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古賀及子の『気づいたこと、気づかないままのこと』 第1回 古賀

【シカクより一言】
この記事は、デイリーポータルZの編集担当・ライターとしても活躍している古賀及子さんの連載エッセイです。古賀さんは以前からブログ上に日記を書いていて、それをまとめた数冊の本はシカクでもベストセラーになっています。柔らかく、優しく、笑えるかと思えば急に深遠に向かうような魅力的な文章を書く古賀さんのエッセイが読めるのは(今のところ)シカクだけ!どうぞご堪能下さい!

古賀

私の名字は「古賀」といい、これについてたまに考える。たまにといっても年に1度くらいか、でも大人の年に1度は頻度としてはもはや多いほうだろう。

自身の名字に思いを巡らせることは一般的だろうか。珍しい、難読であったり画数や字数が多い方だと、行く先々で話題にのぼってそれこそ常に自分の名字と向き合うようかもしれない。では佐藤さんや鈴木さんのような、同姓が多く学校や会社では下の名前で呼ばれるような方はどうだろう。与えられた名字により名字に占められる思考時間が運命的に違うと思うと感慨深い。

古賀は九州、とくに福岡や佐賀でメジャーな名字と聞き、私のこの古賀も、父方の祖父が佐賀県から東京に持ってきた。東京に暮らしている感覚としては、多い姓ではなく、でもまったくの希少姓でもなくて、たまに同じ名字の人が居る。いちどデパートで探しものがみあたらず、案内のカウンターで売り場を教えてもらいながら案内員さんの胸元のプレートが「古賀」と光るのに気づいて去りしろに「私も古賀です」とつい伝えたことがあった。出会うとお互いに「おっ」と目を合わすくらいの興奮はある。

名字について考えるとき、私は主に、古賀とはなにかをいぶかしんでいる。
たとえば、私の母の旧姓は高橋だが、想像すればなんとなく、かつてそこに高い橋があったんだろうなと文字の奥に楽に風景がうかぶ。母方の祖母の旧姓は小川で、思考をめぐらさずともすぐさま春の小川が脳裏に流れる。

では、古賀とは。古いんだろうなというのは想像がつくが、なにが……? 賀が……?

名字をどう漢字で書くか人に説明することがある。子どもの頃、母が電話口で「古いに賀正の賀です」と説明するのをよく聞いた。大人になってから真似て私もそう伝え、すると相手も難なく分かってもらえるが、説明しながら永遠に「古い賀正」とはなんであるかと思うばかりでいる。だって賀正とは「新しい年の新年を祝うこと」(三省堂国語辞典 第七版)だ。古くてどうする。

疑惑へ戸惑いながら同時に、古賀というのは我ながら、なかなかにソリッドかつクールな字面だと反芻しそこが誇らしくもある。構成する音である「こ」も「か」も歯切れがいいことでは他の行から一歩も二歩もぬきんでる「か行」からの登用であり、しかも「か」には濁点が付いている。がつんの「が」、がんばの「が」、がりがりの「が」である。パンチしかない。

名前の世界には強そうな名字という概念があり、それはつまり鮫島さんとか鬼頭さんとか権田さんとかが筆頭となるわけだが、古賀もその一派と十分言えると私は思う。

父方の祖母は古賀を発音する際、あまり堅強な印象にならないようにか「が」の前に「ん」を入れ「こんが」と、鼻音のよう発声していた。ソフトな音を意識していたとも思うし、実際に古賀と発声してみると自然と鼻にかかり「んが」となるのも事実だ。

私は古賀の音の攻撃性が気に入っているので積極的に鼻にかからないようコガデスとがびがびを強調して発声する。

よくわからない、そしてなんだかちょっといかしてる、それが私にとっての古賀だ。ミステリアスで格好がいいなんて、そんなおいしい役回り、おいそれとはもらえまい。

生まれてこれまで43年だ。27歳で結婚して戸籍上は夫の姓に代わり、よく銀行なんかではじめてこれまでの自分の名字ではない名で呼ばれたときにどう思ったかみたいなことが、結婚により名字を変更した者のあいだで話題になるが私はそれほど違和感はなかった。

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