディング企業とかが人手不足と言いながらも、それでも潤沢に業績を伸ばしているのはやはり新卒採用をしっかりしているからなんですよね。やはりそうでない会社を見ていると、若手の採用や育成が遅れてしまって、結果的に業績が崩れていくという印象はあります。当時の目黒雅叙園も同じような状況で、新卒も入れるんだけどそこにコミットメントがないものですから、入ってもやめるよねっていう話。迎える側もやはり教育する、教えて戦力化するという価値観がなかったんで。これはブライダルに限らず、宿泊やレストラン、宴会サービスなどでも同じですが、採用のコンセプトを作り、ポリシーを決める作業が重要であり、実際に目黒雅叙園の業績が上がっていった最も重要なポイントだったと思っています。

古賀
準備も含めて新卒を取ろうと思えば、準備も結構必要ですよね。社内のさまざまな要素を整える必要もありますし、結構大変だったでしょうね。何人ぐらい採用されましたか?

森木
ホテル全部で50人。その内調理が20人です。

今のお仕事

古賀
これまでの話と最近の採用のお話も聞かせていただいたんですけど、もう少し、今なされているお仕事内容を具体的にお聞かせいただけますか?

森木
今はホテルとしては宿泊やレストラン、一般宴会などビジネスが戻ってきているわけですが、一方で婚礼についてはビジョンが不透明だったりして事業間での格差が激しいですよね。調子のいいものはさらに伸ばし、そうでないものに関してはやはり次の打ち手を一緒に考えるっていう。一つのメッセージだけで全体をけん引することは難しくて、各セグメントに合った方向性を指し示すことを意識しています。会議とかミーティングとかでも全体に発信することももちろんあるけれども、レストランはレストラン、宿泊は宿泊そういった関わりを増やしているかなと。
会社としてどうなりたいかを話す仕事や役割が多いと思います。もしかしたら総支配人という立場では多分そこまでしなくていいのかもしれないんですけれども、僕はどちらかというと、いいホテルである前に、いい会社でなければならないという意識が強く、メンバーともそれを一緒に共有したい方なのでそういう時間を大事にしています。

これも時々記事に取り上げていただきますけど、ホテルでは珍しくて全社のキックオフというのを年1回やっています。そこで営業全部止めて実質売り上げで2000万円ぐらい捨てでも年1回のキックオフはやる。これによって採用した人の士気がより上がっていくようなことが続いています。現場にはリーダーがそれぞれいますけれども、僕の仕事としてはこの会社全体の方向性を示しつつ、各リーダーが仕事をしやすいような環境を作ったり、それぞれの部署の伴走もちょっとしてあげるという感じ。

古賀
なるほど、そのキックオフの内容はどういう感じですか?

森木
各部門が今年はこれやります、去年の振り返りみたいな。2部目は1年間の表彰をします。永年勤続の表彰であったりとか、新入社員の紹介だとか中身は月並みですけれども、今は全員で集まることがやはり大事だなと思っています。続けることで会社としてカルチャーにしていきたいなと考えています。

古賀
森木さんとしてはさらに先のことを考えていくお立場かと思いますが、何か未来を見据えてこういうことをやっていこうとか成し遂げたいみたいなことってありますか?

森木
最近言っているのは、いろんなホテルでもインバウンドに向けたコンテンツとかありますが、僕はやはり日系のホテルとしては、日本のお祝いや節目などに使われるホテルになりたいですね。節目を大事にしないと強くなれない、それは竹のようにということなんですが、だから最近は「アニバーサリーユース」という表現をしています。ラグジュアリーやレジャーといった普遍的な表現ではなく、真っすぐに記念日に使ってもらいたいんです。例えば、単純に言うとバックヤードに一番花束が並んでいるホテルでありたいみたいなね。そういったあるべき姿をなるべくわかりやすく伝えているつもりなので、将来においてもそういう節目や記念日などに気付けるホテルでありたいと思っています。

古賀
なるほど素晴らしい。

森木さんにとって、仕事とは?

古賀
未来のことまで聞かせていただいたんですが、ここからは仕事に取り組まれていきた森木さんにとって「仕事」とはなんですか?

森木
表現がちょっと何か他にもあるかも知れないけど、仕事は「楽苦しい(たのくるしい)」という言い方をよくします。「楽しい」の後ろに「苦しい」もつけるんですけど、「楽苦しい」が仕事だろうなってやっぱり思っています。楽しいけど苦しい、もっと言うと苦しくないと楽しさにも変わらないのかな。これも何年か前からそうやって言うようにしています。楽しいだけの仕事は無いし、苦しいだけの仕事は嫌だからくっつけたらそんな感じかな。僕自身もそんな仕事の仕方をしています。

仕事に通ずるメッセージ

古賀
これを見る若者たちに対して森木さんから、仕事に通ずるメッセージみたいなものがいただければと思います。

森木
今の若い子たちはすごく成長を急ぐじゃないですか。僕の経歴じゃないですけど、30歳手前でアルバイトをしていたりしていましたが、やっぱり人の成長はすごく長い時間をかけて最終的に自分でそれの良し悪しを判断する、人が判断するんじゃなくて自分がこうだったよねって判断するものだと思っていて、例えばすごく成長を早めにした人って、途中で必ず踊り場が出てくるんですよ。その踊り場でプランナー辞めたいとかホテル辞めたいとかなるんですけど、やはり成長というものは右肩上がりの一直線じゃないので、必ずジグザグっていう何度かの踊り場があるものだから恐れる必要はないし、どうせだったらその踊り場で何か違うことを楽しむとか、そのぐらい何かプライベートをこれ頑張ろうかとか、何かそういうふうに思ってもらいたいと思ってるんですよ。人生は長いだろうなと思うし、なんか急いでくれるのは大いに結構なんだけど、人と比べて成長が止まった時に何も怖がる必要はないのかなという感じですね。

古賀
普段から雅叙園のスタッフにもそういうお話されてるんですか?

森木
そうですね。ウチのメンバーに対しては、長々と10年も20年も雅叙園にいてもらいたいと思ってないよと(笑)。履歴書に目黒雅叙園と書くことは別に大事なことではなくて、ここにいるうちに何をどれだけやったかにこだわってほしいと。例えば結婚式を100件担当したとか、成約が50%だったとか、自分が何をやり遂げたかが重要であり、雅叙園というステージを使ってそれを楽しんでもらいたいと伝えています。それは中途採用の方にも話しています。

影響を受けたもの

古賀
おすすめの1冊というか、ご自身のバイブルになってるような、やっぱこれ読むといった立ち返るような一冊を教えていただけますか?

森木
だいぶ読み返してきたんですけど、ドラマにもなった「ローマ法王に米を食べさせた男 過疎の村を救ったスーパー公務員は何をしたか?」/高野 誠鮮(著)ですね。

著者の高野誠鮮さんは元々テレビ制作の企画をやっていて、これは石川県羽咋市が地元なんで、戻って公務員やるっていう実話ですけど。ここで今までの公務員の常識じゃないことをいろいろやる、要は民間の発想でやるっていう本で、これは結構役に立ちましたね。どうしてもこういう大所帯だと総論賛成・各論反対になったり、過去に前例のないことはやれなかったりしてしまうんですけど、本当に正しいことは何なのかっていうのを問いかけられる。

古賀
大きな組織とかに外から入って影響を及ぼしていくにはどうしたら良いのか、みたいなところが結構いろいろやはり参考になるんですね。

古賀
ありがとうございます。次は映画になるんですが影響を受けた映画はありますか?

森木
マイフレンドフォーエバーですね。エイズになる子供の話なんですけど、これは凄くいろいろ考えましたね。20歳ぐらいで見たのかな。結構古い映画なんですけども、当時はエイズに対して持っていた偏見等もあったりしました。子供がエイズになってからの人生を描いてるんですけど、友達にいじめられたり、それを助ける子がいたりとか。そういう中での人間模様は当時の若かった僕にとっては病気についてまったく考えられていなかったっていうのもあるんですけど、体を大切にすることや何かそういう人がいたら助けないといけないなって思いました。

尊敬する人

古賀
次は尊敬する人を聞かせてください。これは身近な人や歴史上の人でもいいですし、今の経営者の方々でもいいですし森木さんが尊敬する人。

森木
単純に野球少年だったので、イチローさんなどを尊敬しています。特に彼が引退してからの現役時代に発言している言葉などを SNSなどで見たりしてあらためてすごさを感じます。インタビュアーがイチローさんに「10年連続、200本安打おめでとうございます!毎回の打席ではどんなことを考えていますか?」と質問したら、彼は冷静な顔で「打席に入ると何も考えません。練習でやったことを実行するだけです。」と答えます。つまり、練習で身につけていないことは実際の試合で出るわけがないということですね、まったく理に適っています。

そういった考え方もあり、雅叙園ではロールプレイングなどをよく行います。スタッフにはよく「接客本番になってからお客さんで練習するな」と言いますが、これはそのイチローさんのエピソードから得た考えになります。

おすすめの飲食店

古賀
全然話は変わりますが、何かおすすめの飲食店をお教えいただけませんか?

森木
質問としてはこれが一番難しいなと思うんですが。学芸大学で、コーヨーハイツという、マンションみたいなのを改装していて面白い建物の凄くいいとこがあるんです。料理はおばんざいみたいな感じですけどコースもあって予算も安いし、よくインスタとかTikTokとかでも出てますかね。たまたまこないだ久しぶりに行ったんですけど、やっぱり安定感ありな感じです。カウンターしかないので2、3人で行くのがおすすめです。

プライベートについて

古賀
何かちょっと漠然としてますが、普段プライベートでは何されてますか?

森木
ゴルフ。それと犬に付き合わされていることが多いですね。 4 歳のマルチーズプードルと一緒に散歩で砧公園に行ったりします。コロナ中にどこにも行けなかったので、家族としては寂しいところを救ってくれたのは犬だと感じています。どこにも行けなかったけれど、彼女(犬)が家に来てくれて明るくなりましたね。

古賀
今、何かにどっぷりはまっていて、最近これがとても面白い。そんな経験はありますか?

森木
よくあるマッサージ機で内腿に入れてとっても痩せるとか何かその手の器具を買ったりするのにハマっているかなと。そういう健康ダイエット器具・健康器具みたいな、今あんまり積極的に体を動かしてないのでとりあえず買うっていう感じですね。買うだけ買ってやらないものも多いので、無駄な買い物です(笑)


家族へメッセージ

古賀
最後は家族へメッセージをいただければと思います。

森木
いや、本当に何も言わない人たちなので、僕は妻と同じ大学の同級生で、そのまま26歳で結婚して東京に行く時も何も言われなかったんですが、何をするにも反対されたことがないので好き勝手やらせてもらってきました。それに関してはもう常々感謝していますね。そうやって何も言わないでいてくれたんで、ストレスなく仕事ができているのかなと。そのおかげでそこそこの人生を送れてきたと思うから、そういう意味では本当に感謝しています。

古賀
それはご本人にちゃんと伝えていますか?

森木
言ってない(笑)

古賀
この取材が奥さんに届きますように(笑)
では、最後に次の方をご紹介いただきたいのですが、どなたでしょうか?

次回のインタビューのご紹介

森木
あつみゆりかさんです。

古賀
どのような方ですか?

森木
凄く精力的でいつも頑張っている方ですね。

古賀
森木さん、ありがとうございました。それでは次回は、あつみさんにインタビューをさせていただきたいと思います。