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青い風が吹いた

大分日が伸びたなあと思って。仕事の帰路につく前、まだ青交じりの赤い空があって、風と一緒に僕を心地よくつつんだ。名前の分からない鳥が高くなく。そういえば、昨日公園で燕を見たことを思い出した。相変わらず蛙は鳴いていて、きっと僕が夏を諦めるまで鳴いていてくれるんじゃないか、なんて小さな希望を抱かせる。その、抱く希望が、片手でやさしく抱けるくらいの希望が心地いいのだ。希望の方もまんざらでなさそうで、器用に僕の心の形に姿を変えてはすぽっと嵌った。

そのとき、心地よさ、と共に切なさと合わせて込みあがる記憶があった。ピアノの音、そう、きっと帰り道だったのだ、初夏の。英雄ポロネーズ。なんの映画だったかは思い出せない、遠い遠いそれがなぜいま蘇ったのか、僕には到底わかりもしなかった。体とて、心とて、完全に把握している訳ではない。そのことも、うれしいような寂しいような、混ぜ込んだ複雑な心地はあるのだが、否定はせず、それで人間なのだろ?と、どこのだれだかわからない人に問いかける。それで精一杯だが、それでいいんじゃないかと思うよ。

あ、鹿田です、よろしくね。

僕は立ち止まって勝手によみがえる適当な記憶の処理に、困りながらも楽しんでいた。まだ温い風が吹いている。しかしふと、よくあたりを見渡せば、静かな雨が降っていた。それはそうだ、だって今日は朝からずっと降ったり止んだりの天気だったのだから。現実と記憶があいまいになっていることに驚いた。空想癖こそ強いが、現実と乱れる程の事はなかった。英雄ポロネーズが聞える。内側か、外側で。内側なのだ、たぶん。でもまだ鳴りやまず処理に困る。ネットを介して調べたが、結局記憶の映画にあたることはなかった。そんな葛藤がきっと強い錯覚を起こさせたのだろう。

タンタタン、タラタラタララ、タンタンタンタン!タンタタン…

永遠にリピートされるピアノに、少しだけ困惑する気持ちが芽生える。どうせならしっかり聞きこんで一曲まるごとリピートさせた方がいいのだが、生憎なことにそのAメロしかわからない。だからnoteを書いて切り替えようという魂胆もあったのだが。そしてもう少しボリュームを下げてほしいところだが。ま、これを文章にしてしまってる当たり、相当侵食されていて、お手上げなのだろうが。とことん流せばいいさ。そしてそれがいつか何かにたどり着くためのキーなら、僕は夏特有の不可思議に浮かれてとことん追求するかもしれない。

キーの在りかが全く分からないということではないからね。少なくとも記憶の中に残る場面が数枚ある。そして「英雄ポロネーズ」を主演の女優さんが弾いているシーンは確実だ。きっと夏が贔屓して、すてきな宿題を僕に与えてくれたんじゃないかなあ、そう思う。

それに、僕の脳内で英雄ポロネーズ(ごめんくどくてね)がかかっている間、たとえ外はじめじめとした梅雨だろうが、さわやかな風が胸を吹き抜けるのだ。僕はポロネーズが何者かも知らないよ、もしかしたら人ですらないかもしれないし。けれどもう少し、それが僕の想像の翼の力に比例しているなら、知らないままでいいかもしれない。もしかしたら、映画のタイトルにたどり着いてしまっては目的を失い羽ももげてしまうかもしれないけどね。

でも季節は夏になる。僕の季節だ、あらゆる意味で。僕は夏であり、夏を思う側でもあり、夏を想像しては想像し、過去と未来を行き来することができる。潮騒が続くと僕は浮足立ち砂山を作った。何か塔のように、その周りを取り巻くように螺旋階段をつける。あとは天辺に漂流物の枝を刺すだけ。「制覇」そういう。子供の頃の僕と、現在の僕が半透明の状態で重なり同時に存在する。一生懸命砂山を拡張している。その僕たちの体の奥に大海原が見える。僕は大海原にもなる。勢いをつけては小さな波を奪い、またそれより大きな波が来てはそっちに移り変わりさっきまで僕だった波を奪う。自ら栄枯盛衰を体現し、弱肉強食を唱えて視点は空に飛ぶ。カモメだ。次は太陽。世界のすべてに成り変わり、それぞれの思想や考えを共有しながらゆっくりゆっくり世界を作っていく。それは誰かもだし、世界中の人すべてだ。全て。

時々、波に連れられて僕の砂浜にもどこかの国からの漂流物が届く。(波、の僕が、意識的、に運んだのだが、人の状態の僕にはわからない、いわゆる波は深層心理でもあるのだ)太陽に透かすと青く輝くガラスの瓶だ。紙切れが入っている。手に取り読もうとするが、外国の文字でよくわからない。けれど心地いい何かが伝わる。

僕はビールを手に取り、空をじっと見て、流れる汗の一つ一つを意識してはゆっくりプルタブを開けた。

「乾杯」という。乾杯はきっと通じるから、乾杯を返そうと思う。

乾杯を小瓶に詰め、波に(僕に)託した。

波はゆっくりゆっくりと小瓶を遠くへと連れていく。誰に届くのかしら?そう思いながら僕はいつも、この場面でシリアスに耐えきれず笑ってしまう。だって幸せなんだもの。

太陽がくるりと回ってサービスしてくれたが、点対称なので僕は気づかなかった。


終わり

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