たけいしかた

『人生なりゆき』 本/ラジオ/漫画/映画

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最近の記事

短歌写真部は楽しい

夏ごろから短歌をやってみようと思いたちました。短歌楽しいです! NHK短歌テキストに#短歌写真部 という部活があります。Xで#短歌写真部で投稿する部活です。これがまた楽しいです。 ある程度数がまとまってきたので備忘録としてまとめてみました。 これがまた楽しい。部活がんばるぞ! 早朝に 玄関あけて 出会いしは 色なき風と 空の階調 帰り道 気配を感じ 振り返る 卯さぎを抱く キミが微笑む キミをさがして 暗い道えらび ボクは彷徨う 中秋の夜 残暑去り 風涼しく空高し

    • 子どもたちと「がんばるって、なにをすること?」を考えてみた

      今回のテーマは「がんばるって、なにをすること?」です。 がんばるってなに? みんなで考えてみました。 先ずは最近、何にがんばった?と聞いてみました。 ゲーム、テスト、運動、きょうだいのせわ、この辺りで発話が打ち止めになったことに驚きました。お手伝い、学校に行く、掃除とか、もっと出てくるかと思いました。今日のテーマは抽象度が高かったかもです。 ウネウネと、みんなで話した中でみえてきた「がんばっているか、いないかは自分しかわからない。」ここがネッコじゃないかと思いました。

      • 記憶を記録にせねば

        少し記録として書き残しおこうと思います。 埼玉県議会2023年9月定例会に提出されていた、子どもだけでの留守番や外出を禁じる県虐待禁止条例改正案に反対しました。反対理由はこう自由しますが、同じ趣旨の意見書を知事、県議会宛に送っています。 ちなみに何の反応もありません。 意見書の他には署名、募金等、やれそうなことはやってみました。 報道でご存知かと思いますが条例案は取り下げられました。 ちなみに取り下げた際の会見の要旨が報道されました。 リンク貼っておきます。ぜひご一読く

        • 中学生と校則について考えてみた

          先日、中学生と校則について考えてました。ほぼ中学1年生でして、入学して数ヶ月経って、夏休みがあってのこの時期にお話できてよかったと思ってます。 校則についてですが、子どもたちは明確には知らないようです。生徒手帳的なものに記載されているそうですが、詳しく説明を受けたわけでもなく、書いてなくても校則ぽくなっているものもあるとのことでした。 制服を着ている時間よりも、体操服やジャージを着ている時間の方が長いようでして、制服を着る意味な意味があるのか?そんな意見もありました。

          子どもたちと「こわいってなに?」を考えてみた。

          先日、残暑が厳しい中、小学1年生から中学1年生までの幅広い年代で考えてみました。 お題は「こわいってなに?」です。 みなさんは怖いものありますか? 子どもたちの怖いもの。 お母さん、兄、お化け、0点のテストをお母さんにみせるとき。夜にトイレに行く。そして月曜日の朝! 月曜の朝にはみんな共感しているようでした。 途中、みんなが経験した心霊体験的ことにもなり、楽しかったです。 結構、不思議な体験してました。 変な音、何やらのの気配、そして怪しげな影を目撃したようです。 「

          子どもたちと「こわいってなに?」を考えてみた。

          映画「福田村事件」

          森達也監督の映画「福田村事件」が公開された。関東大震災から100年を迎えた日が公開初日でした。 某ミニシアターで観たのですが、なかなかの大入でした。 もともとはドキュメンタリーとしてTV局に持ち込んだそうですが、実現しなかったそうです。 福田村事件は千葉県東葛飾郡福田村で起こった一般市民による虐殺事件です。虐殺されたのも一般市民です。 1923年9月1日の関東大地震 発生後、9月6日に千葉県東葛飾郡福田村に住む自警団を含む100人以上の村人たちが香川から訪れた薬売りの行商

          映画「福田村事件」

          子どもたちと「死ぬってどういうことなのか?」を考えてみた

          小学校低学年から中学生までの子たちと「死」について考えてみました。 死のイメージは「終わり」「悲しい」「生きるの反対」「思うように動けなくなるこた」「魂と身体が離れる」様々でした。死んだらどうなるのか? 子どもたちの「死」に関する経験は様々だったのですが、「死はなくてはならないもの」「不死になりたくない」という考えがほとんどでした。 それはなぜなのか?聞いてみました。 「友達が誰もいなくなるのは寂しい」 「自分の知らない人ばかりになる」 「本にも終わりがある。終わりがな

          子どもたちと「死ぬってどういうことなのか?」を考えてみた

          戸谷 洋志SNSの哲学: リアルとオンラインのあいだ

          戸谷 洋志 SNSの哲学: リアルとオンラインのあいだ (シリーズ「あいだで考える」) 「哲学とはあくまでも「考えたい」という思いに導かれたものであるべきだと考えます。」 考えることの自由さの楽しさを訴えかけてもらった気がします。 興味深かったのはハッシュタグ的連帯に関する考察です。 ハッシュタグ的連帯 ・あくまで「私」(個人)として私 な言葉のままで 「みんな」 と連なる。 ・主語は「私」であり、「私たち」 と語ることは (擬似的にしか) できない。 個として連なる

          戸谷 洋志SNSの哲学: リアルとオンラインのあいだ

          高瀬 隼子 いい子のあくび

          高瀬 隼子 いい子のあくび わたしがわたしのために正しいことをしたお話です。 「いい子のあくび」、「お供え」、「末永い幸せ」の3遍が収録されています。社会に適応してがんばっている、でもなんか違和感を抱えながら、割に合わないと思いながら懸命に生きる人たちの物語。 前作「おいしいごはんが食べられますように」では、ある立場からの善意といわれれる行為を受け入れなければ、バッシングされ排除される様が描かれました。今回は「わたしのわたしのための正しいこと」が狂いとされる際を描いたと

          高瀬 隼子 いい子のあくび

          奈倉 有里ことばの白地図を歩く: 翻訳と魔法のあいだ (シリーズ「あいだで考える」)

          奈倉 有里 ことばの白地図を歩く: 翻訳と魔法のあいだ (シリーズ「あいだで考える」) 本を読んでわくわくする魔法を思いせ! こちらのシリーズは秀逸だと思います。シリーズ「あいだで考える」とは不確かな時代を共に生きていくために必要な「自ら考える力」、「他者と対話する力」、「遠い世界を想像する力」を養う多様な視点を提供する、 10代以上すべての人のための人文書のシリーズとのこと。 ことばの白地図を歩くは、奈倉 有里さんによる、翻訳だけでなく読書というもの、伝えるということ

          奈倉 有里ことばの白地図を歩く: 翻訳と魔法のあいだ (シリーズ「あいだで考える」)

          朝倉かすみ 平場の月

          朝倉かすみ 平場の月 須藤は青舐に言いました。 『この先、どんどんキツくなるかもしれないのも分かってる。でも、決められるうちは、わたしが決めたいんだよ」』 青砥は須藤が死んだと、小中学校の同窓の安西から聞いた、安西はこれまた同級生のウミちゃんから聞いたのです。 青舐は平場で月を見上げで時のことを思う。それが切ない。 青砥は須藤とは付き合うというか根を張っていました。離婚して地元に戻って再会した。実は初恋だった須藤。須藤は「太い」感じのする子だった。 この「太い」はキー

          朝倉かすみ 平場の月

          「オオカミがキケンってほんと?」を考えてみた

          今日は暑かったです。暑い中、中学生から小学校3年生までの8名と「オオカミがキケンってほんと?」を考えてみました。 今日の話はオオカミのイメージから展開してバイアスやらのお話になると目論んでおりましが甘かったです。 子どもたちの発話から展開されたのは「肉を食べる」「危険」そして「共存」でした。 オオカミに抱くイメージは「怖い」「危険」に連なるものが多かったです。この「危険」というキーワードで対話の軸となったのが、誰が、誰にとっての危険なのか?でした。 イメージを出し合ってか

          「オオカミがキケンってほんと?」を考えてみた

          村上雅郁「りぼんちゃん」

          再掲です。 この本が幅広く読まれることを切に願いまする。 真っ暗闇でオオカミが跋扈する世の中。主人公達は光を見つけた。だれもが望んだ場所で幸せに生きるために。生き残るのるために、彼女たちは魔法を手に入れた。 小6の朱理(あかり)は転校生の理緒と仲良くなる。朱理は体が小さくどちらかというと周りから赤ちゃんあつかいされている女の子。親もどちらかというと姉を気にかける。彼女は理緒と過ごす時間に安らぎを感じる。なぜなら彼女は朱理の話を聞いてくれるから。そんな中、ある出来事を通して

          村上雅郁「りぼんちゃん」

          朴 沙羅ヘルシンキ 生活の練習

          著者はコロナ禍のヘルシンキでお子さん2人で暮らし始めます。面白いデス。娘さんのポイントポイントでの発言が笑いつつも的を得ているなあと。著者にとってヘルシンキは過ごしやすい。過ごしやすい、生きやすい。それは国家と個人の間に社会があって、国家と制度は、あなたの個別の幸福を支えるために存在しているから、お互いに放っておいてくれるから。とはいえ、フィンランドを絶賛しつつ、丁寧な暮らしを崇拝する内容ではありません。比較の仕方、そもそも何で北欧と比べる必要があるのかと?改めて考えさせられ

          朴 沙羅ヘルシンキ 生活の練習

          朴 沙羅 家(チベ)の歴史を書く

          著者の朴沙羅さんは現在ヘルシンキ大学に赴任されているとのこと。済州島出身の親族のファミリーヒストリーの本です。 学術的な概説もありつつ著者の家の歴史が面白い。こちらに登場される方々が語りによって顕になる。面白いのですがその背景には済州島四・三事件があります。 著者は聞き取ることで「空白」を埋めていきます。自分たちにとってはそれこそが過去であるが、他の人にとっては空白である世界。誰かにとっての「空白」を聞き取ることにより埋めることの面白さと凄みを感じる本です。 「空白」とは

          朴 沙羅 家(チベ)の歴史を書く

          桐野 夏生日没

          こわかったです。 気がついたら覆い尽くされてい。 ブンリンがあの手この手で詰めてくる。こんな状態になったら抗ずることができるのかと。 主人公の小説家は「文化文芸倫理向上委員会」、ブンリンから召喚されて療養所に閉じ込められる。主人公の書く小説を更生せよと迫られる。 悪夢です。

          桐野 夏生日没