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「書」
◇第三次世界大戦。
前代未聞、公の場で大統領同士。ゼレンスキーとトランプが口論になった。
トランプはビジネスの解釈で政治を行っていて、それが上手くいく方法だと思っている人も多いだろうから違和感は無いのだろうけど、ちょっと無理があるのでは無いかな?
ビジネスと政治が同様のモノであるとすれば別々の名称になっている筈が、そうはなっていない。名は体を表す。
トランプにとってはビジネス取引(ディール)であっても、ゼレンスキーにとっては国と命と誇りを掛けた戦いであろう。見えている現実は同じようで異なっているから、話が噛み合うはずもない。
そして、トランプが言うからではないが将来的に“第三世界大戦”になると思う。けど、そう思う日本人もほぼいないだろう。
ただ一つ
「大戦が勃発するかもしれない」とトランプは言ったが、そうではなく「既に大戦が始まっている」と自分は考えている。
つまり、未来ではそう解釈されるという話。将来の教科書には2021年開始とか過去の年が書かれるかもね。
まぁ日本人が対策できる事は現実的にはパスポートを取得しとくぐらいかもだけど。
まぁその前に大震災で壊滅状態になるって話も無くはない。
◇書道。
小学生の時に習字教室に行っていた。
大人になってからは書くこともなかったけど、今年の頭に久しぶりに書いたら、たまたま褒めてくれる人があって少し楽しくなってしまい、そのまま定期的に書いている。
またそれをSNSに上げてみたら多くの書道好きの人が反応を返してくれる。
なんでかな?と考えてみたけど、答えは一つしかなかった。
「人は言葉を生み出したぐらい伝えたい生き物だから」
わざわざ文字を書くだけの事に時間を使うぐらいの人達だから、人一倍“言葉”にそれなりに強い想いがあるわけだね。だから反応が多く返ってくる。
しかも文字は誰でも書ける。
だから上手い下手も関係ない。特に毛筆だと良い感じに「味」が出やすい。下手だが良いって場合も普通にある。
その人の文字は、その人そのものなんだね。
だから文字は人の生き写し。
人に上手いも下手も、無い。
◇写経。
習字が昔から上手かった弟が写経やろうかな?と言い出したのが年始。
たまたま自分も書を始めたから、先日少し練習してみたが超難しくて難儀している。
それもその筈で、ペン習字、細字、自分の名前を小筆で書くのが小学生当時から苦手で、今現在でも文字を人に見せると「読めない」と言われるぐらい下手だ。
まぁ写経は習字ではなく修行だから上手い下手は関係ないとさせるが、それ以前の問題という気もするくらい苦手。
それはともかく、写経は経典の意味を理解する事が大切だからと経典の中でも王道である般若心経を読んでみたが、これが中々良くて気に入ってしまった。
ちなみに、宗教というと現代では霊的な何かを想像する日本人が多いが、仏教はそうではないと思う。
元々は哲学であり、そこから生まれた仏教が広まる過程で霊的な事も取り扱う様になったに過ぎないと自分は解釈している。
話を戻して、般若心経から感じた事は“共感”であった。もちろん人により解釈が異なるのは前提。
「そうそう!やっぱそうだよね〜!俺もそう思ってた〜」という感じ。普通の事を言ってる感じ。
だから内容が、量子力学的であり、文学的でもあり、ROCK的でもある。それぞれ“空(くう)”で繋がる。
科学と宗教の目的は相似してるから、そりゃそうかという気もする。
繰り返しだが、解釈の仕方は人それぞれ。
話はまた変わり、海外では自分を「無宗教」と言わない方がいい。日本人が基本的に無宗教というのは海外の多くの人は知らない。
「無宗教」は場合によってカルト同様に危険思想を持っていると思われ警戒されるリスクがある。世界的には信仰を持っている方が普通で圧倒的な多数派。
だから無宗教でも神道とか仏教とか適当に答えておこう。また完全な嘘ではない。自分も無宗教だが、神社にお参り行くし、墓参りも行く。
日本の場合、信仰という意識はなくとも生活に既に溶け込んでいるというのが正確な所なんだろうね。
◇ミライ。
友人の自宅で、その家族と一緒に食事をして泥酔した。
帰路につくも朦朧として電車内で爆睡。
都内で終電を逃し絶望するも、なぜか時刻表にない電車が走っており無事帰宅できた。
何だったんだあの電車は?
それはともかくとして、友人の三人の子供。中学生の男の子2人、小学生の女の子1人。
今通っている学校では“差別”が全くないのだそうだ。
こういう事を言うと「大人に見えないところでやってるだけだ」と反論する人もあるが、それはまた別の問題なので今回は割愛。
自分らの世代では、障害者が揶揄われたり虐められる事は普通にあったが、そういうのが全くない。
じゃあどうするかといえば、自然と助け合うそうだ。
それを聞いてシンプルに“日本の未来は明るい”と思った。親である友人もそう思っているそうだ。
子供の世界を歪めて見ているのは、いつの時代も大人なんだね。
どう言おうが未来を作るのは彼らなのだよ。
子供はミライだ。