宇久島旅行記 (8) 2022GW
前回はこちら↓
濃密な時間を過ごして少々興奮してたいたせいか、案の定ほとんど眠れずに朝を迎えました。。
船酔いに寝不足は大敵なのに😅
朝食後もチェックアウトの時間ギリギリまで、もう少し島内を廻ります。
最後の目的は実家で見つけた写真と同じ風景を探すこと。
まずは昨日当たりをつけていた、平港とスゲ浜の中間にある小さい浜に下りてみます。
当時官舎の裏に見えていた浜を私はてっきりスゲ浜だと思っていたのですが、Aさんのお話では位置的にはこの浜だろうとのこと。
子供の頃、皆でよくここに泳ぎに来ていたそうです。
高台の方に続く道に入って少し進むと、それっぽい場所はわりとあっさり見つかりました(笑)
実家のアルバムにあったとはいえ、撮影したのが誰だったのかはもう分かりませんが、きっと両親もこれと同じ風景を毎日見ていたんでしょうね。
なおAさんからお聞きして分かったことですが、当時島ではバイクや車と同様、カメラをお持ちの方も大変少なかったそうです。島では現像もできなかったため、おそらく両親は佐世保に出かけたついでに現像していたんでしょうね。
そんな事情で昭和40年前後の宇久島の様子がわかる写真は大変貴重とのこと。
カメラ好きだった母は生前大量の写真を残していて、宇久島の風景写真など探せばまだ他にもあったかもしれませんが、実家を処分する際にほとんど捨ててしまっていました。言うてもせんないことですが、せめて父が存命の時に来ていれば。。と思わずにいられません。
そのまま港に戻る方向にチャリを進めると、お、なんか神秘的な神社が。
手前にある石には「伝馬石」の看板。ということは乗り継ぎ用の馬を繋いだ石だったのかしら。
神社も伝馬石も、後で謂れを調べようとしてもネットではほとんど何も見つかりません。
唯一見つけたのが日本鯨類研究所のサイトで見つけたPDF資料にある「八龍宮(はっちろさま)。五島藩宇久島と平戸藩小値賀島が鯨山見の領有権でもめた黒母島の祭神」の記述。
しかし「黒母島」もどこにある島なのか全く分からず。祠の隣にある看板を撮影しておけば良かったな😅
神社の先にある海保職員の宿舎跡。昨日Aさんに教えてもらっていました。
海保職員の宿舎は二箇所あり、こちらは私たちが住んでいた方ではありませんが、この右に曲がっていく道には見覚えがあります。この先は商店が軒を並べていた当時の本通りに繋がっており、ここを通って母と一緒に買い物に行ってた記憶がうっすら。
さて、ここまで旅行記を読んでいただいて何かお気づきになりませんか?
これもAさんに教えていただくまで気づかなかったのですが、宇久島にはキリスト教会がありません。
長崎・五島列島といえば、隠れキリシタン=教会群=世界遺産を連想する方は多いでしょうし、実際、すぐとなりの小値賀町をはじめ五島には数多くのキリスト教会があるのに、です。
Aさんによると、なぜかは分かりませんが宇久島は五島の他の島と違い、歴史的にキリスト教が全く入ってこなかったそうです。(※諸説あります)
よって宇久島には教会はなく、当然世界遺産にも入っていません。
もし宇久にも教会があって世界遺産に指定されていたら、メガソーラーの計画もどうだったかわからないですね。
さてチェックアウトの時間が近づいてきました。そろそろ旅館に戻らないと。
島にいられるのもあと2時間ほどです。
宇久島旅行記(9)に続く