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祭りに浮かれ夏も来るやもしれぬので

何とも盛大な祭りの最中である。あちらこちらから賑やかな祭囃子が聞こえ、また花火の打ちあがる音も絶えない。その熱気はここに再び今年の夏を呼び起こしそうな程である。さてさて今日もクリエーターフェス、大いに楽しんでいこうではないか。え、鹿田ははたしてクリエイターなのかって?見下すことなかれ我こそはこの世にたった一人の特殊クリエイター、summer daydreamer 訳して夏の妄想人である。今まで築き上げた夏の妄想の規模は、この宇宙すら突き抜ける程だ。この世にドラえもんが存在していないことに皆泣いて喜べ!鹿田の夢が叶えられたならば、栗饅頭すらおののき宇宙の外へと自ら逃げだすぞ!

てなことでどうも鹿田です、よろしくね。
ま、いつものことながらネタは持ち合わせていない。三日も連続で記事を作るとさすがに僕の四次元脳みそも底が見えてくる。と、端から矛盾で始まる鹿田のnoteの信ぴょう性は疑われるがそもそもすべて妄想なのである。現に鹿田はすでに夢と現の境目を見失い、エアコンによって温まった部屋のぬくもりに夏を感じ始めている。ああ、ドラえもんの道具ひとつあれば、常夏なんて簡単なのになあ。帳尻合わせもまだまだ百年も先の技術であれば難なく可能であろう。ああ、夏への扉を積ん読せずしっかり最後まで読んでおけばよかったと今更後悔する鹿田である。夏への扉でもどこでもドアでもなんでもいいから、僕を常夏の地へ導いてくれ給へ。夏とは、近くにありて思うものなのだ。凍りのクジラも溶けてしまうようなハッピーエンドを、僕はとりあえず期待している。僕を含めた世界が永続するのであれば四季がいい、冬があるから夏の素晴らしさがより感じられるという仕組みは理解しているから、しかしやはり限られた世界であるのなら、僕は濃い草いきれを肺に満たし、全力で走り切りたいと思うのだ。

夏とは、はしゃいでなんぼである。そもそも夏という漢字の造形の成り立ちは踊る人なのである。”ナツという読みは暑っ!から来ているのである。阿保らしくあり、馬鹿らしくあり、そしてやはり夏を体現していてよろしかろ。みんなもこの祭りに踊れ、踊ったならその時君は夏なのだ。意味など深く考えなくていい季節に、汗を振りまきただただ踊り倒そうではないか。声をらし踊りまくれ!汗が目に染みても踊れ、気が散るなら手拭いで殴り拭け、優しくも勇ましい季節に戦くな、祭りの火は心に灯せ!語源の由来は諸説あるが気にするな!気にしちゃ負けだ!

僕は勝つとか負けるといった価値観は嫌いだが、唯一己自身に使う場合はやぶさかではない。夏とは己である、己との対峙である。直視できない強烈な直射日光もそうである。狂騒とした蝉の声もそうである。夏とは己の鏡である。だから大切な大切な季節なのである。ぴかぴかに磨いて自身を焦がせ。

ま、すべて鹿田の妄想であるが。
そして故意の虚言である。
しかし鹿田は堂々たる虚言を吐く人間に、切になりたい。
無理なことをできると言って、結果こなしてしまうような人間に。
そいつは僕の対面なので、余計に欲してしまうのである。
しかしせっかくの祭りなのに、湿っぽくしてしまったのはまずかったかな。
ちょいとドライヤーで乾かしますね。ふぁーーーーーーーー。
あ、飛んでった。「しめしめ、しめしめ」なんて、上機嫌に独り言ってお空に飛んでいきましたよ。

…何の話をしていたか忘れたのでとりあえず最後適当につなぐ。
兎に角ここは年に一度の盛大な御祭りの最中なのである。昨日言った通り僕の理想は365日祭りがあることなのだから、そういう意味ではこの一か月続く短くも長い祭りはその予行演習として最適ではないかと判断したのである。豪語しておいてたったの一か月ももたずに飽きてしまったのならば鹿田は強制的に前言撤回せねばならまい。ま、どうしてもという用事もあるので、それにそう気負ってしまうと楽しく参加できないから一長一短といったとこなのだが、可能な限り、鹿田はフィナーレまでこの盛大なる祭りに参戦してみたい。

毎日のように記事を上げるという習慣は今までほとんどなかったので、これを機会に達成した結果どのような変化が起こるのか、確かめたいという思いもある。…この鹿田駄文において”成長”という二文字があるのかどうかはさておいて。

ましかし、ラフにやる。モチベーションがタスクになった瞬間、すべてがすべて興ざめすることは寝てるか起きてるかわからぬと言われた薄き鹿田の眼にさえ見える。

みんなで祭りを楽しもうではないか!
ではまた。










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