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100の気持ちで絵ぇ描きたい

数時間前、「ルックバック」の映画観た。影響受けてしまった。評判いい映画に影響されたのが悔しい……。自力で描きたいって決めたかった……。生粋の絵ぇ描きたさでありたかった。クソッ……藤本タツキ……クソォ……悔しいッ……ごめんなさい……。とっくに努力から遠ざかった分際で悔しがってんのが惨めで、自己嫌悪している。ごめんなさい……。とっくに諦めてんのに、ごめんなさい……。でも、「どうせ描くよな」って、分かる……。分かるとか思ってごめんなさい……。努力してないのに……。と上映中思って、かぶらペンで左腕、ブッ刺したかった。し、今もブッ刺したい。

でも、どうせ描くんだよなって、分かる。何回も、今度こそ描くと思っては、デッサン本は積んだままで、ぼんやり理想だけ浮かべて描かずじまいで、努力から遠ざかった人間だけど、そのくせに他人の絵への努力は眩しくて、劣等はずっとプスプスくすぶっている。自分より上手い奴がゴロゴロいると思ったら、自分の下手クソな絵を見たら、比較してしまって、失望して、諦めて、気づいたら、いや、ずっと本当は時間が過ぎてることに気づいてたんだけど、もう努力に目一杯の時間を使える時期が終わっていた。大事なことわかってなかったなと思う。才能とか、最初から私にあるはずもないのに。幼いぶん下手で当たり前なんだし、もっと描いたってよかったのに。それでも今もどうせちょっとは描いている。

自分が本当に描いた絵を褒められるのは、すごい嬉しい。雨の中でも傘を差さずにスキップして踊り狂うくらい。そこで私も高校の時に本気で描いた絵を褒められたの思い出した。私が本気で描いた絵を見て、いいと思ってくれたことが本当に嬉しかった。

去年のある日、落ち込んでたから幸せだった記憶だけ思い出してったとき、文化祭の日の階段の踊り場で、美術部の展示で出してた絵を見た古文の先生が褒めてくれたの思い出した。あれは、お世辞とかじゃなく、ガチトーンだったと信じている。授業中の先生の声とは全く違う声のトーン。「感心……!」て感じで、「すげぇなぁ!」、つって(うろ覚え)。それが厳選された幸せな記憶のひとつ。あとの記憶は、実家のソファで居眠りしてて、目が覚めたら腹の上に猫が乗ってたこととか、高校の帰りにロッカーにぶつかったら、すれ違った好きな人が「おつかれ」って笑って言ってくれたこととかなんだけども、もう十分幸せだったって気づいて、その時もう0.1秒先に死んでもいいと思った。

その絵は全然綺麗じゃなくて、地面を這ってる私の後ろ姿の絵で、背負ったリュックから生えてる木の枝先が人間の手になっていて、私の足を掴んだり、筆とか葉っぱを持ったり、上を指さしたりしている絵。でもほんとに楽しく描いたし、この絵を見て驚け鑑賞者ども!みたいな気持ち(当時、岡本太郎やダリの展示に行ってしまい、雰囲気だけの浅薄な影響を受けていた恥。)で描いてて、今見ると手の形なんて狂っているけど、本当に描いた。美術室の隅っこで、壁とイーゼルの間に自分を挟んだ状態で、必然的に画材を乗せた机で片側サイドを固めて、他の人から見えないようにして、同学年の部員を見下しながら描いていた(かぶらペンで左腕をブッ刺したい)。絵ぇ上手いって他の部員からよく褒められてる子がいて、自分で自分のこと絵が上手いって思ってるその子も、その子の絵も私は好きじゃないのに……。って……。

でも後輩が私のところに来て「すごいですね!」とか、言ってくれたけど、「美大とか目指してるんですか?」って言われたとき、「えびびびびだい??あー……お世辞だ、ハイハイ」みたいなこと思った。そんな可能性を提示しないでほしい。どうせないし、もう諦めてんだからって。

でもその絵を、他に誰もいないところで、あんまり喋ったことない先生が褒めてくれたのは本当に嬉しくて、たとえ褒められなくても、嫌悪とかでも、私が本当に描いた絵を見て他人が何か思ってくれることですごい満たされた。幼い頃からの地続きの自分が認められていくみたいだった。それはなんでなんだろうと考えたら、私のこと本当に見てくれてるみたいだから?なんじゃないか?と思う。講評会で見てもらえるのなんて、もう、初めて感じた誇りだった、かもしれない。

私はとっくにハタチを過ぎたし、美術室にはもう入れないし、絵を見てくれる顧問もいないけど、スケッチブックも画材も持っていて、職場で配られた文房具の中にあった良さげな鉛筆を絵に使おうと思って持って帰って、下手でもどうせ描いている。デッサンとか勉強って、めんどくさいけど、間が空いてもどうせ描くんだから、渋る意味すらない気がしてきた。どうせ描くんだから。超めんどくさいけど。絵の具準備したりインクとペン出したり、家散らかるし、服とかに絵の具つくし、風呂の時間も飯の時間も遅くなってしまうし、なんなら風呂とか飯のほうが絵よりめんどくさくなってしまうし。その割には自分の絵は嘘でしょってくらい、下手クソだし……。それでも描き始めたらどうせ楽しいってこと、描き始めるまでいっつも忘れてしまう。だからここに書いておこうと思ったんだった。積んでるデッサン本も読んで、ネームも描いて、スケッチだってするから、許してほしい。許してください、私の中で内面化された厳しいこと言う大人のひとたち。消え失せろ。



PS:当時ダリ展で刺さった言葉を、なんとか探せた。
「画家よ、君は雄弁家でないのだ!
  だから黙って描きたまえ!」




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