未来だった2008年、未来ではない2024年(古賀及子のエッセイ)
“もはや未来ではあるが、それにしては案外古い商店が残っているものだな”
そう、思っていた。
住みはじめて数年、この街には個人商店としての八百屋がまだあって、果物屋もあって、金物屋、米屋、おもちゃ屋、電気屋、子供服店、畳屋、それにチェーンでないレンタルビデオ店、古本屋、自転車屋がある。
もう世界からは無くなってしまったかのように扱われる昭和の風情の個人の店が、目の前にあたり前に現存し、そうして私は普通に使っている。案外そういうものなのかもしれないなあ。
2008年、そう思っていた。
住宅街の坂を登ったちょうど頂上のあたりの角に小さな八百屋があった。よぼよぼのおじいさんがひとり、野菜を並べた間に埋まるように座っている。スーパーで買うより安く、息子の保育園に迎えに行って帰る道中よく使った。
八百屋だけどおじいさんのおすすめはいつもこんにゃくなのだった。おじいさんには、こんにゃくは群馬産よりも埼玉の秩父のがおいしいんだというかたい信念がある。これは秩父のだからよそのよりうんとおいしいんだ。こんにゃくは秩父なんだよ。こんにゃくのセールストークは野菜よりもずっと熱心だ。秩父の人だったのだろうか。
かぼちゃが欲しいがひとつまるまる買うと切るのが大変だと言うと、売り場の奥から出刃包丁を持ってきてガボンと一撃で真っ二つにして売ってくれる。かぼちゃは海外のが甘いよと、この店が仕入れるかぼちゃはいつもメキシコ産だった。
間口はどうにも頼りなく少し斜めになりかかって見える。おじいさんはこの壊れそうな店の奥に住んでいるらしい。たまに店に誰もいないことがあって、「ごめんください」と声をかけると這うように出てきてくれる。薄く、店の奥ののれんの向こうにこたつとテレビと台所が見えた。
最初に買い物をしてから数年経った頃になると、おじいさんの代わりに息子らしきおじさんが店番に出てくるようになった。だんだんおじさんの頻度が上がって、おじいさんを見なくなったなと思ったらシャッターが開かなくなった。そのうちしれっと、店の前に100円の自動販売機が3つ立って店をふさいだ。
八百屋は記憶を場所と時間に残して、なくなった。
2024年、かつての八百屋は店の横側にも自販機を増やし、建物はそのままに自販機コーナーとして機能している。
今こそが未来と信じた2008年は、まだ未来ではなかった。まだ広々としてその先があった。
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