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ヒーローじゃない8


 民間人はヒーローが駐在する場所から一定の範囲内で住居を構えなければならない。安全を確保する為に国が定める法律である。都心のような人口過密地域はそれに比例してヒーローの数も十分に足りているのであまり気にする必要はない。だがこの町のようにヒーローの数が限られているような地域は、民間人の警護がしやすいように配慮する必要がある。要するに、魔獣が襲ってきても守りやすいよう近くにいてくれ、ということだ。
 ヒーローが複数人いれば駐在場所をある程度ばらけさせることで居住範囲を広げることも出来るが、アマネは二種なので監督者である力也の家からあまり離れられない。必然的に、この町はそれなりの広さがあるにもかかわらず、約四千人ほどの住民達は概ね一箇所に寄り集まっている。

 住民達が暮らす場所とそうではない場所。その境目を中心に巡回するのが主な仕事だ。
 巡回にバイクや車は使わない。アシが必要なほど広くはないし、車を運転しながらでは魔獣の気配や痕跡に気づけないからだ。
 力也の家を後にして少し歩くと、やがて背の低い外灯が見えてくる。ここが巡回のスタート地点だ。

「ボトル、一本ちょうだい」

 マスターキーで外灯の裏蓋を開けながらチアキに促すと、鞄から先ほど倉庫から拝借してきた瓶の一本を取り出しながら近寄ってくる。

「昼間でも外灯が点いてる……?」
「消えたらまずいの、魔獣避けだから」
「これが?」

 驚くチアキから瓶を取り上げて、アマネは裏蓋の奥にある給油口に瓶の中身を注ぐ。半分を少し下回っていたオイルの残りを示すメーターがみるみる上がっていく。満タンになったところで給油を止め、ついでに外灯自体に異常がないかを確認してから裏蓋をしっかりと施錠した。

「これ、私が対魔獣用に作ったパラフィンオイルなの。人体に危険はないけど、魔獣が嫌がる成分が沢山入ってる」

 三分の一ほど中身が減ったボトルをチアキに返して、また歩きつつ説明した。
 外灯の基本的な構造はオイルランタンと大差ない。特注品で通常のランタンより耐久力や燃費が向上しているそれは居住地の境目に等間隔で配置され、アマネが作るパラフィンオイルを燃料に昼夜を問わず炎を灯している。
 魔獣はその殆どが鋭い感覚を持っている。大抵は野生の獣と同じように聴覚や嗅覚に特化したものが多い。そんな魔獣が敬遠する周波数や匂いというものは勿論存在しており、アマネは嗅覚に焦点を当ててこのオイルを開発した。
 基本は自然由来の香草だ。それらを独自の配合で組み合わせ、パラフィンの原料と合わせてオイル化し、外灯の燃料として使用する。炎によってオイルの匂いが周囲に飛散し、近づいてこようとする魔獣は強烈な臭気に耐えられず逃げ出す、という寸法である。ちなみに、人間にはほんの少しハーブの香りがする程度だ。

「そっか。それで昨日、魔獣は町に入れないって」

 返されたボトルを鞄にしまうことはせず、チアキは興味深そうな面持ちでボトルを眺めている。無理もない。おそらく彼はこういう魔獣避けを見たことがないのだ。免許取得の筆記試験で出題はされるが、そんな昔のことはとっくに忘れているだろう。
 魔獣の聴覚や嗅覚を利用するこうした方法は、別にアマネだけの特権ではない。細かい手法に差異はあるが他の町でも積極的に採用されている、さして珍しくも面白くもないものだ。都心の対魔獣セキュリティは常に最新鋭で揃えられているので、今はAIにお任せ状態なのだろう。都会と田舎の格差はこんな所でも伺える。

「アナログな方法で、つまらないでしょ。田舎の自治体って財政難だから、どこもこんな感じだけど」

 敢えて意地の悪い言い方をして笑うが、チアキは首を横に振る。

「ううん。俺は好きだな、こういうの。全部システムに任せるより、ヒーローっぽくて」

 嫌味を言っているようには見えなかった。穏やかに笑って瓶を眺めるチアキにそれ以上何も言えなくなる。
 メディアで見る彼とここにいる彼は、まるで別人のようだ。それは今に限ったことではなく、初めて会った時からずっと考えていた。テレビに映るチアキはいつも自信に満ちていて、颯爽と魔獣を倒し、しかし驕ることなく努力を重ねる。そういうヒーローだった。実はメディアの編集技術とやらに躍らされていただけで、本来の彼はこういう人間なのだろうか。何かを諦めて、絶望して、死にたいとすら考える。そういう男なのだろうか。だとしたら、余計に自分が惨めに思えてくる。そういう人間に今まで嫉妬に似た感情を抱いてきたのに、とんだ勘違いだったということだ。
 何か言おうと考えて、しかし結局何も言えず。アマネは無言で巡回を続けた。

 魔獣の痕跡がないか注意深く観察し、時折町の住民達と挨拶を交わし、外灯のメンテナンスを施す。そうして半分ほど巡回を終えた所で、それまで荷物持ちに徹していたチアキに呼ばれた。

「何?」
「その……さっきのこと、謝りたくて」
「さっき?」

 主語が曖昧で、一体なんのことを言われているのか分からない。聞き返すと、チアキは「力也さんの所で聞いたこと」と話を続けた。

「無神経だったなって……ごめん。アマネさんは一種だって勝手に思ってたから」
「……さっきからずっと黙ってたのはそれを考えてたから?」
「どう話を切り出そうか、悩んでた」

 俯いて呟くチアキに、次の外灯へ近付いて給油をしながらアマネは「別に」と返した。

「怒ってるわけじゃない。特級の貴方は元々気に食わないって思ってたから」
「それ、余計にダメな気がするな……」
「知ってる? 二種ってね、仕事にありつけない人の方が多いの。だから、ライセンス持ってても実際は別の仕事に就くことがほとんど……どんなにヒーローになりたくても、ライセンスの壁が邪魔をする。一種がいないと満足に仕事も出来ない役立たずは、いらないのよ。それなら初めから二種なんて作らなきゃ良いのに」

 とはいえ、現実的に考えて二種を撤廃することはまずあり得ないだろう。一種の試験を受ける為には二種を持っていることが必須だからだ。二種をパス出来る最低限の知識と教養を持った者だけが一種の受験資格を得る。都合が良い、シンプルなふるいのかけ方だ。

「アマネさんは……役立たずには見えないけど」
「嫌味?」
「そうじゃなくて。この外灯があるから町は安全なんでしょ? ちゃんと民間人を守ってる」
「……守れるだけじゃ、ヒーローとは認められない」

 メーターが満タンを示す。給油を止めて裏蓋を施錠してから、瓶をチアキに手渡した。彼は受け取りつつも納得していないような顔をする。

「民間人を守るのが、ヒーローの責務だよ」
「それは理想論、かつ大雑把すぎ。もっと現実的に言うなら、ヒーローの責務は魔獣を駆除することでしょ」
「何が違うの」
「……私はね、盾なの。盾にしかなれない。だから一種の試験で落とされる」

 好きで二種のままでいるわけではない。一種の試験には何度も挑戦してきた。しかし、何回受けても同じ理由で落とされた。
 二種も一種も試験内容は筆記と実技だ。一種の方がより難関で、合格率は二割弱。それでもアマネは筆記だけなら毎回パスしていた。後から確認出来る順位では片手の指に入れるくらいだ。問題は、実技。

「一種の試験、覚えてる? 実技合格の条件は、魔獣を一人で倒すこと」
「……うん。でも、まさか」
「剣になれる貴方には、一生分からない。どれだけ魔獣を防げても、殺せなきゃ意味がない」

 彼から目線を逸らして、次の外灯に向かって歩き出す。ずっと昔に片を付けた感情だと思っていた。誰を責めても誰を恨んでも、国が、世界が定めた基準を覆すことなんて誰にも出来ないのだから。こんな風に当たった所でどうにもならない。
 それでも、チアキのことが気に食わないのは──やはり、心のどこかで未練がましく引きずっているのかもしれない。そんな女々しい自分に嫌気が差した。


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