大雪の思い出 - 当時の西武鉄道はすごかった
都心部も大雪の恐れがありますと散々脅されましたが、全く積もらずに終わってくれて、若干肩透かしを食らった気持ちです。でも「雪」となるといつも関連して昔の西武鉄道の事を思い出します。
もう20年近く昔の話ですが、東京に今まで体験した事がない程の大雪が降りました。その頃は中央線の小金井という場所に住んでいて、雪が降り出した時刻には四谷のあたりに居ました。雪を甘くみていたし、テンションが上がっていて判断力が間違った方向に向かっていたので、早めに帰宅するどころか「今ならいつも行列のラーメン屋に入れるかもしれない!」と意味がわからない事で頭がいっぱいになった僕は、どかどか降る雪を見ながらラーメンで身体を温めてしまいました。
そうこうしている間にJRは次々と運行を断念。そしてなんと地下鉄である丸の内線までもが、怪しくなってきたとの連絡が入りました。とりあえず丸の内線で新宿までは出られたのですが、そこで完全にストップ。このまま新宿で遊んで夜を明かすしかないかな…と思っていたところ、西武線が本数を減らしているけれどまだ動いていると駅でのアナウンスがありました。
西武線をぐるっと回って行けば、小金井の隣の国分寺までは出られるので、じゃあそれで帰ろうと思った事が、西武鉄道の根性の運行継続を体験するキッカケとなりました。
西武線に移動してみると、座れるほどではありませんでしたが、そうは混んでいない。ちゃんと危機管理能力がある人は既に帰宅を終えていたのでしょう。そして西武線は…確かに「動いてはいた」のですが、のろのろ運転でひと駅進んでは10分停車という亀の歩みでした。そもそもJRや地下鉄までもが既に運行を断念したというのに西武線が動いていたのは、特に雪に強い仕様になっていたのではなかったのです。駅のホームに停車すると、駅員さん?整備士さん?達が等間隔に立っていて、皆が一斉に電車の上にバッ!と上がって、パンタグラフの雪を手作業で落としていただけだったのです。
「ええええええ……っ! そうやって走らせていたのかっ!」
驚きました。驚いたと同時に、インフラ会社のど根性を見た思いでした。「そこまでやって走らせるべきか」or 「安全を配慮して早々に運行を断念するか」は各社違う考え方だと思いますが、あの時は「うわぁ…すごい…感動…!」と、西武鉄道に就職したいくらい強く心に焼きついた出来事となりました。(何年も後に会社の人にこの話をしたら、弟さんが西武グループで働いていて、「当時の堤さんの時代なら納得できるエピソード」と言っていたので、今はもう違うのかもしれません)
僕自身は西武鉄道に就職することなく、全く違う方向の仕事につきましたが、災害や今回のコロナ禍などがある度に、インフラを保つために働いてくれている業種の人には頭が下がります。
結局、四谷から国分寺にたどり着くのに5時間以上掛かりましたが、よい体験でした。
その後も、膝下まで積もった雪の中をひと駅歩くのも大変だったし、遥か前を歩いていた人が倒れたと思ったら動かなくて救助したりと色々なことがありましたが、全部含めて面白かったです。