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子どもたちと「がんばるって、なにをすること?」を考えてみた

今回のテーマは「がんばるって、なにをすること?」です。

がんばるってなに?
みんなで考えてみました。

先ずは最近、何にがんばった?と聞いてみました。
ゲーム、テスト、運動、きょうだいのせわ、この辺りで発話が打ち止めになったことに驚きました。お手伝い、学校に行く、掃除とか、もっと出てくるかと思いました。今日のテーマは抽象度が高かったかもです。

ウネウネと、みんなで話した中でみえてきた「がんばっているか、いないかは自分しかわからない。」ここがネッコじゃないかと思いました。

何かを達成するためのがんばると、もっと突き抜けるがんばるがある。
がんばるは、結果が伴わなくてもがんばることになるそうです。
そして、どちらかというと、耐え忍ぶ要素が多いかなと思いました。
好きなことをがんばるのは、集中していて苦じゃない様子です。
諦めずに何度もやる、この「ある一定の成果を達成すべく繰り返す」ことががんばるの要素のようでした。

では、例えばドロボウやらも、気づかれないように忍び込み、金庫のカギを開けるべくがんばっているわけですが、これはがんばることにはならない、承知できないとのことでした。
理屈ではそうだけど、ダメなんだよという発言は興味深かったです。

がんばっていても、がんばれと言われたら、嬉しい時もあれば嬉しくない時もある。がんばるとはとても複雑な行為であるようです。

この複雑さは、自分から「がんばること」はあるが、「何をがんばるか」は自分で決められる時と決められない時の方が多いということに起因しているようでした。
そして、頑張っているか、いないかは自分しかわからない。
だから、がんばれと言われても、正直困るのではないでしようか。
では、みんなは「がんばれと応援するのは?」何のためになのか?
何を応援しているのか?
だってがんばったと言われても、がんばったかはわからない??

今日の対話を咀嚼すると、他者のがんばれは、結果ではなく何かを耐えろということを求めとおり、相手の満足など分かりようがない。相手も自分のがんばりなど分かりようがない。
そもそもが分かりないことを求めることなので、ムリがある。
そんな、がんばれが蔓延してる世の中ってと思います。

ナゾがナゾをよぶ対話でした。

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