高校生までは勉強する意味を考えなくていい
どうして勉強するの?
この質問を将来出来た子供に聞かれたら、自分はなんて答えるのだろうと妄想することがたまにあります。
将来の選択肢の幅を広げるため、というのは島田紳助さんが深イイ話で言っていで、どこかで聞いたことある方もいるかもしれません。
僕もすごい納得して、共感もしました。
だけどどこかで心が芯を食っていなかったのは自分の考えた言葉で言いたいと思ったからでした。
恐らくですが、子供の頃に勉強する理由を聞いてもそれで納得して勉強しようと思う人はほとんどいないと思っています。
勉強をしたくないからその理由を明確にするための質問であり、勉強することに納得したいからというわけではないと思っています。
そういう前提に立ったときに出た僕の答えとしては「高校生までは勉強する理由なんて必要ない」でした。
まあ暴論だと思います。
そんな思考放棄に勉強なんかさせたって何の意味もない、という周りからの声が聞こえてきそうです。
ただ先ほども言ったように子供が勉強する理由を考えるときは、勉強をしたくないからです。
それを色々考えて説得させようとしても、むしろ説教くさい人認定されてしまうだけになってしまう。
「勉強する理由はなに」から「あ、そうかだから勉強するんだ」なんて物分かりの良い子供はほとんど見たことがありません。
むしろ「勉強する理由はなに」から「なら勉強しなくていいや」となる人は僕を含めごまんと見てきました。
そして高校生までは勉強以外の価値あることを探すのにもそれなりの限界があると思っています。
もちろん趣味は目いっぱい楽しんだ方がいいのは言うまでもないです。
ただ大学生以降の人生との世界の広がり方を考えたとき、本当に勉強をする理由は何かを考えるのに1番相応しいのは大学生だとも思います。
大学生以降の勉強はただ学問の集約ではなく、もっと広い意味の勉強になります。
そのときに勉強というものとどう向き合うか、どう捉えるか。
ただ学問の集約を学ぶときに理由なんてあってないようなもので、それはなぜ人は生きるのかくらいに難題だと思います。
逆に勉強をし続けてきた人は、勉強以外で自分の存在価値を認められるものを早く見つけないとそれはそれで人生の難易度がぐっと上がります。
テストの点数、成績の数字がそのまま自己肯定になっていた人にとって、それらがなくなる大学生以降の自慢話がセンターの点数だけという社会人もごまんといます。
勉強はもう絶対にしておいた方がいいです。
それだけは確実です。
ただ理由はなくていいときもあるんだよ、ということを頭の片隅に入れておいてもいいのかなって思います。
ここまで読んでいただきありがとうございました。
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