ないものを見る
ゆっくりと、確実に、私の住む町にも公演が戻ってきつつある。
日本の伝統芸能は、舞台にないものを見る。
しみじみと思うのはこのことである。
先回、宝生流の上演を拝見した時、能楽師の川瀬隆士さんが上演前の解説に立たれた。
「みなさんは夕日を見たことがありますか」「満開の桜を見たことがありますか」などと、観客に問いかけた。
そう聞かれて、パッと頭の中に光景が浮かばない人はいない。
それが、仕舞「春日龍神」、「網之段」の背景なのだった。
能舞台には限られた道具しか置かれない。最大の背景はきらびやかな装束だろうか。
ないからこそ、観客はそれぞれの経験から大きな景を思い浮かべることができる。
五月に同じ能楽堂で市山流の日本舞踊を見た時にも、不思議な経験をした。
踊る芸妓さんの足元に、ぱーっと海が広がったのだ。
たぶん、他の観客のみなさんも同じ経験をした人がおられたに違いない。
身ひとつに表現を委ねる芸能は、コロナ禍で長い間、発表の場がなくとも、日々稽古に励んでおられる。その孤独の時間は決して無駄にならない。
今もこれらの公演のことを思い出すと、しみじみとした余韻に包まれる。改めて私の心は砂漠みたいにカラカラに乾いていたことに気がついた。
2022年6月11日©YoshikoShikimura
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