「協調性がない」ことは才能である
こんにちは。
SHIKIです。
あなたは「協調性がないこと」に苦しんでいませんか?
私は幼少期から今まで、「協調性がある」と思ったことはありません。
はっきり言えますが、皆無です。
常識という観点で言えば、「協調性がないことは治すべきだ」と思っていたし、家庭・学校・会社ではそのように教えられてきました。
例えば、生成AIに「協調性がない 治し方」で入力してみると、下記のような回答が出てきましたが、あなたも少なくとも取り組んできたことがあるのではないでしょうか?
もちろん、試行回数を増やせば増やすほど何かしらコミュニケーション分野において熟達はしていきますが、根本はぜんっっっぜん変わりませんでしたw
自分の凸凹は変わりません。一生。
だとしたら、誤っているのは自分ではなく、今まで教わってきた「常識・普通」なのではないでしょうか?
今回は常識と真逆のお話をしていきます。
世の中ではほとんど出回っていませんし、私自身がこの考えを持って限界を突破してきたので少なからず力になれると思っています。
この文章を読んで、
協調性がないこと=あなたの才能
だと思い、あなたの苦しみを突破する糸口となれれば嬉しいです。
それではいきましょう。
「協調性がないこと」があなたの才能だとしたら?
協調性がないことがあなたの才能だとしたらどんなことが考えられるでしょうか?
まずはclaudeに聞いてみました。
協調性がないことが才能だとしたら、こんなにもあなたには才能の種があるということが見て取れますよね。
例えば、私の場合であれば自分のペースで仕事をしたかったので、他の人がやっていないスキマで勝てる箇所を探しました。そして掘り当てた部分に自分の時間リソースを全部投下して一点突破をすることをしてみたことがあります。
その結果、自分の専門性を高めることができ、他の人ができないような独占ポジションを得ることができました。
もし自分に「協調性」があったなら、このような結果を得られることはありませんでした。
自己中・自分勝手・マイペースで結構。
もしかしたらあなたにもそのような種が眠っていたり、すでにそのような結果を引き起こしているのではないでしょうか?
だとしたら、あなたも協調性がなくてよかったですねw
「協調性がないこと」=「非凡さ」の証
今まで見てきたように協調性がない=個人主義であることで、一点突破する「非凡さ」を秘めていることを見て取れるのではないかと思います。
協調性のなさは悲観することではなく、むしろ喜ぶべきことであると私は確信しています。
あなたが今何か停滞していることがあったり、諦めや悔しさを感じているのであれば、ぜひ今回のお話を参考にしてください。
また最後に一点だけ。
是非自分の非凡さを見つけた暁には、その非凡さを今日明日アクションに生かしてください。
ここで読んで終わりにしてもらっても構いません。
ただし、あなたの時間をせっかく使ってこの文章を読んでもらっているわけですから、実行に移さなければ特にあなたの時間を無駄にしただけになります。
どこの馬の骨のモンが言うとんねんと思うかもしれませんが、ぜひあなたが発想してできそうだと感じたことを行動してみてください。
常識は使われるものではなく、使うものである
いかがでしたでしょうか?
今回のお話だけではないですが、多くの世間の人は、最初に立てる問いが誤っています。
「協調性がない自分をどう治せばよいか?」というのが一般的に立てる問いだと思います。
これだとずっと同じようなことを繰り返し、自分に対する自己肯定感は下がり続ける一方です。
これがそもそも間違っているのです。
「協調性がないことが素晴らしいとしたらどんな部分か?そしてそれをどのように活用できるのか?」という問いこそが、あなたの幸福感を高め、パフォーマンスを発揮するための解決策を導くことができます。
私は今まで常識に従って効果的でない行動を繰り返してきたからこそ、自信を持ってお伝えできる内容だと思っています。
是非普段自分が当たり前だと思っている常識を疑うところから始めてみてください。
本日はここまで。
最後までお読みいただきありがとうございました!
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