3.11に振り返る、僕が広告クリエーターを卒業した理由

3.11からもう10年が経過しました。つい数年前のような気がします。
被災された方はまだまだ心痛の中にいらっしゃると思います。
そして僕にとっては、この「3.11」は「広告クリエーターとは」を考える切っ掛けになりました。

この当時5社くらいのクライアントさんの仕事にプランナーとして参加していて、その中のひとつに某電力系会社さんがありました。広告は商品の購買を促すために打つわけですから、この仕事では「電気の消費を促す商品」を広告していたわけです。広告クリエーターは、担当商品の良いところを見て、それをどう消費者に伝えて買ってもらうかを企画の基本にしています。逆を言えば「ネガの部分」に、当時の僕はとても無頓着でした。

3.11当日は、家にいたパートナーと猫、そして実家の安全が確認出来た後は、余震でまだ揺れ揺れだった会社で「ローンチまで時間がない! せめてここまではやらないと出られない!」と、仕事至上主義者あるあるだったのですが、翌日以降原発事故の報道が始まってからは、電力消費を促す広告をしていた身としては心が乱れました。あの広告も、この広告も…僕は何も考えずに作っていたのではないか…と足元を掬われたような感情でいっぱいになりました。

その後の節電の流れから担当していた業務は終了を迎えたのですが、担当しなくなったらそれで良いとはならず、考え方が大きく変わってしまいました。震災後に新規で担当したある不動産の仕事の時にも「ここは平常時はとても良い環境だけど、東京湾で地震が起きた時にこの川を津波が駆け上がるのではないだろうか」だったり「埋立地だから液状化する可能性はないのだろうか」などなど、商品のネガな部分にどうしても意識が行ってしまい、そう思いながらも買ってもらうための広告を考えるという矛盾と葛藤を抱えた数年を過ごしました。

クリエーターになってからずっと引き立ててくれていたクリエーティブディレクターの人に1回その『もやもや』を話したことがあったのですが、彼はとても切り替えの早い人で、その時々で仕事になりそうなものに敏感に反応し、終わった電力会社さんの仕事を引きずったりはしない(だから会社員としては僕よりずっとずっと有能な)人でした。ちゃんと話は聞いてくれたのですが、僕としては『この感覚は伝わらなかったな』と感じました。

広告の使命は、クライアントに寄り添って商品を売ることです。それをツライと感じてしまった時に、僕は広告クリエーターを降りようと決めました。すぐには担当業務が片付かなかったので、それから数年はまだ続けましたが、目処が立ったタイミングで異動希望を出してクリエーティブセクションを離れることができました。ものを作ることは今でも好きなので、自分が本当に発信したいと思うものだけを、利害関係なくプライベートで作ることにしたら、随分と世界が変わりました。

もちろん社会のためにもっと広く知ってもらうべき商品はたくさん存在するし、経済活動という点でも広告は時代に合わせて形を変えながらも必要なものです。でもその使命は、広告クリエーターを続けていく仲間や後輩たちに託したいと思います。


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