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230806_広島で8月6日の朝を迎える
2023.08.06.sun.
はじめての「8月6日の広島」
広島を訪れたことはあった。
広島で学ぶ全国規模の平和セミナーを取り仕切ったこともあった。
でもそれは2020年のコロナ禍でのことだった。
画面越しに、広島やその周辺に住む学生と「ヒロシマ」のことをたくさん学び議論もしたし、
コロナ禍でも落ち着いているタイミングを狙って何度か広島市内を歩いた。
そして、全国の学生を相手にオンラインでのセミナーも完成させた。
だけど、「8月6日の広島」を知らない。
いろんな人の話を聞いて、どうも想像がつかない景色が、そこにあるはずだという確信があった。
だからずっと、この日に広島を訪れたかった。
そして今年、予定もやることも放置して無理やり広島に赴いた。
今日を終えた今、この選択をして良かったと強く思う。
晴れた朝。照りつける太陽。
気温、空気感、そして市内全体の独特の雰囲気。
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式典自体は、正直中継を見ている方が話し手の顔も見えるし、話の内容も入ってくると思う。
それでも、警備体制とか式典運営に高校生が奔走しているところとか、いろんな思いや考えを持った人が蠢く街中とか、「8月6日」にしか目の当たりにできない景色を見られたと思う。
そして、式典。
こども代表の平和宣言。
そのまっすぐな声と言葉に、涙腺は震えた。
会場の拍手の量は、他の政治家の誓いや挨拶よりも何倍も大きかった。
「こどもだから」ではないと思う。
難しい言葉や理屈なんかいらないのだ。そんなものに共感は広がらないのだ。
真っ直ぐ「平和とは何か」「平和を守るとは何か」そういう問いと向き合い、平和を希求する言葉に人の心は動いたのだと思う。
「ありがとう」で溢れた世界
式典後、ホテルに戻りチェックアウトまで仮眠。
市内のフィールドワークをしてもいいのだけれど、暑いのとそういう日で人でごった返しているので控えめに、平和公園とその周辺をぐるりと回って、あとは「広島国際会議場」へ。
「青少年平和文化イベント:ヒロシマの心を世界に2023」と題して、この建物全体でいろいろ催されていたのだけれど2つだけ。
1つは、「原爆の絵画展」。
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「原爆の絵」は地元・基町高校の学生が、被爆者の話を聞いて当時の様子を絵に起こしていくプロジェクト。詳しくはこちら。
絵画のキャプションには、その絵を描いた高校生とその高校生に当時の様子をありありと伝えた被爆者のコメントがそれぞれ寄せられている。
高校生自身にとっては、骨の折れるプロジェクトらしい。
被爆者の話を聞いては描き、見せては描き直しの連続で心が折れそうになるのだそうだ。
それでも、膝を突き合わせてリアルに当時の様子を聴き出し、想像し、アウトプットをするというプロセスの中で、たくさんのことを考えて成長していった自分や絵のことが、被爆者への感謝の言葉と共に綴られていた。
そして、被爆者のコメントでも「何度も書き直しをさせて、注文をつけてごめんね」という言葉と共に、「その当時の景色をリアルに描いてくれた」「おかげで、私の記憶を後世に遺すことができる」だから、「ありがとう」「感謝したい」という言葉が記されていた。
被爆者自身が、人類が「二度と同じ過ちを犯さない」ためにその辛い記憶を呼び起こし、語り継ごうとしている。
全ての被爆者・戦争体験者がそうではないこも、最初は口にしたくなかったけれどこの78年間の中で少しずつ考えが変わって高齢になってようやく語り部になる決心がついた人だって少なくないことも知っている。
そんな中で、語り継いだ相手に、後世に遺す手助けをしてくれた高校生に「ありがとう」という言葉を伝えている。
なぜだろうか、そのことがとても胸を熱くした。
このプロジェクトは近いうちに終わりがくる。
話せる人がもういなくなるからだ。
その時の高校生・若者は、この絵を見て何を想像し、アクションするのだろうか。
広島で育つということ
もう1つは、「平和・原爆をテーマとした演劇」。
広島市立舟入高等学校演劇部が「あの夏を生きた人へ」というオリジナル脚本の演劇を上演していた。
高校演劇を齧っていないので、この作品自体の完成度が高校演劇界隈で高いのか低いのかはわからない。
正直、演出も脚本も拙いし粗い。
だけど。
彼女たちがこの作品に込めたものは、そんな事実を超えて輝きを放っている。
彼らが描いたのは「平和とは」「原爆とは」そういう次元の話ではなかった。
そのことを知ろうとする自分たちの「葛藤」だった。それが良かった。
広島市で育つ人たちは、他の地域に比べて平和学習が盛んだというのは周知の事実。
僕にも広島市出身の友だちがたくさんいるが、平和に関する話をしていてもレベルが違うな、みたいな経験は多々ある。
ただ、僕が出会う広島人は、大学生になってから出会った人たちばかりで、だからその環境とか結果どんな知識があるとかそういうことしか目の当たりにしなかった。
一方で、現在進行形でその環境に置かれている中高生たちは、何を思って自分たちが住む街の「過去」と向き合っているのだろうか。
思春期の彼ら彼女らが、平和学習やグループ実習を「めんどくせー」「部活に行きたい」だけでは突き放せない、片付けられない潜在的な何かあるのかもしれない。
「広島で育つ」彼らの言葉や生活に、いつかもう少し深く触れてみたいとった。
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広島という街。
久しぶりに広島の土を踏んだ。
やはり、この街はなんだか不思議な力を持っている。独特な空気が流れている。
ここ数年、1〜2ヶ月腰を据えてこの街で過ごしてみたいという思いはずっと心の中にある。
もちろん現実的には、しばらくそんなことを実現させるのは無理だ。
でも、だからこそ、必ず、また来たい。ここに。
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