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セ―ラム魔女裁判に寄せ
①祈る魔女の街聖夜に鐘の音
②罪問うて祈り捧げる聖樹かな
③鐘なりて魔女も祝うか聖夜かな
④冬の星罪なき罪や魔女眠る
⑤忘られぬ歴史の影や聖歌隊
⑥魔女の墓罪も涙も聖夜かな
⑦セーラムや魔女に捧げる聖夜の灯
⑧過ちや祈りの言葉聖樹の灯
⑨冬月夜歴史の影に魔女眠る
⑩静寂の魔女の街に雪が降る
魔女裁判とは
この事件の背景には、当時の宗教的信念、社会的不安、そして厳格なピューリタン的価値観がありました。セーラム村では、地域社会の緊張や経済的格差が増大し、これが住民間の対立を煽りました。また、1692年は異常気象や疫病などで不安が高まっていた時期でもありました。
少女たちが奇妙な行動を示し、それが悪魔の仕業だと考えられたことが事件の始まりです。少女たちは他者を「魔女」として指摘し、これが連鎖的に広がりました。少女達の嘘から裁判までに発展。
魔術の証拠としては、目撃証言や「霊的な証拠」(例:被害者が魔女の霊によって苦しめられる様子)が重視されましたが、具体的な証拠はほとんどありませんでした。
裁判の結果、19人が絞首刑となり、1人は拷問中に死亡しました。また、多くの人々が無罪を主張したために厳しい処遇を受けました。
1693年になると、植民地知事や有力者たちが裁判の正当性に疑問を抱き始め、最終的に裁判は停止されました。その後、処刑された人々は無実とされ、謝罪や補償が行われましたが、被害の傷跡は深く残りました。
セーラムの魔女裁判は、アメリカの歴史における不正義の象徴とされ、宗教的狂信や集団ヒステリーの危険性を示す事例として語り継がれています。現代でも文学や演劇、映画の題材として扱われており、歴史や人権を考えるうえで重要な教訓を提供しています。
セーラム魔女裁判に関与した裁判官たちは複数います。以下は主要な裁判官たちの名前です
主な裁判官
1. ウィリアム・ストートン(William Stoughton)
セーラム魔女裁判の特別裁判所の裁判長。魔女裁判を強く支持し、多くの死刑判決を下しました。
2. ジョン・ホーソーン(John Hathorne)
裁判官の一人で、厳格な態度で知られています。被告に対して非常に厳しい尋問を行ったことで有名です。作家ナサニエル・ホーソーンの先祖にあたります。
3. サミュエル・シーウォール(Samuel Sewall)
裁判官の一人ですが、後に自らの過ちを認め、公式に謝罪しました。
4. ナサニエル・サルトンストール(Nathaniel Saltonstall)
裁判所の設立時に裁判官として参加しましたが、裁判の不公平さに反発し、早々に辞任しました。
5. ピーター・セリッジ(Peter Sargeant)
他の裁判官と共に事件に関与しましたが、積極的な役割は比較的少ないとされています。
その他の関与者
ジョナサン・コーヴィン(Jonathan Corwin)
魔女裁判に関与した裁判官の一人。セーラムの「魔女の家」と呼ばれる彼の旧邸宅は、現在博物館として残されています。
**バースロメュー・ゲッダニー(Bartholomew Gedney
子供の嘘を見抜けなかった親達。もし親達が嘘を見抜いていたらこんな悲惨な事は起きなかったでしょうか?
2018年にボストンへ行く機会がありセ―ラムの街へ行きました。 もう行く機会はないとおもいますが良い思い出てす。
ふとセ―ラムの街を思い出し詠んでみました。私が行ったのは8月 お盆が過ぎた頃港街 セ―ラム。穏やかなよい街でした。
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