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ヒーローじゃない9

「はあっ? チアキ、テメェ! 得物持ってないたぁどういうことだ!」

 後ろから聞こえてくる力也の怒号に、やっぱりこうなるかとアマネはパソコンに淀みなくデータを入力しながら小さくため息を吐き出した。向かいに座っていた七都子にしてみれば突然旦那が怒り出したように見えたのだろう。少々驚いたように書類から視線を上げた。

「あら、あの人ったらまたチアキ君に怒り出して。大人気ないわねえ」
「今回は自業自得、チアキが悪い。放っといて良いよ」
「そうなの?」

 正直、アマネも全く気にしなかったので多少の責任はあるかもしれない。彼が特級ヒーローの有名人であることを意識し過ぎて、それ以外の所に目が向かなかったのだ。
 チアキが町に滞在してから四日。ここにきてようやく、彼が魔獣を相手にする為の武器を何も持っていないことに気が付いたのだ。
 先に疑問を持ったのはアマネだった。巡回もそこそこ慣れてきた所で次の仕事を、と考えた時にそういえば彼の武器は一体どこにあるのだろうと気になったのだ。ヒーローが勤務中に武器を常時携帯しているのは当たり前である。魔獣を殺す術を持たないアマネでさえ例の外灯に使うオイルを染み込ませた小型のトーチを持ち歩いているし、力也に至ってはその体躯を活かしやすい大型の斧や槍をいつも背中に背負っている。それが当たり前だったので、彼が元々持ってきていた荷物にナイフの一つすらないと聞いた時には怒る前に驚いた。

「いや、その、必要になると思ってなかったんで……全部、自分の家に置いたままで」
「だとしてもお前、それでアイツについてたって……アマネっ! お前知ってて黙ってたな!」

 思ったよりも早く怒りの矛先が自分に向いてしまった。キリの良い所までデータ入力を済ませてから、後ろで喚く力也に身体ごと向いた。

「私が気づいたのは昨日。さすがにそれはまずいから明日ちゃんと力也さんに相談してってアドバイスまでした」
「毎日コイツと一緒にいて、それで気づいたのが昨日だってのか? 怪しいな」
「雇い主のくせにここまで気づかなかった人に言われたくないんですけど」

 痛い所を突かれたのか力也が押し黙る。他所はどうか知らないが、アマネと力也の関係に上も下もない。形式上、力也はアマネの雇用主兼監督者で通しているが、アマネは言いたいことははっきり言うし力也もかしこまった態度を嫌う。これくらいの口論は日常茶飯事だ。

「はあ、もう良い。んなことよりチアキの得物だ、得物。テレビじゃあ派手に剣振り回してたが……ありゃ特級サマお得意のパフォーマンス用か?」
「良く言われますけど、俺の武器は間違いなく剣ですよ。まあ……色々指定が入って、立ち回りはちょっと考える時もあります」
「あら、剣なら駒沢さんのお宅に貸してもらったら? 今でも手入れしてるって聞いたことあるわよ」

 それまでやりとりを黙って聞いていた七都子の提案に、力也も「そうだなあ、俺のは重すぎるだろうし」と呟いた。となれば、次にすべきことはもう決まったも同然だ。テーブルの端に置いてあった車のキーを持って立ち上がり、ついでにバッグも手に取る。

「それじゃ、私がチアキ連れて行ってくる。駒沢さんに電話しといて」
「私がしておくわ。気をつけていってらっしゃい」
「ありがとう。ほら、行こうチアキ」
「あ、うん」

 さっさと宮前家を出て車に乗り込む。時刻は昼前、今から出ればそう遅くならない内に戻れるだろう。
 チアキが助手席に乗ったのを確認して、アマネは車を走らせた。

「駒沢さん、って?」

 道中、チアキが問いかけてくる。運転中によそ見は出来ないので、前は見たまま一つ頷く仕草を返した。

「隣町に住んでる元ヒーロー。引退して、今は林檎農家をしてる」
「へえ」
「剣をやってた人だから、チアキと話が合うんじゃない?」

 町の警備を生業にするヒーローは、強く希望しない限りは一度配属された場所からあまり動かない。町の状況や魔獣の出現ポイント、癖の把握は勿論、住民との信頼関係も一朝一夕で成せるものではないからだ。時間をかけて築き上げたそれらを大切にしたいと考えるヒーローは多い。駒沢もその一人で、元々隣町のヒーローとして長く務め上げた彼は、現場から退いた今でも同じ場所で暮らしているのだという。
 そんな話をすると、チアキは「それは楽しみだな」と興味深そうに頷いた。
 アマネとチアキの間を漂う空気感は、悪くない。決して良いわけではないが、少なくとも普通に会話出来るくらいにはマシになった。
 立場の違いについては、あの日以来チアキは口にしなくなった。世の中にはどうにもならないことがあると納得したのか、そうではないのか。どちらかは知らない。ただ、触れられない方が楽だった。心の弱い部分に踏み込まれるのは誰でも怖い。それが恐怖の対象であれば尚のこと。別にチアキのことを怖がっているわけではないが、自分が欲しくても手に入れられないものを持っている彼には、彼にだけは、そういう場所に踏み込んで欲しくなかった。それだけだ。

 暫くの間国道を道なりに進み、やがて隣町に入る。町が変わった所で何かが変化することは当然ない。窓の外に映る景色は相も変わらず真っ赤な紅葉に染まる山と秋晴れの空だ。
 隣町に入って最初に見える脇道に入ると、コンクリートの道から土埃が舞う剥き出しの地面に変わる。揺れる車に構わず走らせて到着したのは、こぢんまりとした民家の前だった。
 家の脇に車を停めて降りると、遠くから誰かの呼び声が聞こえた。声がした方向を向くと、キャップを被った老人が軍手付きの手を振っている。

「駒沢さん!」
「ああ、アマネちゃん。良く来たねえ。七都子さんから話は聞いてるよ」

 駆け寄ると、深い皺が刻まれた目尻が優しく細められる。キャップの下から覗く髪は白く、好々爺という言葉が良く似合う男だ。ただ、老人とはいえ決してひょろくはない。良い意味で年齢に似合わない太い腕や足は、今も変わらず身体を鍛えている証だった。駒沢曰く、林檎作りは案外体力勝負なのだという。

「うん、悪いんだけど。剣を一本貸して欲しくて」
「ああ勿論。七都子さんからも頼まれてるからね、断るなんてしないよ……そちらが例の?」

 つい、と駒沢の視線がアマネの頭を通り過ぎる。老人の視線は確かにチアキを捉えていた。少し遅れて来たチアキはそのまま前に出て駒沢に向かって会釈をする。

「初めまして、青葉千晃といいます」
「チアキくん。君が噂のね……はは、良い子捕まえたじゃないかアマネちゃん。これで僕も安心出来る」
「……それは、私につく一種が出来たからって意味よね?」

 その言い方だとあらぬ誤解を生みそう──というより、駒沢自身が何か勘違いをしている気さえしてくる。念のため釘を刺すが、駒沢は朗らかに笑うだけで何も言わなかった。これはこれでまずい気がする。
 もう一度念を押そうとするが、その前に駒沢は踵を返して来た道を引き返していくのでタイミングを失くしてしまった。

「剣の予備は納屋にしまってあるんだ、いくつかあるから好きなのを持っていくと良い。案内するよ」
「ありがとうございます」
「アマネちゃん、君は林檎園に行っておいで。今年はいつもより美味しく出来たんだ、好きなだけ取って良いから」
「うん」

 そういえば、七都子から林檎の伝言を受けていたのをすっかり忘れていた。良い機会だ、お言葉に甘えてここで収穫してしまおう。
 道の途中で二人と別れ、アマネは林檎園に向かう。まだ距離はあるはずなのに、甘酸っぱい香りが鼻を掠めた気がした。


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