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[VRChat考察]なぜ人々は「お砂糖」を作るのか。


VRChatにおける恋愛関係、所謂「お砂糖」関係について、日々様々な意見が飛び交っているわけだが、私自身の「お砂糖」についての考えをまとめてみようと思った。

つらつらと私感を書くが、
本記事の主要な考察は、第四章[発達心理学からみた「お砂糖」]に全て集約されているため、時間がない方は、そこだけ読んでもらえれば幸いである。

そもそもメタバースって何よ

お砂糖について語る前に、まず「メタバース」とは何なのかについて語ろうと思う。

「そんなもん知っとるわい」という方は読み飛ばしてもらってオッケー。要は「メタバースは現実とは違う社会」であるということだ。

本記事では「メタバース」という言葉を「オンライン上に存在する仮想空間全般」を指す言葉として使用するが、
そうしたメタバースは、ただの仮想空間ではなく、現実世界とは違う「もう一つの社会」としての側面を持っている。

現在私が主に活動しているVRChatはSNSであり、読んで字の如く「ソーシャルネットワーキングサービス」なのだ。
「ソーシャルネットワーキングサービス」について、wikipediaを参照すると、

狭義には、SNSとは人と人とのつながりを促進・サポートする、「コミュニティ型の会員制のサービス」と定義される。
wikipedia「ソーシャル・ネットワーキング・サービス」

といったようなことが書かれている。
そう、読んで字の如くだが
SNSとは「社会的構造を提供するサービス」
なのである。

ここでいう「人と人とのつながり」というのは本来コミュニケーション相手との関係が、現実社会において既知のものであるか未知のものであるかを問わないわけだが、
本記事で主に触れるVRChatは、ユーザーが自らのアイデンティティとしてアバターを身に纏い、「現実の自己とは違う存在」として、生活を営み、
これまた「現実の自己とは違う存在」である他のユーザーとコミュニケーションを取るという利用を主としたSNSであり、相手は既知の人物である場合の方が多い。

つまりVRChatは現実社会とは乖離した自分が所属する、
もう一つの「社会」であるといえる。

余談だが、そもそも本記事のテーマである、
一般的な「お砂糖」関係とはアバターを纏った「現実とは違う」人物が2人で行うものとする風潮があり、
既知の人物同士、つまり現実社会での恋愛関係は「お砂糖」と呼称されず、「恋人」「パートナー」「リアルお砂糖(なんだそれ)」などと呼称されて、「お砂糖」とは明確に区別されるケースをよく見かけるが、
そうした区別が一般的になっていることからも、メタバースが現実とは違うもう一つの社会であると、多くのユーザーから認識されていることが読み取れるように思う。

また、詳しくは5章で記載するが、メタバース空間内での性行為を伴った関係についても、「お砂糖」ではなく、「JUST」や「JUST勢」といった形で別の関係として呼称されることが多いのも興味深い。

VR空間で生まれた私たち

鳥は卵の中からぬけ出ようと戦う。卵は世界だ。生れようと欲するものは、一つの世界を破壊しなければならない。
「デミアン」ヘルマン・ヘッセ

さて、本題に入ろう。

「メタバースで生活を営む」という行為は、
ある種での「生まれ変わり」なのではないか。と思う。
VRChatを始めたユーザーは、自らの嗜好を固めたアバターを身に纏い、各々が「かくありたい」と思った姿となって新しいコミュニティを形成していく。

こうした体験は言い換えるならば
「自己の改変と、それに伴う社会≒自らを覆う世界の改革」であり、
私は「少女革命ウテナ」等のアニメ作品に通じるものがあるのではないかと感じるのだ。

要はウテナが剣を持って戦うように、
或いは一般的な高校生が仲間を集めてスクールアイドルになってステージに立つように、
VRChatを始めたユーザーは、自らの肉体と社会的なしがらみを捨て去り、
アバターというもう一つの自分の姿を生み出すことによって、自己実現欲求と変身願望を満たし、更には自らの周囲の環境をも変革していく。

そういう意味ではアバターはアイデンティティでありながら、現実社会の自らを弔う墓標なのかもしれない。
もっとも、アバターも墓標も、「そこに居ない誰か」を想うためのインターフェースとしては本質的に同質のものなのだが。

依存への嫌悪感

まず断っておきたいが、そもそも、VRChat内での恋愛関係である「お砂糖」について私は特段の感情を抱いていない。
社会でどのように立ち振る舞うかは、各個人の自由であり、他者とどのような関係を結ぼうが、そこに第三者が介入する余地はないのだ。

だが実際VRChatで生活を送っていると、「お砂糖」という関係を見ることに一抹の不快感を抱く者もいることも事実かと思う。
それは何故か。私なりの考察を行ってみた。

お砂糖に嫌悪感を抱く心理を想像してみた。
その理由として私が思いついたのは
・嫉妬
・「依存すること」そのものへの嫌悪感
の主に2点である

嫉妬については言うまでもない。「恋愛できていいな〜〜」という感情だ。

もしくは、仲のいいコミュニティ内で、メンバーの内の2名がお砂糖関係となり、プラベ(他の人が入れない個室みたいなもの)に篭って出てこなくなった、という状況は多くのVRCユーザーが一度は経験するのではないかと思うのだが、
残された個人は言ってしまえば「選ばれなかった者」であり、「私達と過ごす時間よりも、2人での時間を大事にするのか」という感情に起因する嫉妬の念が生じることもあるかと思う。

それはともかくとして、
本章の主題は2つ目にある。

そもそもヒトは依存すること、もしくは依存している個人に対して嫌悪感を感じる。

例えばアルコールに狂い、虚な目で路上に座り込む人間を見たらどう思うだろうか。少なくとも素敵!などと思う人間はごくごく一部であり、大半の人は「みっともない」や「汚らしい」と言う感情を抱くのではないか。

基本的に依存、つまりは欲望に忠実に従って行う行為というのは隠れて行うべきなのだ。
酒に酔って嘔吐する場合はトイレに行くべきだし、自慰行為に耽る場合は自室で行うのが好ましいだろう。麻薬などもってのほかだ。

そう考えれば、タバコが世の中から総叩きにあっているのは、公衆の面前で依存している姿を晒しても比較的問題のない嗜好品であることに起因するのかなと思ったりもする。(最近は喫煙所の数も減り、路上で喫煙して回ることが社会的に許されない行為となったため、一概にそうでもなくなってきたが。)

恋愛も例外ではない。恋愛とは欲望や依存といったものと親和性がかなり高いものである。

実際、改札の前でで抱き合い、あまつさえ熱いキスを交わす男女を見て不快感を抱くこともあるし、性行為を路上で行えば問答無用で逮捕される。

それを踏まえた上で、ヒトは恋愛している他者を見た際には、その実態がどうであれ、他人からの承認欲求、あるいは性欲に振り回されているような印象を受けることが往々にしてあり得るし、
それに対して嫌悪感を抱くことも何ら違和感のないことであると言える。

その辺りが、お砂糖に嫌悪感を抱くユーザーが一定数居る理由なのではないだろうか。

発達心理学からみた「お砂糖」

前章では「お砂糖」が恋愛関係であるという前提のもと、一部VRChatユーザーがお砂糖という関係性について嫌悪感を抱く理由についての考察を書いた。
(再度断っておくが、私自身は別段お砂糖という関係性に何かしらの感情を抱いていない。)

ここからが、本記事の本当に書きたかった部分である。

本記事の主題は、
本当に「お砂糖」とは恋愛関係なのだろうか。
ということにある。

第二章でメタバース空間はもう一つの社会であり、そこで生活を営む私達は「現実を捨て、生まれ変わった存在」であると書いた。

人々はメタバースに自らの身を投じたタイミングで、
現実社会とは違う、もう1人の自分という存在を自己の内面に抱くのだ。

さて、それを踏まえた上で、
もう1人の自分、つまりは変革された世界に内包される、自己というものは、
アリストテレスのいう「ポリス的動物」として、非常に未熟であり、言うなれば赤子のような存在であると考えることができる。

そうした新しい環境の中にあって、人々が求めるのは恋愛関係なのだろうか?

現実社会に置き換えて考えてみよう。
果たして生まれたばかりの子供が恋愛関係を求めるだろうか?
少し違和感があるように思う。

では、幼児は人間関係に何を求めるのか。

愛着理論、というものがある。心理学者であるジョン・ボウルビィによって確立された理論だが、愛着とは元来、母(父)と子の相互関係において生じる情緒的な絆に原義を持つ言葉である。

ボウルビィによれば、幼児は生後3ヶ月頃までは、養育者を認知せず、周囲の誰かの注意をひこうとして、誰に向かっても同じように泣いたりほほえんだりする。しかし生後6ヶ月頃になると、養育者に対して特に強い反応を示すようになり、凝視したり、あるいはあとを追うような行動をとることで近接性を維持しようと試みるようになるという。
そうして、養育者を他者とは違う存在として、特別な愛着=情緒的な絆を育んでいくのだ。

こうした愛着行動は、内的作業モデル、つまりは他者と自己の関係における一般化された枠組みの形成を促すと同時に、安全基地として機能することが知られており、
養育者に対する愛着が形成された後には、幼児は養育者から程度な距離に離れて探索し、離れている時間が長くなったり、何かに苦痛を感じると、安全な避難所として養育者の元に戻ってくるようになる。

要するに、養育者という安心して帰ることの出来る場所を得たからこそ、幼児は外の世界を探索し、そして両親との人間関係を基礎的なモデルとして、それ以外の他者との人間関係を形成していくことができるようになる。ということだ。

ここでメタバースに話を戻そう。

まず、メタバースに生まれ落ちた瞬間、そこは当然未知の世界であり、Publicインスタンスに行けば、全く知らない、言葉も通じない外国人に声をかけられたり、あまつさえセクハラをしてくるような大馬鹿者に絡まれることもあるだろう。

しかし、初心者向けのイベントに参加することや、publicインスタンスの中で気の合う仲間を見つけ出すことによって、メタバース・コミュニティの中に自らの居場所見つけ出し、その社会でのコミュニケーションのあり方を理解していく。
そして更にはそのコミュニティを安全基地として、また新たな人間関係を開拓し始める。
といったような行動をとるようになる。

噂によればVRChatは初心者の離脱率が非常に高く、全ユーザーの総プレイ時間の中央値は2時間程度に収まると聞いたことがあるが、これは現実空間において、幼児が生後3ヶ月以内に養育者を見つけられなかった場合に生存が非常に困難になるということと同様に、
メタバースという世界で安全基地を確保するのとができず、淘汰されていくユーザーが半数を占めている状態にあるからだと推察できる。

安全基地が無ければ、世界は非常にストレスフルなものであり、そこで活動を続けることは困難なのだ。

このことから分かるように、VRChat初心者の行動パターンは、乳幼児の愛着理論と似通った側面があることがわかる。
(勿論、これはあくまで1例であり、全てのVRChatユーザーがこのパターンに則って行動しているわけではないことは百も承知である)

以上を踏まえて、改めて考察したい。
「お砂糖とは何だろうか」
そして、
「VRChatユーザーはお砂糖に何を求めているのだろうか」

それは「お砂糖」という存在に母性、あるいは父性を求め、現実とは違う社会で生活を営んでいく上での、より強固な安心感を求めているという側面があるのではないかと推察できはしないだろうか。

VRChatに関して、よく耳にする疑問として、
「お砂糖って言うけど、要は中身男同士なんでしょ?LGBT(Q)なの?バ美肉するってことは、性自認は女性なの?」
というものがあるが、これは全く見当違いな疑問であると言わざるを得ない。

この疑問の1番の問題点は、「多くのVRChatユーザーがバ美肉していること」と、「男性ユーザー同士がお砂糖関係に至ること」が並列の問題として並べられていることにある。

確かに、一般的な価値観からすれば、ややこしく見えるのは分かるが、多くの男性ユーザーが美少女アバターを使う理由は性自認などとは全く無関係で、もっとシンプルなものである。

言ってしまえば「可愛いアバターと可愛くないアバターなら、可愛いアバターを着るよね」という、それだけの話なのだ。
NieR:Automataをプレイする際に、9Sより2Bを好んで使用するように、或いは「ポケモン」や「モンスターハンター」をプレイする際に、あえて女性主人公を選ぶように、可愛いアバターがあるなら、そっちを選ぶよね。という話でしかない。

また、モンハンやポケモン、その他MMORPGなどでは女性用の衣服の方がバリエーションが多く、衣装も凝っているため、ビジュアル的なクオリティ柄高くなりやすい傾向にあるし、
VRChatでは、アバターや衣装が有志によって制作・販売されているため、その傾向がより顕著で、販売されているアバターは女性のアバターが圧倒的に多く、衣装も男性向けのものより、女性服の方が多い。

これは「VRChat内で女性アバターを使うユーザーが多いから。」という需要と供給の関係もあるとは思うが、それだけではなく、アバターや衣装を制作する3Dモデラーの考えたして、「筋骨隆々のムキムキマッチョをモデリングするよりも、美少女のモデリングをした方が楽しいよね」という思考が根底にあるように思う。

要は美少女コンテンツの方が受けがよく、製作者もノリノリで作れるじゃん、という「うる星」の頃から変わらないオタク達の趣味嗜好の話でしかなく、それ以上の意味を持たないのだ。

要は、一昔前のチェックシャツ、クソでかいリュックサック、色褪せたジーンズ、コミケの袋という所謂「オタクくん」のファッションは、メタバース空間の発展によって美少女に変遷しました。という話でしかない。

また、「男性ユーザー同士がお砂糖関係に至ること」についての疑問だが、
先述の通り、VRChatユーザーが「お砂糖」に求めているものが、あるいは母(父)性であり、安全基地であるとするならば、これについてもまた、性自認云々の問題ではないと考えられるだろう。
そう。別に相手に求めるものが母性、ないし父性であるならば、相手の性別は関係ないのだ。

事実、性自認が男性であり、女性を恋愛対象として見ている男性2名がVRChat内でお砂糖関係になっていることを見かけることも多い。

ここで、この考察に関して、「お砂糖が母性やら父性を得るための関係だとするならば、お砂糖同士が頭を撫で合い、所謂ガチ恋距離と呼ばれる距離まで顔を密着させるのは変じゃないか?」という疑問が新たに湧き上がるかもしれない。

しかしこれについても全く不思議なことではなく、愛着形成を促すためには、「皮膚接触や注視の誘発」が効果的であることが、某論文で示唆されている。
VR空間の特異性として、VR空間において得られる感覚は視覚・聴覚が主なものであり、触覚による感覚を知覚することはない。
(※VR感度、ないしファントム・センスと呼ばれる、ある種幻肢痛にも似た感覚を知覚するユーザーは一定数存在しているようだが…。)

そうした特異的な状況下で、少しでも愛着形成を行いたいと思うのであれば、皮膚接触が不可能であるなりに、その方法を模倣することは何ら違和感のないことであり、むしろ自然な行動のように思える。

注釈

所謂VR空間内で行われる性行為、つまりJUSTについてだが、これは本記事の趣旨とはズレるため触れなかったが、お砂糖に関する考察を書く上で、避けては通れぬことであるとも思うため、一応注釈として記載する。

そもそもJUSTを行うユーザーは極めて一部であり、お砂糖関係となったユーザー同士でも、JUSTを行わない場合の方が多いのではないかと思う。
その理由賭しては、やはり、本記事で述べた「お砂糖」関係が、性的欲求とは乖離した、メタバース空間特有の関係であるためなのではないかと考察している。

また、本記事における「お砂糖」とは、基本的にメタバース空間内にて完結する人間関係を指すものであり、そうした関係が持つ、安全基地としての側面について考察するものであった。

そのため、JUSTといった関係は本記事で取り扱った「お砂糖」とは少し違ったものだと思っており、1章で記載した通りなのだが、JUSTや、「お砂糖」関係が進展し、現実社会での恋愛関係に至った関係ついては、本記事で述べてきた「お砂糖」ではなく、別の言葉(恋人・パートナー・リアルお砂糖)といった言葉で表現されるべき関係だと私は考えている。

まとめ

長々と書いてきたが、本記事の趣旨をまとめると、

  • メタバースで生活するということは、現実とは違う、もう1人の自分を新たに誕生させている

  • もう1人の自分は、言うならば社会に放り込まれた幼児同然であり、安全基地を求めるために行動することがある。

  • その結果作り出される他者との情緒的な絆がお砂糖であり、お砂糖関係は一般的な「恋愛関係」とは違った側面を持つ。

ということである。

本記事はメタバース空間、特にVRChatが持つ、心理的な特異性について、私なりに考察することが目的であり、その題材として「お砂糖」を取り扱ったが、
私自身、お砂糖を作ったことがあるわけでもなく、実情からやや離れた文章となっている可能性は否めない。
意見等があれば、それが肯定的なものであれ、否定的なものであれ、反応を残していただけると嬉しい。

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