身近なゆらぎを探す、例えば鼻息
既に梅雨に突入したかのようなまとわりつく湿気に辟易した1日であった。湿度は確かに体感気温を高め擬似的夏をつくるが、あの体を持て余すような感覚だけはいけすかない。まるで僕に降り注ぐはずの雨が全部服や体に吸い取られ、その余分な重みを抱え、一歩踏み出すような億劫な感覚。そんなのは、眠れる前提のときのみ発動してほしい。
僕は休日のしとしと曇天は好きである。以前話したように本を読むのにも最適であるが、それ以上に惰眠に加勢する。
そんな一日眠気に包まれていた鹿田です、よろしく。
とっておきの眠眠打破(ビール)にて、しばし目を冷まそうではないか。
皆様、乾杯!
幸いこちら東北ではさほど猛威を振るわず落ち着いた雨である。今も耳をすませば生物の声さえしないが、走行する車両もさほど水を弾かない。上空を抜けてゆく飛行機の音がいつもより大きい気がする程度で、カエル様はのんきにその美声を雨後の反響する世界に響かせている。柿の木の葉か、もしくはキウイの派に規則的不規則に雨粒が落ちている音がする。静かだ。音がするのに静かとは、不思議なものである。
それはきっと生物的な元祖の遺伝子から受け継ぐ記憶的感覚なのだろう。雨音を聞くと自然と肩の力は抜け、呼吸が静かに整ってゆく。体勢をかえることにより鳴る椅子の放つ音、キーボードを叩く音、鼻息、それからPCのバッテリーの音。意識すればそれなりに多くのものが音を発しているのに、体感は静寂を返すのである。湿度も静かになりつつあり、僕はふと類語辞典を適当なページでひらいては、それで顔を挟んだ。頬に伝わるページの冷たい感触、それから紙の匂い。なんだかいつかもそのようなことをして、僕は落ち着いた記憶が漠然とある。こんな時期に、僕はいつも辞書や、本で顔を包んでいた。
静寂はほとんどの刺激を緩和し、僕はここがどこか、いつか分かりなくなりながら過去や未来、妄想空想を空気みたいな(適温の涼しい空気)体になって流されてゆく。いつも、この時期雨がふるとそんな感覚を感じられる。
そういえば、確か我々が落ち着いているときの心拍数も、”1/fゆらぎ”ではなかっただろうか。整体のリズムは1/fゆらぎでできており、だからおなじ”ゆらぎ”をもつ雨の音に人は落ち着くのだとWikipediaで調べてみると他にも、ろうそくの炎の揺れ方、電車の揺れ、小川のせせらぎ、木漏れ日、ホタルなんかも1/fゆらぎだそうだ。
気になって調べてみたら、カエルの鳴き声も1/fゆらぎだった。
ならば鹿田の鼻息も、もしかしたら1/fゆらぎなのかもしれない。
サンプル作って販売してみようかしら。
そしてその鼻息を間近で聞いているのが僕なのだから、眠くなって当たり前だったのである。
なるほど。
みなさんも調べてみたら、もしかしたら気に入っている音が1/fゆらぎかもしれないよ。
まるで自分の鼻息がそれと確定したようなことを言って、適当に今日も終わる。
ではまた!